第9話 今は逃げるべきなのだが……しかしッ!!

「NMOOOOO!!」


 ミノタウロスは呼応するかのような叫びをあげ、シルバースライムへ向けて、巨大な拳を振り落とす。


「ちゅるんっ!」


しかしシルバースライムは持ち前の素早さで、鮮やかな回避行動を見せる。


「ちゅるぅぅぅぅぅぅーーーーん!!「


「NMOOOOOOO!!」


再びシルバースライムが叫び、ミノタウロスはその声に引き付けられ、我々からどんどん離れて行く。


「もしかしてあのシルバースライムちゃんは……」


「どうやら我々を逃がすために、囮になってくれているようだな」


「なんで、あの子はそんなことを……」


「きっと、エルに感謝しているからだろう。狩ろうとはせず、抱擁してくれた君のことを、あのシルバースライムは守りたいのだ、きっと」


「……」


 その時、シルバースライムの悲鳴が反響してきた。

いくら回避性能に定評のあるとはいっても、生き物である以上、体力が存在し、永遠に相手の攻撃を避けることなどできるはずもない。


「ちゅ、ちゅるん……!」


 壁にたたきつけられていたシルバースライムは、形状を元の団子状へ戻し、再びミノタウロスへ向けて、誘因の咆哮を放つ。

あと、2・3撃は耐えられそうだと俺は判断する。そして俺は迷いつつも、この機会を逃す訳にはいかないと思った。



「エル、この隙に撤退だ」


「えっ?」


「何をしている。さっさと逃げないか! 逃げる機会は今しかないぞ」


「は、はい!」


 俺に気圧されエルは迷宮の闇へ向けて走り出す。

 しかし突然、エルがつま先を蹴るのを止めた。

彼女はぐっと唇を噛みしめ踵を返す。

その視線の先には、未だにミノタウロスに相対しているシルバースライムの僅かな輝きがあった。


「エル?」


「……鎧さん、戻っても良いですか? やっぱりあの子のこと見捨てられません」


薄々そう言い出すのではないかと思っていたが……


「ダメだ。危険すぎる」


 俺はあえて厳しく、そして冷たく切り捨てた。


「……」


「今の自分の力を冷静に分析するんだ。迷宮では如何に生き残るかが最優先。そうだと教えたはずだろ?」


「分かってます。でも、きっと”お兄さん”はこういう時、絶対に見捨てないと思うんです!」


「お兄さん?」


「私が憧れる冒険者の方のことです。私は”お兄さん”のように強く、優しい、困ってる人を絶対に見捨てない冒険者になるって決めたんです。その気持ちで私は島から飛び出したんです。だから、私は!」


 熱量の籠ったエルの叫びが俺へ響き渡る。

 リビングアーマーでしかない俺には心臓は存在しない。

しかし何故か、胸の奥が激しく鼓動をしたような気がした。

感じる熱も、おそらくそれはエルのもの。

それでも俺は久方ぶりに”熱さ”の感覚を取り戻した。


(全く、俺もまだまだ青二才なのだな……)


 冷たい鎧の思考が、熱い人間のものへ切り替わる。

沸き立ち、胸が躍り出す瞬間。


危険が何だ! 実力がどうした! だってこの子には俺が付いているじゃないか!

俺はかつて迷宮深層で暴れまわっていた魔竜ロムソと互角に渡り合った男だ!


「――分かった。良いだろう」


「ありがとうございます、鎧さん!」


 俺の回答に、エルは弾むような言葉を返す。


「しかし、君の実力はまだまだだ。だから俺の指示は必ず聞け。無謀に突っこむな。基本はヒット&アウェイ! はい、復唱!」


「無謀に突っこみません! 基本はヒット&アウェイ!」


「くれぐれも忘れるな。よし、ミノタウロス討伐へ向かうとしよう」


「はい、鎧さん!」


 エルはつま先を思い切り蹴りだし、巨大モンスターへ向けてまっすぐに駆け出した。


「NMOOO!」


 迷宮の中でも早々にお目にかかれないジャイアントモンスターのミノタウロスは、鼻息を荒く吐きながら、斧を振り回す。

奴は未だにシルバースライムへご執心な様子だった。


(ミノタウロスの視界にエルは入っていない。だったら!)


「脚の裏だ! そこを狙え! 徹底的にだ! そこだけだ!」


「はい!」


 風のように駆けるエルは素早く抜くダガーを抜く。


「ヒット!」


 ダガーでの鋭い刺突。

しかしミノタウロスは気にも留めず、シルバースライムを追いかけ続けている。


「アウェイ!」


 エルは突出することなく、思い切り飛び退いて距離を置いた。

ミノタウロスは気づいた素振りを見せない。

 ミノタウロスの足の角度が傾き、ダガーで刺突した傷が視界から消える。


「傷から目を離すな。追い続けるんだ」


「はい!」


 素直にエルは従い、横へ飛び、小さな傷口を視界へ捉える。

そして再びヒット&アウェイ。


「安心しろ、モンスターは常には高い魔力に反応する。今、奴はシルバースライムに夢中だ。遠慮なく、恐れず、攻撃を加え続けるんだ!」


「はい、鎧さん!」


 ミノタウロスが足の角度を変える度、エルは足の傷を追って飛んだ。

 延々とそれを繰り返す。


「NMO!?」


 ようやくミノタウロスがエルの攻撃に気付いた。

巨大な蹄が蹴りだされ、砂煙が舞う。


「よっと!」


 エルはまるで先読みをしていたかのように飛び退く。

砂煙を被ることなく、急接近し、大分傷ついたミノタウロスの足へ、ダガーの刺突を繰り出した。


 ミノタウロスは忌々しそうに、何度も後ろ脚を蹴る。

だが素早さが特に自慢のエルの回避性能の前に空を切るばかり。

 エルは巨大な蹄を避けながら、飽きることなく、必死に、懸命にダガーでのヒット&アウェイを繰り返す。


「おりゃー!」


 エルの渾身の刺突がヒットし、刃が深く刺さった。


(エルの一撃は確かに小さい。だが、)


ダガーを引き抜くと、ミノタウロスの脚から血が勢いよく噴き出す。


(何度も打てばやがてそれは強力な一撃となる!)


「NMO!!」


ミノタウロスは悲鳴を上げた。

バランスが崩れ巨体が大きく揺らぐ。


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