鰐の空涙

三鹿ショート

鰐の空涙

 彼女は泣き虫であり、私に頼ることが多かった。

 自身が頼りにされているということは素直に嬉しいことだったが、彼女が私を利用しているだけだと気が付いたのは、私ではない異性と笑顔を浮かべながら腕を組み、歩いている姿を目にしたときである。

 何かの見間違いではないかと思ったが、別れ際に接吻をしていたことから、彼女がその異性と特別な関係であることは、間違いないらしい。

 私は、その場で声をあげて泣きたくなった。

 だが、他の人間の目も存在するために、口の中で頬の肉を噛みしめながら、その場を後にした。

 それでも、私は今後も、彼女の力になろうとすることだろう。

 何故なら、彼女を愛していたからである。

 叶うことのない恋だったとしても、彼女が私を頼ってくれているそのときだけは、彼女は私のことを見ている。

 その時間までも失うことは、避けたかったのだ。


***


 自身が私以外の異性と交際しているということを明かすこともなく、何か困った事態に遭遇したとき、彼女は相変わらず私のことを頼っていた。

 私が好意を抱いているということを、彼女は理解しているに違いない。

 しかし、自分に恋人が存在していることが分かれば、何かと役に立つ私が離れてしまうということを恐れたために、彼女は恋人のことを黙っているのだろう。

 彼女は最初から、私のことを道具としてしか見ていなかったのだろうか。

 だが、それでも構わない。

 困ったことがあれば私に頼るという思考が彼女に存在しているというだけで、私が彼女にとってどれほど大きな存在なのかが分かるからだ。

 そのように考えながら生活しなければ、私の脚が動くことはない。


***


 ある日、私は彼女からとある男性の調査を依頼された。

 写真を目にしたとき、その男性が彼女の恋人であることに気が付いたが、私はそのことに言及することなく、常のように二つ返事で引き受けた。

 何故彼女が自身の恋人についての調査を依頼することになったのか、その理由は、彼女の恋人についての調査を開始してから二日後に分かった。

 彼女の恋人は、別の異性と関係を持っていた。

 彼女よりも、その女性の方が、彼女の恋人にとっては似合っているように見えたのは、破局することを望んでいることが理由ではない。

 彼女とその女性は、明らかに種類が異なっていた。

 そして、彼女の恋人と並んで歩く姿に違和感を覚えないのは、後者だったために、そのような思考を抱いたのである。

 その時点で嫌な予感がしたのだが、調査を続けていくうちに、それが間違っていなかったことが分かった。

 彼女に伝えるべきかどうか悩んだが、わざわざ調査を依頼してきたことを思えば、疑いを持っていることは間違いないだろう。

 悲しむ顔を見ることは避けたかったのだが、私は彼女に結果を伝えることにした。

 結果を聞いた彼女は、私に対して感謝の言葉を伝えた後、涙を流し始めた。

 地面に水溜まりが出来るのではないかと思うほどのものだったために、私は手巾を差し出した。

 彼女は何かの言葉を発しながら手巾を受け取ると、それで涙を拭い始めた。

 その姿を見て、私の胸は痛んだ。

 一方で、この姿も私を同情させるための涙なのではないかと考えている自分が存在している。

 これまでの行為から、そのように考えてしまうのは仕方の無いことである。

 彼女が心の底から悲しんでいるのだと信じたかったのだが、そのようにすることができない自分が存在していることが、より悲しかった。


***


 それから数日後に、彼女は別の男性についての調査を依頼してきた。

 何者かは不明だったが、調査の結果、特段の問題も無い人間だということが分かった。

 それを伝えると、彼女は口元を緩め、数日後には、その男性と交際を開始していた。

 交際を開始する前に、自分を裏切るような要素が存在していないかどうかを確認したかったのだろう。

 彼女は自身を襲った裏切りから、そのことを学習したらしい。

 何とも逞しい女性であるが、それに比べて、私は何と愚かなことだろうか。

 脈が無いと理解している女性のために動き続けた結果、私は何を得るというのだろうか。

 自己満足のために己の人生を捧げるなど、これでは彼女のために誕生したようなものである。

 しかし、私はそれで構わなかった。

 彼女に己の人生を捧げるというような生きる目的を持っている人間は、無為や怠惰なる時間とは無縁の日々を送ることができるのだ。

 時間を無駄にしている人々よりも、私の方が、充実した毎日を過ごしているのである。

 だが、幸福な気分とは無縁だった。

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鰐の空涙 三鹿ショート @mijikashort

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