第4話

 当局の激しい拷問の末、バスティアン・シュバインシュタイガーは自供した。

 十年前からスパイ活動をしていたこと。

 潜伏の為に両親を失った少女を利用したこと。

 

 少女への疑いは、少女の実父が名高い名医だったこと、婚約者の家系が由緒ある名家であること、そして何より


『侮辱するなよ......

 汚らわしい東国の売女を娘なんて嘘でも言えるか......

 まぁ、あんな女が殺されようがどうでもいいがな』


 シュバインシュタイガーの自供と、"使用人"と吹聴しこき使っていた等の証言から晴れることとなった。


 逮捕から二週間後、西国のスパイで、東国の淑女を従わせることに快感を覚える異常者、バスティアン・シュバインシュタイガーの死刑が確定した。



十十十十十



 東国の特別収容所。

 収容されれば二度と外の空気を吸うことはない。

 収容所に唯一ある薄暗く狭い面会室で二人の男女が向かい合う。

 男の名はバスティアン・シュバインシュタイガー

 東国ではトニー•クロースで通していた。

 一週間後に処刑される。


 女の名はアンナ• ベッケンバウアー。

 トニー•クロースに育てられた。


 アンナの婚約者(ロイス)の尽力で、特別に認められた面会時間はたったの"十五分"だった。

 

「「................」」


 ロイスが看守と共に、外に出て一分。

 

 面会室に絶望的な静けさが流れた。

 

 互いに、言葉を詰まらせる。


 何か言わなければ、そう思う程に苦しくなって声にならない。


 飲み込んで、飲み込んで最初に吐き出したのは、少女の方だった。


「どうして......どうして......嘘を付いて罪を認めるのよ」


 どうして?


 そんなことは分かってる......


 分かってる


 でも......それでも.....

 


 アンナの揺れる瞳から、悲痛な想いを感じ取るトニー。


 表情一つ仕草一つで、トニーにはアンナの気持ちが読み取れる。


 その上で、今のアンナの気持ちを慮った上で


「もう......終わったことだから」


 トニーは落ち着いた声で返すのだった。

 

 穏やかであることを心がけて。


 終わったこと......アンナにだって分かっている。


 例えどんな理由があったとしても、西国の人間が東国で名前を変えて暮らしていた事実があるい以上、極刑は免れない。


 だから.....


「終わってない、終わって......ないよ.....

 私.....私.......言ってくる......

 使用人なんかじゃない......娘だって......

 この十年.......誰より良くしてもらったって......

 私の......わだしの......お父さんはスパイ何かじゃないって......そう言ってくるから......」


 こんなこと、言っちゃダメだって本当は分かってる......

 

『君の為だ! お義父さんは君の為に......

 自分の出来る全てで君を守ろうとしているんだ!

 君が、君が壊しちゃいけない......

 君が出来ることは何だ?

 最後にお義父さんにしてあげられることは何だ? 

 守られることだろう......

 君のお義父さんを......僕達のお義父さんを安心させてあげることだろう......違うか』

 

 警察署に行こうとして、ロイスに涙ながらに止められた。

 

 分かってる......分かってるけど......嫌だよ......


 どうして......どうして、私の大切な人を奪っていくの......


 大きなことは、何も求めてない.......ただ大切な人と暮らしたいだけなのに......

 

 出会ったばかりの頃のようにポロポロと涙を流すアンナに、拳を思いっきり握りしめたトニーは、いつものセリフを言うのだった。


「君は僕の娘じゃない、"使用人"だよ」


 普段ならアンナが一番言われたくない言葉だった。

 だが、その言葉にどれほどの愛情が込められていたのか、

 どれほど自分を愛してくれていたのか、

 全てを理解したアンナにとって、それは父の愛そのものだった。

 愛の証明だった。


 十年間共に過ごした、最愛の少女。


 ただ自分を想って泣いてくれる少女。


『お父さん』と慕ってくれる少女。


 そんな少女との今生の別れ。


『娘だとも、お前は僕の娘だ!!!』


 そう叫びたくない、父親がどこにいる。


 それでも、それでも......トニーは


「フランツ・ベッケンバウアー

 彼が君の父親さ、本当に本当に偉大な人だった」


 全てを堪えて最後に昔話をするのだった。

 

 かつて自分を救ってくれた人。


 その娘に残していくのだ、彼の偉大さを。


 トニーは話した。


 十二年前の戦場でのこと。


 天に召された彼が、娘(アンナ)の写真が入ったペンダントを握りしめていたことを。


 彼への恩を返す為に東国でベッケンバウアー親子を探したことを。


「僕はあの人に救われたんだ......

 二十年.......世を憎み人を憎み.....怯え続けた僕に手を差しのべてくれた

 生き方を示して貰った......」

 

 アンナは思う。

 お父さんは、父から受けた恩を命懸けで返した。

 私が今こうしていられることが......その証明だ......

 だから......だからこそ私が壊しちゃいけない......

 けれど......それでも......私は......私は......私は......

 

「いかないで......私何も返せてないから......

 このまま、お父さんに行かれたら.......

 何も返せないままお別れなんて嫌だよ......」


 ずっとずっと恩返ししたかった。

 返しきれない恩を少しでも返したかった。

 美味しい料理をご馳走したかった。

 立派な服を贈りたかった。

 旅行にだって連れて行きたかった。

 活動写真も観せてあげたかった。

 大きな家に住んで貰いたかった。

 

 まだ何一つ.......何一つ返せてないのに

 これからなのに......嫌だ......嫌だ......


 アンナの父を思う気持ちを受け取って、トニーは嘘偽りのない本心を言うのだった。


「もう十分だよ......もう十分して貰ったさ」


「うそよ......だって私何も......何も......してあげられなかった」


 アンナは、嘘だと、優しい父親が自分を悲しませない為に最後まで優しい嘘をついていると思った。

 だが、バスティアン・シュバインシュタイガーという孤独だった男にとって、トニー•クロースとして過ごした十年間がどれほどの奇跡だったか、トニーは語るのだった。


「朝目覚めて『おはよう』と言ってもらえる喜び

 誰かと一緒に食べるご飯のおいしさ

 愛しい人との何でもない話の楽しさ

 寒い夜に誰かと同じベットで寝る温かさ

 そして、誰かの成長を見守る素晴らしさ

 君に出会うまでの二十二年間

 僕は何一つ知らないで生きてきた

 こんな幸せがあるって.......僕は......僕は知らなかった

 全部......全部君がくれたんだ

 だからもう、十分だよ......」

 

 アンナは嗚咽を漏らす。

 視界が涙で滲んでどうすることも出来ない。

 それでも、焼き付けようと最愛の父を、優しい父を、その目に焼き付けようとする。

 アンナの瞳に映るトニーも、泣いていた。

 もう堪えられなかった。

 愛しい、愛しい、アンナを抱きしめたい。

 それは分厚く冷たいガラスに阻まれて敵わない。

 だから、トニーは冷たいガラスに十年間アンナを守り抜いたザラザラの手を乗せた。


「ありがとう、アンナ

 君と過ごした十年、僕は本当に幸せだった

 例え今この瞬間、死んだとしても悔いはない

 これが僕の人生だ! 最高の人生だったと心から思える

 ありがとう、本当にありがとう」

 

 かつて世を呪い、人を呪い、孤独のままに逝くはずだった男は、もう誰も憎くんではいない。

 自分を捨てた親も。弾き出した国も人々も。

 あの人に、あの人の娘のアンナに出逢わせてくれた全てに感謝していた。


「お父さん......愛してる、私ずっと愛してるわ」


 人生の最後に愛してると泣いてくれる人がいる。

 父と娘、じゃなくてもいい。

 誰かが決めた関係に縛られる必要はない。

 互いに愛し合っている、それだけで十分じゃないか。

 トニーは、最愛の少女の大きく成長してくれた手とガラス越しに触れ合って、

 

「僕もさ、僕も君を愛していたよ.....

 だから、強くあり続けて欲しい

 強くあらなければ、優しくあれない

 優しくあらねば、救われない

 君の幸せをずっと祈ってる......」 

 

 最後に、トニー•クロースとしての人生をくれたフランツ・ベッケンバウアーの教えを述べた。


 そして、トニーは笑うのだった。


 アンナの為に。

 

 自分を思い出したアンナが悲しまないように。

 

 最高の笑顔を残していくのだった.......


 それが、バスティアン・シュバインシュタイガー、いや、トニー•クロースとアンナ•ベッケンバウアーの最後だった。

 


十十十十十



 国が恐怖を煽り、憎しみを助長させた時代。

 人々は本当の強さを失い、人を憎み人に怯えた。

 第一次東西戦争終結から第二次東西戦争開戦までの、約十五年。

 東国では、西国のスパイとして約十万人が処刑された。

 だが、後に明らかになった西国の文書によると、実際に派遣されたスパイは三千にも満たない。

 東暦千九百三十年六月三十二日。

 その日も、一人のスパイが処刑された。

 記事によると、スパイは電気椅子に乗る、最後の瞬間も不敵な笑みを絶やさなかった。

 死を恐れないその姿、独裁国家の狂信者として、東国読者を恐れさせた。

 だが、赤毛の少女は知っている。

 彼が残された、たった一人の少女の為に、少女を安心させる為に、恐怖を押し殺して笑ったであろうことを。

 泣き喚いた姿を記事に書かれ、少女が嘆くことを真に恐れたであろうことを知っている。

 最後まで、強く優しい人だったことを知っている。

 だから、それでいい。

 国中が彼を非難しようとも、私がその勇姿を知っているのだから。

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