第3話

 東西戦争の終結から十二年が過ぎた。

 難航していた東国の復興は、軌道に乗り始め街はかつての美しさを取り戻しつつあった。

 だが、傷つき復讐心に囚われた人々の心は、東西の亀裂を深め続け戦争への熱は戦後最高潮に上がっていた。

 当然、国による取り締まりは、一層強まり国に反く売国奴はスパイとして粛清される。

 そんな時代の、平均的な民家の最後の朝から物語は始まる。


「ご飯の時くらい、新聞読むのやめたら?」


 めかし込んだ赤毛の少女が、棘のある声で、ボサボサの頭をかく男に話しかける。

 少女は二年前に成人した十八歳で、男は二年前に三十の大台に乗った三十二歳だ。

 十年前から二人で暮らしてる。


「……っうるさぇな、関係ねぇだろ」


 男は少女を一瞥することもなく、昨日煮込んだシチューの味を確かめる。


「二人しかいない家で、そんな態度取られると不愉快なのが分からないの?」


「あっそう......で?」


「大人として恥ずかしいって言ってるの」


 太々しい態度を取る男に、少女は苛立つ。

 最近いつもこうだ。私と話そうとしない。


 シチューの味に納得した男は新聞に視線をやったまま続けた。


「嫌なら出てけよ」


 少女は売り言葉に買い言葉。


「心配しなくても出て行くわよ

 "これ"目に入らないの? 

 いつまでも独身のあんたとは違うの」


 赤毛の少女はそう言って左手薬指の婚約指輪をこれでもかと見せつける。

 男はそんな、少女と今日初めて目を合わせて、皮肉混じりに言った。


「待ち遠しいな

 退職金はいくら渡せばいい?」


 "退職金"という言葉に少女はフォークを置いて、男に詰め寄る。


「あんた、分かってるんでしょうね」


 美しく明るく成長してくれた少女の怒り。

 少女が何を言いたいかは、分かっているが、


「何の話だよ」


 惚ける男に、苛つきの下に寂しさを感じる少女は、もう何十回言ったか分からない言葉をぶつける。


「結婚式絶対来なさいよ!

 新婦の、"ち、ち、父親が来ないなんてそんなふざけた話ないでしょ」


 少女は、勇気を振り絞ったが、男はポリポリと頭をかいて、


「なんで、僕が"使用人"の結婚式にわざわざ行かなきゃなんねーんだよ」


 興味なさげに返した。

 "使用人"その言葉にワナワナと震える少女を横目に、男は立ち上がる。


「食わないなら、下げるぞ」


 食べ終わった男はいつものように、皿を台所に運ぼうとする。

 少女は美しく磨いた爪を握りしめてなんとか堪えようとしたが平然とする男を見ると無理だった。


「ふざけるな!!!」


 街で評判の淑女が、男の胸ぐらを掴んですごむ。

 顔を真っ赤にする少女に、男はどこまでも太々しい。


「落ち着けよ、ヒステリックは離婚案件だそ」


 どこまでも、どこまでも、どこまでも、太々しい男に、堪え切れずに、手を振り上げる少女。


 嫌だ、叩きたくない。叩きたくない。叩きたくない。


 それでも、止まらない少女を止めたのは


「アンナ! 何してるんだ!

 暴力はいけない!」


 アンナ• ベッケンバウアーを迎えに来た、婚約者だった。

 三回ノックしても返事がないので、ドアを開けると、スープをぶち撒ける義父と胸ぐらを掴むアンナの姿が目に入った。


「ロイスさん......」


 婚約者の仲介があって、冷静になったアンナは恥ずかしい所を見られたのと、感情を剥き出しにしたのが相まって居た堪れなくなり、家を飛び出した。


 マルコ•ロイスは、襟を直して立ちすくむ義父に問いかける。


「トニーさん、今日は何があったんですか?」


 三年の付き合いがあり、社交的で明るい好青年だと、ロイスを認識しているトニー•クロースは太々しい態度で、悪びれる様子もなく言った。


「別に......

 僕は何もしてないのに、いきなり"使用人"に詰め寄られたんだ

 君も気をつけた方がいいよ、"使用人"のくせに、ヒステリックで急にキレるから」


 娘の悪口をのたまう、義父を前にして、ロイスは臆することなく言い放つ。


「例えお義父さんでも、僕の婚約者を悪く言うのは許しません

 何よりアンナを、他の誰でもないあなたが、"使用人"呼ばわりしないで下さい!」   


 義父がアンナを"使用人"呼ばわりして悲しませるのは、これでもう何十回目か分からない。

 ロイスは、それが許せない。

 ロイスの婚約者を思う気持ちを真正面に受ける、男はどうでも良さそうにポリポリと頭をかく。


「ん? どうして僕をお義父さんなんて呼ぶんだい?

 僕はただ、君の婚約者の雇い主ってだけなのに」


 何なんだ。

 この人はどうして最愛の娘にこんな態度を取るのか。

 ロイスは心底理解できない。


「もういいです......失礼致します」


 ロイスは今日、婚約者と義父に話したいことがあったが、今は無理だと判断して、礼節を欠くことなく家から出て傷付いた婚約者を追いかけた。


「.............」


 トニーは若者の熱気が抜け、冷たくなった部屋に一人。

 ポリポリと頭をかき、大きく息を吐く。


「.............」


 アンナを傷つけた罪悪感で、今日も胸が痛む。


『キュッ......キュッキュッ』


 雑巾を水に濡らし、床に伏せる男。


 アンナに迫られた時に、こぼしたスープを拭く。


 いい味だったから、全部食べて欲しかった。


 いや、まぁ今日は祭りだからいいか。


 晩御飯はどうしようか?


 流石に食べてくるか......


 いや、ロイス君真面目だから......


『嫁入り前の女性を、夜遅くまで連れ回すなど紳士として言語道断です』


 とか言いそうだ。


 今日くらいは遅くなってもいいと思うが、どうなんだろうか?


 まぁ、一応作っておくことにしよう。


 そんなことを思いながら、トニーは


「これでいい、これでいいんだ......」


 と呟き、こぼれたシチューを拭き取るのだった。




十十十十十十



 

 ロイスがアンナを見つけたのは、街外れの公園だった。

 この辺りの住民はみんな、中心街で行われてる戦勝十二年記念祭に行っているので、公園は二人以外誰もいない。


 ロイスは、幼い少女のようにブランコに座る、アンナの横に座った。


「................」


「................」


「................」


「................」


「................」


「................」


「ごめんなさい......こんな記念すべき日に......」


 最初に口を開いたのはアンナだった。

 アンナは学芸員として、ロイスは医学生として忙しい日々を過ごす。

 久々のデートをぶち壊しにしてしまった。

 それも、国をあげてのお祭りの日に。

 そう思ったアンナは、申し訳なさそうに俯く。


「医師を志す者として、今日という悲しい日を祝うつもりはそもそもないよ、屋台は楽しみだけどね

 それに、僕にとって君に会える日はいつだって記念日さ」


 己に厳しく他人に優しい。 

 決して強い言葉で、他国や他人を罵倒して憎しみを煽り悦に浸るようなことはしない。  

 勝利の影で両親を失ったアンナにとって、西国憎しで右に傾くこの国で、己の信念を見失わないロイスは癒しであり救いだった。


「優しい人なの......本当は誰より優しい人なの......」


 アンナは俯いたまま続ける。 


「絶望の淵にいた私を救い出してくれた」


 誰のことを言っているのか、分かっているロイスは、黙って相槌を打つ。


「自分から話せなくなっていた私に、話しかけ続けてくれた

 色んなことが怖くなった時、いつだって側にいてくれた」


 アンナは色んなことを思い出す。

 二人で暮らし始めて、貧しかった頃、


『僕は少食の美食派なんだ、一番美味しい所しか食べない』


 孤児院暮らしで痩せ細っていたアンナに自分の分まで食べさせてくれたこと。


 寒い夜は、アンナが寝たのを確認して、自分の布団をかけてくれたこと。


『料理も洗濯も掃除も僕の趣味だ、使用人は僕の嫌いな家事をしろ』


『陰気な顔で家に居られると迷惑だ、遊びに行くぞ』


『学のないバカと同じ空間にいるのは不愉快だ』


 朝も昼も夜も働いて、高等学校まで行かせてくれた。

 そこで、ロイスとも出会えた。


 どうして、家事もさせない使用人を引き取ったのか。


 分からない。


 分からないけど、返しきれない恩がある。


 もし、あの日、あの場所からあの人が、助け出してくれなかったら、苦しみの中で、世を憎み人を憎み、怯え続けていたに違いない。


「だから......だから、私はあの人を"お父さん"って呼びたい......

 結婚式にも、父親として来て欲しい......

 娘だって認めて欲しい......

 使用人なんて呼ばないで欲しい......

 何よりも、恩返しをさせて欲しい......

 このまま出て行ったら何も返せない......」


 アンナの真剣な想い。

 ロイスは、アンナにとって義父がどれだけ大切な人なのか、分かっている。

 ロイス自身も、太々しい態度の義父を憎たらしくは思えなかった。

 義父は、親を無くし、悪意に傷つき、ボロボロになった少女を、勤勉で、人に優しく、思いやりのある素晴らしい淑女に育てた。


 それは真の愛情を持ってでしか成せることではない。

 

 その愛情を血のつながらない少女に向けられる人が悪人であるはずがない。


 だからこそ、アンナを『使用人』と呼び傷つける、義父の考えが理解出来ない。


 聞けば、アンナが社交的になっていくにつれて、義父は素っ気なくなり、自分と付き合うようになってからは、拍車が掛かったそうだ。


 過去に一度、腹を割って話そうとしたことがある。


 だが、太々しい態度を崩さない義父に勢い余って


『そんなに僕が気に食わないのなら、アンナさんとの交際を終わらせましょうか!?

 そうすればあなたは、アンナさんの記憶の中の優しい父親に戻るんですか!?』


 そう怒鳴り込んだことがあった。

 すると、義父は初めて見せる悲しい表情で


『ロイス君、僕は君しかいないと思ってる......

 君がアンナを幸せにしてやってくれ』


 頭を下げてきた。

 ロイスは義父の娘を想う確かな証を見た。


 だから、だからこそ、やはり理解できない。


 だが、例え理解できなくとも、紳士として、愛した女性の為に、そして愛した女性の大切な人の為に出来ることをしようと、ロイスは常に決意している。


「アンナ、その気持ちを自分じゃない、クロースさんにぶつけるんだ

 自分の両親も兄も、君のような素敵な女性を育てたクロースさんに是非会いたいと言っている

 式で君の手を引くのはクロースさんしかいないだろ!

 三人でもう一度腹を割って話そう!」


 ロイスはそう言って立ち上がって、アンナに笑いかける。


 散々語って胸がスッキリしたアンナは


「ありがとう......本当にありがとう」


 と笑い返した。



十十十十十




 戦勝記念祭。


 戦争で親を失ったアンナには祝うことでもなんでもない。

 だが、ロイスの言う通り祭りは祭り。

 屋台や飾り付けされた街を思いっきり楽しむ。


 広場の中心では、国政与党員が戦争を煽る演説をして、大勢の人達が手を叩く。

 軍服を着た人達が、敵をどう殺しただの、スパイを何人殺しただの武勇伝を叫び、歓声が上がる。


 そんな、囚われた人達を横目に、アンナは、アイスを食べたり、飴を舐めたり、音楽に合わせてロイスと踊る。


 打ち上がった花火を見つめる端正な横顔。

 自然にその大きな手に、手が伸びる。

 アンナの手が触れると、照れ臭そうに笑うロイス。


 アンナは幸せな一日を過ごした。


 そして、日が落ちる。


「帰ろうアンナ

 クロースさんに、僕達の気持ちを伝えに行くんだ!」


「うん!」


 二人は家路につく。

 トニーへのお土産を持って。

 右に傾く世論。

 戦争の火蓋がいつ切られてもおかしくない不穏な社会。

 歴史の授業で『最も悲惨な時代』と称される時代のど真ん中にいて、若い二人はこの先の幸せを信じていた。


 アンナは、トニーが太々しい態度で、何を言ってきても笑顔でいようと決意する。

 大好きな二人と食卓を囲めるのだから。


 ロイスは秘密にしていた、二世帯計画を二人に発表することを決意する。 


 クロースさんが、また何か言ってアンナが怒りだなさいか想像して、苦笑いしながら。


 幸せな未来を思い描いて、通り慣れた三番通りを歩き、トニーが待つ家が遠くに見えてきた時、二人は異変に気づいた。


 普段人通りがそう多くない、この通りに人だかりが出来ている。


 人々の怒声が響く。


 そして、その声は明らかにアンナの家の辺りから聞こえてくる。


 顔を見合わせる二人。


 どちらからでもなく、その怒声の発生地点に駆ける。


 本能的な恐怖に息苦しくなるアンナ。


 ロイスも、ただごとではない何かを感じる。


 十年暮らした家の周りに出来る人だかり。


 中心にいるのは、真っ黒の制服に身を包んだ堅いのいい男達。


 警察官。

 それも、自己判断での逮捕を許された特殊警察。

 東国で彼らを知らない者はいない。


 彼らの主な任務は.......


 アンナは血の気が引く思いがした。


 アンナは知らなかったからだ。


 自分と出会う前の二十二年間。

 

 彼がどこで何をしていたのか?


 腹部にある傷はどこで、負ったものなのか。


 何回か聞いたことはあった。


 だが、適当に誤魔化された。


 語りたくないことだと思って、それ以上は聞かなかった。


 こんな時代に生きていれば、話したくないことの一つや二つあって当たり前だ。


 自分だって母親が死んだ時のことなんて、思い出したくもない。


 だから、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う


 

 アンナと同じようにロイスも必死に否定する。


 だが、もし仮にそうならば、


 今まで考えもしなかったことだが、そうだと仮定するのであれば、

 成長して門出を迎える愛しい娘に冷たく接し、その婚約者に無粋な態度を取るのも......納得がいってしまう。


 否定したい。だが、娘を想う愛を確信しているからこそ思う。

 遠ざけようとしたのではないか?

 

 あくまでも、"使用人"とすることで、万が一の時娘を守ることが出来ると踏んだのではないか?


 もし仮に自分が同じ立場なら......


 いや違う。


 そんな筈ない。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違違う違う違う違う違う違う違う違う



 二人は必死に否定しようとしたが、


 


 悲しいかな嫌な予感と言うものは、当たってしまうのだった。




 そして、現実はどこまでも残酷だった。




 家族三人幸せな未来を描いていた、アンナとロイス。




 その幸せを黒く塗りつぶす、ドスの効いた声が、家の中から響いた。




「トニー•クロース、いや!!!!!!!!!!!!!!!

 バスティアン・シュバインシュタイガー!!!!!!!!

 貴様をスパイ容疑で逮捕する!!!!!!!!!!!!!」

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