第二幕-5

 目の前の少女の発言に、カイム達3人は沈黙で返した。そんな3人の表情はそれぞれ異なり、アマデウスは一応危機が去ったという事実に安心の表情を出している。一方でブリギッテは半口開け眉間に皺を寄せる呆れ顔で剣をしまい、カイムだけが状況が理解出来ずに口をへの字に曲げて苦しんでいたのだった。

 1人困惑するカイムの思考には特にぼろ布少女が"貴族"へ"自分を買ってくれ"と言っていた事が強く残っており、彼は自分を含めた3人の中で最も貴族に見える人物に目を向けたのである。


「そうならそれで構わないけど……ブリギッテさんは女の子の方がいい人なの?」


「何を言ってるんですか……彼女は貴方に言ったんですよ、カイムさん」


 天を仰ぎ思考を巡らせるカイムのたどり着いた答えに、ブリギッテは顔を耳まで赤くすると言葉を詰まらせた。そのまま彼女は慌てて反論しよう口を開いたが、カイムはいたって冷静と言いたげな真顔で何度となく頷くのである。その"何もおかしいことはない"と言いたげに腰に手を当てるカイムの姿のお陰で、ブリギッテも自然と冷静になった。

 そして、呆れ半分でカイムへ言ったブリギッテの一言に、彼は自分を指差すと軽く笑い首を横に振ったのである。


「だって私は貴族じゃ無いもの。君は貴族の家の人でしょ?」


「確かにファルターメイヤー家は子爵位ですけど、引き継げるのは姉だけです。私はただの騎士ですよ」


 カイムの断言にブリギッテは一瞬黙った。

 そして、ブリギッテはカイムが貴族についての知識の薄い人物なのだと理解したのである。そのために、ブリギッテは淡々と説明しつつも言葉に少しばつの悪い表情を浮かべた。そんな彼女の表情に、カイムは苦い顔をしつつ自分が貴族に勘違いされる理由を少し考えだした。その思考も騎士と執事を連れた仕立ての良い服の男というところまで連想したところで、彼はことの全てに納得した。


「いやその……君さ、悪いけど私は貴族じゃないし、君を買うだけの金もないんだ」


 カイムはぼろ布少女に肩を竦めて自虐気味に言った。出来るだけ相手を傷付けない様に断ろうと考えた彼は、最終的に軽く正論を言って逃げ去ろうという結論に達したのである。


「人には事情ってものがあるけどさ……貧しくても、女の子が身の危険の対策も無しに自分を売るなんて良くないよ」


 嘗ての自分の行動から人に言えた事ではないと理解しつつ、カイムは捨て去った"敬一"としての意見を混ぜつつ少女に言った。

 カイムはスラムのような過酷な貧困は知らない。彼は今でこそ尋常ならざる力を持つ魔人だが、それまではただの大学生だった。そんな奨学金の為に休みをバイトで塗り潰す程度しか知らないカイムの人生経験からすれば、眼の前の少女はその一言が限界だったのである。

 だが、カイムのその一言はぼろ布少女の肩を震わせると、彼女は奥歯を噛み締めると隠そうとしていた感情を露にさせた。


「"大事に"って何ですか?食事も殆どできないのに、餓死から逃れるより大事な事って有るんですか!」


 感情的になった少女は動揺するカイムに詰め寄ろうとした。その少女の足取りに少し遅れて、ブリギッテは彼女とカイムの間に立つと仕舞った剣の柄に再び手を添えたのである。


「彼の不用意な言葉は謝罪します。とにかく今私達は急いでいるんです。ここで失礼します」


 騒ぎを聞きつけ建物の軋む音や足音が少しずつ大きくなり周囲に人が集まり始めたことに気付くと、ブリギッテは少女に軽く頭を下げると先を急ごうとした。そんな彼女の意図に気付いたカイムとアマデウスも彼女の後に続こうと急いで歩き出したのである。

 だが、ぼろ布少女はすかさずブリギッテの横をすり抜け歩きだしだカイムの腕にしがみついた。その動きはまるで吹き抜ける風のように速く、彼女の動きにはブリギッテも少し遅れて振り返ると程なのであった。


「この際貴族じゃなくてもいいんです!もうここで苦しいのは嫌なんです。どんなことだってします!何でもやりますから!お願いします!」


 少女はやけくそとばかりに大声で言葉を並べ始めた。その声は澄んでよく通る分、スラムの中に響き渡るのである。そうなると、当然ながら異常を察知した住人達は事態を確認しようと集まり始め、いつしかカイム達の周りには人だかりが出来始めたのであった。

 急激に悪くなる事態を前にして額に汗をかき始めるブリギッテだったが、その横でカイムは驚きと共に現実の貧困というものへの理解が追い付いた。

 その、その理解はカイムを1つのアイディアへ導いたのだった。


「そこまで言うならわかった。私は無一文だが、衣食住だけは保証できる。帰りにもう一度この道を通るから、君の気が変わらなかったら私が面倒を見よう」


 突然掌返しをするカイムの言葉に、ぼろ布少女は怪しみつつしがみついた腕からカイムを見上げて睨みつけた。その鋭い視線を前にしても、カイムは彼女の腕と自身の腕の太さの差や己の身体能力を前にして敢えて虚勢を張ってみたのだった。


「保証できるんですか?」


「この世界において名前を付けるのは貴重なんだよな。君に名前を今ここで付ける。そうすれば少なからず逃げられたときに探す宛も付くだろう?どうだい?」


 色素の薄く長い睫毛から覗く少女の青い瞳を見つめつつ、彼女の言葉にカイムはすかさず答えた。その少女に対する突然の提案に、彼女は息を呑んで目を丸くし、ブリギッテは彼に驚きの視線を向け、アマデウスは静かにカイムの隣に歩み寄ると小声で耳打ちしたのである。


「まさかとは思うけど、君は彼女を……」


「ゲスの思考かも知れないが、飢えと貧困は人を窮地に立たせる。彼女には……いや、ここにいる人々は後が無い。わかるだろアマデウス…たったひとつの冷たいやりかただ」


 自身の問に多少言葉に詰まるものの答えるカイムに、アマデウスは複雑な表情を見せた。それでも、彼は少し唸り悩んだ末に納得して頷いて見せたのである。

 そんなカイム達のやり取りを前に、名前を付けるのという所で強く反応した少女は黙って彼を見つめた。


「印象に残る名前か……そうだな、単純かつ短いのがいいか……?ギラなんてどうだい?名字は戻った時までに考えておくよ」


 突然訪れた幸運と、その瞬間が一瞬で終わりあっさりと名付けられた事実に少女は驚き、余りにも突然の事に彼女は呆然とした。

 そんなギラと名付けられた少女の隙を見たカイムはブリギッテとアマデウスの腕を取り、3人は彼女の脇をすり抜け先へと進んだのである。


「良いんですか、不用意に名前を与えて?名前って貴重なんですよ!ましてスラムの……」


「良いんだ!これで良いんだ」


 ブリギッテの発言をカイムは遮ると、理由を求める彼女の視線に彼は大きく溜め息をついた。


「少し早くやるべきことが終わったんだよ。とりあえず先に行こう」


 カイムの言葉に首をかしげたブリギッテはアマデウスを見たが、彼はただ頷いて前へ歩き出したのだった。

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