第二幕-3

 カイムが与えられた自室より拠点として利用している城の書庫と城門は歩いて行ける距離だった。その城門までの通路から回りを見回すと、広大な城は過去の戦いの爪痕を残したままでだった。サッカースタジアム以上の広さの中庭には爆発の跡と思える窪みがいくつも有り、城壁には放置された無数のヒビから蔦や草花が青々と育っているほどである。更には屋根の崩れた箇所も数えるのが面倒になるほどであり、カイムは30を超えた頃から数えるのをやめた。


「戦いは大敗北って所か?」


「大敗北なんかで済めば良い方だよ……」


 戦争時の魔王軍の平均装備は剣や盾、槍や弓矢等と言った武器だけである。それに対して、最後に侵攻してきた王国連合という軍は魔法を使ったと歴史書にあった。

 だからこそ、それを知ってあえてカイムはアマデウスに尋ねかけると、彼は呆れ顔で答えるのであった。


「魔族は魔力はあっても、性質の違いから魔法には使えないんだ。魔力で自分の力を強くしても、近づけなくちゃ戦えないよ」


 これまでの情報収集やその都度されるアマデウスの説明を聞いたときには、カイムに魔法を使う相手との戦闘のイメージがついていなかった。

 しかし、城の被害を目で見てアマデウスの言葉を聞けばカイムにも魔法が如何に厄介な物かよく理解できたのである。


(魔法対策はあれしかないよな……量産、いや作ってもらえるかが問題だよな。細かい構造までは書いてないしな……)


 カイムは自分の背中の荷物を一瞥すると、どうなるか予測のつかない先のことだとして考えるのを止めた。


「なぁ、アマデウス。同行者ってお前だけじゃダメなのか?あれじゃ無駄話の1つも気を付けてなくちゃいけないじゃん」


「城の外は結構治安が悪いんだよ。復興が進んでないからさ、護衛が必要なんだよ。僕が戦えるように見えるかい?」


 カイムはアマデウスに気だるげな小声で話しかけた。彼が異世界から来たという事実は、未だ召喚初期の混乱で教えてしまったアマデウスのみである。

 そして、アマデウスの助言によりその事実を城の全ての者に対して隠し続けているが、それ故にファルターメイヤーの妹が同行する現状でカイムは喋ること一つ一つに悩みながら会話に注意する必要があった。

 そんなカイムとアマデウスの小声の会話が気になったのか、先頭を歩くファルターメイヤーの妹は何度か肩越しに何度か振り返り2人の様子をうかがっていたのである。

 カイムはファルターメイヤーの妹の視線に気付くと、アマデウスに脇を小突かれ渋々首筋を掻きながらファルターメイヤーの妹に話しかけた。


「どうかしましたか?えっと……何て呼べば良いですか?」


 名前のある人物の方が少ないこの世界で、カイムは人を呼ぶときに純粋に困った。彼はこの世界独特のマナーなどを知らないため迂闊なことは言えず、他人や知り合ったばかりの人物をお前呼ばわり出来る程の度胸も無いのである。


「そうですね、"ファルターメイヤー妹"とか"あなた"なんて呼ぶ人は多いですね」


 カイムの言葉にファルターメイヤー妹は俯きながら答えた。その口調は明らかに暗く、カイムはこの世界の名前があることの価値について改めようと考えたのだった。


「でも、良いですねカイムさんは。凄い力もあって名前もあるなんて。やっぱり名前があるって羨ましいですよ」


 カイムの考え事をしているのに気づかず、ファルターメイヤー妹は話すほどに声を暗くして語った。

 その内容を危うく無視するところだったカイムは、アマデウスが脇腹を突くことで考え事を止めて話を聞くことに集中し始めたのである。


「お姉ちゃんはすごく凄いのに。私は全然何もできないから、昔は周りからファルターメイヤーの名前もあまり出すなって。お姉ちゃんは気にするなって言ってるけど……」


 劣等感の塊の様なファルターメイヤー妹の弱々しい口調からたどたどしく語られる独白に、カイムは背中がむず痒くなった。彼は打たれ強いが根は暗く、その同族嫌悪にも似た感覚を女性に感じることがカイムには異様に耐えられなかった。


「つまり、名前を付けて呼んで欲しいって事かな?名前くらいなら思い付く限り色々出せるけど」


 だからこそ、価値観を改めると少し前に考えたにも関わらずカイムはファルターメイヤー妹の劣等感を反らすために、思った言葉をそのまま口に出してしまった。自分の発言と意外と低かった不快感への耐久力に、彼は後悔を一瞬で済ませ即座にアマデウスへ助けを求めた。

 だが、アマデウスは呆れる様に頭を振ると自分達の眼の前を指差した。彼の指先にはファルターメイヤー妹がいたが、彼女は顔を赤くするとその口元に両手を当てていた。一瞬見えた彼女の口元には喜びの笑みが浮いており、少なからず怪しまれなかった事にカイムは安堵したのである。


「でも、名前ってそんな簡単に思い付く物なんですか?いくら魔王の力を受け継いでいるとしても難しいんじゃ……」


 名前について感じた疑念をファルターメイヤー妹が尋ねかけたが、彼女の反応から安心したカイムは彼女の名前を少し考えた始めた。その顎に手を当て黙る彼の姿を前にしたアマデウスは、即座に口へ立てた人差し指を当てファルターメイヤー妹を黙らせるのに上手く利用したのである。

 そして、暫くその場に沈黙が流れた。


「やっぱり可愛い感じでドイツ語か…」


 カイムがそう呟くと、彼は記憶の彼方の中にある大学の講義で受けたドイツ人名を思い出した。能力調査である程度力の使い方を理解していたカイムは絶対記憶に近い能力をある程度使い熟せており、その記憶の中の女性名をひたすらに唱え流していった。


「ブリギッテって女性名だよな。ローレとかアーダとかビアンカ……」


「そっ、そんなに色々名前って有るんですか!」


「まぁ、知り合い?に聞いた分だけだよ!」


「それでも十分ですよ!やっぱりあなたは救国の英雄なんですね!」


 思い出せる範囲でカイムが女性の名前の例を出すと、ファルターメイヤー妹は焦りながらカイムとの距離を一気に詰めて近寄って来た。あまりにも様々な名前が列挙された驚きと、それが自分に付くかもしれない期待の混ざった表情を浮かべたファルターメイヤー妹にカイムは一瞬身を反らした。

 そんな興奮気味のファルターメイヤー妹の問いかけへ異様に知識があることを今更のように誤魔化したカイムだったが、彼を無視して彼女は目を輝かせながら身を反らしたカイムへさらに詰め寄ったのである。


「この世界には名前が殆どないから思い付くことだけでも凄いんだよ」


 恐ろしの思えるほど目を輝かせるファルターメイヤー妹に、今更のようにカイムへ耳打ちをするアマデウスに彼は奥歯を噛み締めながら"何故早く教えなかった"と視線だけで主張した。

 そんなカイムとアマデウスのやり取りに気付くと、自分の行動に恥ずかしくなったファルターメイヤー妹は赤くなった顔を両手で覆うとその場に踞った。


「あのっ……わたっ、私は最初の名前で……"ブリギッテ"というので大丈夫ですから、他の名前は他の人に付けてあげて下さい」


 自身の謙虚さから"ブリギッテ"と成ったファルターメイヤー妹は、蹲ったままその場で深呼吸すると興奮冷めやらぬ状態で立ち上がり足早で先に進み始めた。

 一方で豊富な知識とそれを持つことの不自然さを追及されなかったことに安堵したカイムとアマデウスは、先へ行く彼女の後を追った。

 こうして、紆余曲折ありながらも城門までついたカイム一行は、通用扉を開いて外に出ようとしたのである。


「カイムさん、出来るだけ私から離れないで下さいね。何かあったら大変ですから」


 そんなブリギッテの放つ何気ない一言でカイムが背筋を冷たくすると、一行は遂に城外へ足を踏み出したのだった。

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