第一幕-4

 敬一とカエル執事が衣装部屋に続く廊下を歩き到着するまで続けた会話で、敬一は彼が思っていた以上に多くの情報を得た。

 敬一が目覚めた場所は、ジークフリート大陸というこの世界に3つ有る大陸の1つであった。この大陸はガルツ帝国という国が全土を納めており、その下で多くの魔族が皇帝の統治に従い各地で暮らしていたのである。

 そのジークフリート大陸と大海を挟んだ隣の大陸にはヒトやエルフ、ドワーフなどの比較的人間に近しい種族がすんでいるファンダルニア大陸があり、更にその大陸から北にはハイエルフが統治するリリアン大陸があった。

 そして、ガルツ帝国は大昔からヒトやエルフ達の国が結成した王国連合なる軍勢に何度も侵略されており、海を隔てているにも関わらず侵攻の度に魔族が敗北しているため国の崩壊は何時起きてもおかしくないらしい。そこに加え、王国連合からは勇者という恐ろしく強い戦士が何人も存在して、過去に受けた王国連合からの大規模侵攻で、敬一のいる首都が陥落し皇帝が戦死したのだった。

 そのため、統一の象徴がなくなった戦後の帝国では、生き残った有力貴族の一部が横暴を効かせているため、国どころか国民の疲弊が限界となった。この事態を打破し帝国再興と王国連合への復讐のために、皇女であるホーエンシュタウフェンが父親の亡骸と部下の命を引き換えに敬一の魂を呼び出し、亡骸へ定着させたという。

 これらが敬一がカエル執事から得た情報である。


「先代皇帝ホーエンシュタウフェン様は、最後の戦いの前に姫様へ賢者の魔杖を託されたのです。その杖は使う者が必要とする能力を持つ存在を代償と引き換えに呼び出すのです。そしてあなたはここにいる訳です!」


 敬一としては全く納得出来なかったが、自身の置かれる状況や事情や大まかな流れは理解出来た。

 しかし、敬一は今まで格闘技も魔法も使えない、ただの大学生だった。かろうじてサーフィンなどというお洒落な趣味のおかげで人より多少運動は出来るが、戦うなどは彼自身をして論外である。

 魔法に関しても、彼は魔法使いと呼ばれる権利を20歳の誕生日に中退という形で失っていた。

 カエル執事から話を聞き下らないことや思い出を心に巡らせているうちに、敬一達はいつしか衣装部屋に着いた。

 部屋は廊下同様に、嘗てはきらびやかであっただろうと思わせた。だが、手入れのされてない壁や家具は既に色褪せ始め、ところどころ黒ずんでカビが生えている。

 しかし、服やそれらが仕舞われる衣装タンスやクローゼット、その周辺の壁だけは異様に手入れが施され、室内における異世界のように敬一の視界に残るのだった。


「お着替え手伝います」


 衣装タンスやクローゼットから肌着やシャツを取り出したカエル執事は、敬一へ折り畳まれた布地を開きつつ着替えの準備を始めた。胸を張り服を見せつけ彼の着替えを一声掛けて手伝うカエル執事の自信に違わず、敬一が纏った白いシャツにグレーのズボンはシンプルなデザインだがとても良い材質なのである。

 普段ならショーケースの中に飾られる様な服に感心する敬一は、視線の端に入った姿見を一瞬受け流そうとした。

 しかし、即座に2度見する程に敬一はその鏡に映る自分の姿に驚くと、反対側で自身と同様に慌てるその姿に驚愕したのだった。


(そういえば言ってたな……亡骸に魂をなんたらって)


 姿見に写っている敬一の凝視する姿は、彼が嫌と言う程によく知っている自分の顔ではなかった。鏡に写る彼の姿は、赤毛がかった髪に両側頭から闘牛のような角を生やしている白人であり、多少筋肉質な体には無駄に濃い体毛が生えていた。少し髭を蓄えた顔は日本人離れした顔であり、俳優の様な整った顔という訳ではないにしろ、前の顔よりは遥かに整った顔となっている。

 元の体でも、敬一は濃い体毛と髭に悩まされていた。だが、変わり果てた姿の前に、彼は嘗ての自分と共通する点を見つけ懐かしさを感じさせたのだった。


「ありがとう。えっと……そういえば名前聞いてなかったな。なんて言うの?」


 姿形さえ変わってしまったことに愕然とした敬一だったが、彼は着替えを手伝うカエル執事の姿に気付くと直ぐに肩へ力を入れると敢えてに話し掛けた。

 しかし、その敬一の一言はカエル執事の顔を気まずそうにさせ、乾いた苦笑いをさせたのである。


「僕……いえ、私は平民出身なので……」


 カエル執事はまるで皮肉を言うような自虐的な口調で呟いた。そんな彼の表情に、敬一は違和感を感じて眉を寄せ疑問の表情を浮かべた。


「平民には名前が無いのか?」


 迂闊な発言に気を付けようとしていた敬一だったが、彼はなんの気なしについ口をついて出た疑問に後悔した。そんな後悔の表情を浮かべる彼の視線の先に立つカエル執事は、ヒトなら眉が有るべき場所を大いに顰めると僅かに後退った。


「南部の方でも、名前は皇帝一家に貴族か、それに近しい家柄にしかないのは常識。あなた……この大陸のひとじゃないですね?」


 怯えと疑問に警戒心が混ざった口調で、カエル執事は敬一に尋ねた。その口調は露骨な怯えを見せており、彼は直ぐにでも逃げ出しそうな程に震えた。

 そこに加えてカエル執事が少しずつ後退りしていること気付くと、焦った敬一は両手のひらを前に出して彼を引き留めようとしたのである。


「待ってくれ!」


「何を待てば良いんですか?逃げるのをですか?嫌ですよ、誰だって殺されたくないです」


 考え無しに言った言葉だったために、敬一は声を張ったその次に何を言えば良いのか思いつかなかった。その間が余計にその場の空気を冷たくすると、カエル執事は更に彼へと猛烈な警戒や突き放す言葉を向けたのである。

 自分を丸い瞳でただ見つめるカエル執事に、敬一は諦めた様に天井を見上げ深呼吸すると、意を決して怯える彼の顔を見詰めた。


(もう成るようになれ)


 そう思いながら敬一はカエル執事に言った。


「確かに私はこの国、いやこの世界の生まれじゃない」


 語り始めた敬一の言葉は、警戒の為使っていた"俺"という一人称を忘れる程に余裕がなかった。


「第一、敵だったら最初にホーエン…えっと…」


「ホーエンシュタウフェン!」


「そうそう!ホーエンシュタウヘンだかフェンって美人を殺そうとするだろ?それをしないんだから敵では無いって解るだろ?」


 突然置かれた異様な事態に適応しようとしていた敬一誤魔化しの態度はそこにはなく、素の敬一を出して彼は話しだした。

 そんな敬一の捲し立てた正論は呆れ半分の口調で放たれ、それを受けたカエル執事は頭を掻きながら反論に困った。


「そっ、それは……その……そう!アモン様が居たから!」


「その強い王国連合っていうのは護衛の1人にビビるような暗殺者を送るのか?無いだろそんなの!それにお前を殺すなら、とっくの昔に殺すだろ!」


 敬一はカエル執事のしたり顔で放つ反論をすぐさま言い返してみせると、カエル執事は断言しきるような彼の言葉に対してぐうの音も出なくなり行き場のない手を顎にあてた。


「言われてみれば、確かに……。じゃあ、あなたは一体何者なんですか?」


 カエル執事をなんとか納得させた敬一だったが、彼の質問には直ぐに返事を出せなかった。その僅かな沈黙は正論の連発により納得を得かけたカエル執事の表情を再び曇らせ始め、敬一は一瞬考えると直ぐに真剣な声音で呟いた。


「異世界から来たって聞いて、信じるか?」


 そして、敬一はカエル執事が口を挟む前に包み隠さずすべてを話した。自分の名前が品川敬一である事。元々いた世界では魔族やエルフがフィクションである事や、一般家庭に生まれた事。それまでの人生に、父親が死別し母と妹と3人暮らしな事。趣味や女の好み等、更にはどうでもいい政治的思想さえ全て説明した。


「信じないなら別に良い。とにかく私は敵じゃないんだ!それだけは理解してくれ」


 長々と話し終えた敬一は、心労を前に深く息をつくと床に落ちたジャケットを拾い手際よく羽織った。


「何なら君の口から、私は戦いなんて全くできないって事をあのお姫様に言ってくれないか?変に怒りっぽそうだったし、ヤバそうになったら助けてくれると嬉しいかな?」


 敬一は全てを諦めた様な気楽さで笑い、余計かとも思った言葉さえも付け足してカエル執事へ肩をすくめての見せた。


「平民も名前を持てる……」


 そんな敬一の言葉に、カエル執事は彼を暫く見つめると、俯いて静かにそっと呟いた。そのすぐ後に、彼は2度程頷くと敬一の眉間を目掛けて人差し指で指差した。


「嘘臭いけど、わかった。ただし!条件を付けるよ」


 突然のカエル執事の条件という言葉に、敬一は手振りで話を続けるよう促した。

 その反応を前に、カエル執事は咳払いすると自分の前腰に両手を当て大きく胸を張った。


「一応、君は英雄になったんだ、偉くなったんだよ。だから名前を誰かに付けられる権利がある」


 最初こそ強かったカエル執事の口調は語るほどに力がなくなり、顔を赤くすると彼の声は終わりにつれて小さくなった。

 だが、敬一はそんなカエル執事の言葉に全てを察すると、納得したように大きく頷いたのである。


「名前くらい安いもんだよ!どんなのがいい?」


 敬一はカエル執事へ任せろと言った具合に胸を叩きながら言ってみせた。そんな彼の反応に、カエル執事は満足そうに腕を組むと瞑想するかのように考え始めたのである。


「そうだな…何か凄いことが出来そうな名前が良いな!」


 目を見開き言ったカエル執事の中々難しいお題に、敬一は少し考えた。それは、敬一がこの世界において2人しか他の名前を知らないためであり、下手に日本人のような名前をつけることはどうなのかと考えたからだった。


「この世界の人は、あの2人以外だとどんな名前があるんだ?」


 敬一にそう訪ねられたカエル執事は、大きく唸りながら頭を回し天を仰ぎ、脳裏に何人か人物の名前を捻り出そうとした。


「そうだな……ファルターメイヤーとか、クラウゼヴィッツとか……ケイイチ?の言っていた名字って言う概念は有るけど、個人を表す名前という概念ないよ。少なくともこの国にはね」


 ジークフリートやクラウゼヴィッツと聞いて、敬一はドイツ語を思い出した。大学のたまたま起きていたドイツ語の講義で、ドイツ人の姓と男女の名前解説していたのを思い出した。

 その講義はほぼ受け流していたことで記憶の引っ掛かりは朧気なはずである。それでも、敬一は異様にその記憶が鮮明に脳裏を駆け抜け、その中から1つの答えを叩き出したのである。


「アマデウス……ルーデンドルフなんてどうだ?待てよ、この世界には個人を表す名前の部分は無いんだっけ」


 偉人であるモーツァルトの名前を持ち出したことに、敬一はやり過ぎな気を感じた。そこにそもそも名字だけということを思い出すと、彼は顎に手を当て再び考えようと頭を捻らせ始めようとした。


「アマデウス……ルーデンドルフか……。いやっ、それで良い。何か格好いいし気に入ったよ」


 敬一の考えに満足そうに頷くカエル執事のアマデウスは、彼へ笑顔で頷くと胸に手を当て何度となく頷いたのである。

 そんなアマデウスの笑顔に、敬一は肩の力を抜くと自分の右手を彼の前に差し出した。


「何だい、いきなり?」


「握手だよ。これから色々助けて貰うしな。友情の印だよ」


 アマデウスの疑問に、敬一は気楽に答えた。

 異世界に1人きりより全てを知っている誰かの存在がきっと必要だと敬一は考えた。そんな敬一の考えを知ってか知らずか、アマデウスは無言で彼の手を握った。


「とりあえず、異世界とかの事は黙った方がいいよ。どうなるか解らないからさ」


「ありがとう」


 アマデウスのアドバイスを前に、敬一は不思議と彼とは仲良くなれるような気がした。


「それとケイイチ…シナガヤ?だっけ。その名前は変えた方が良いよ。無駄に変だし、格好悪い」


(いい雰囲気が台無しだ…)


 そして、新たにできた友人から早速放たれる指摘を前に、敬一は肩を落としながら早速自分の偽名を考え出したのだった。

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