第一幕-5
敬一が着替え終わり、応接室から呼び出されるまで1時間ほどかかった。その間に敬一はアマデウスと偽名や偽の経歴についてあれこれと話し合ったのである。
それまでにハンス・ガーデルマンやアドルフ・ルーデル等の思い付く限りのドイツ人風かつ敬一なりに格好いいと思える名前を挙げたが、大抵はアマデスウに響きが悪いなどの理由から却下された。
だが、数多に上げた名字の中でもリヒトホーフェンだけはアマデウスから良いと言われたのである。というのも、彼の記憶の片隅にあるお伽噺の英雄はその名前を名乗っていたということであった。
そして、最終的に敬一はカイム・リヒトホーフェンと名乗ることになり2人の相談は終了した。
話し合いの中でも、名字ではない"カイム"と言う"名前"は本当は必要ないのだか、とあるリアルロボットアニメの影響でソロモン72柱の悪魔の名前に詳しくなった敬一はその衝動を止めるわけにはいかないのであった。
そんなカイムが通された応接室は他の部屋に比べてかなり損壊を免れていた。そんな室内の家具はクラシックなソファーと机のみであり、ある程度部屋が広いためカイム側は僅かに物悲しさを感じさせるのである。そのソファーには白いドレスに着替えたホーエンシュタウフェンが座っており、その横には鎧を脱ぎ軽装になったアモンが立っていた。
そんな2人の後ろには、書類や紙束、本や燭台やたらと主張の激しい執務机と化粧台、菌装飾されたソファに姿見や食器棚があった。そのため、カイムは自分の前にある机を境界とした部屋の家具の配置とその落差を前にして本当に応接室にいるのかわからなくなった。
「馬子にも衣装ね。見た目だけは随分良くなったわ。改めて自己紹介は必要かしら?」
着替えたカイムの姿を目線で上下に数回確認したホーエンシュタウフェンは薄っすらと笑い、カイムに尋ねかけた。その言葉に彼は右手を振りながら身振りで断り、話を続けるよう掌で促したのである。
「なぁ、アマデウス。ここ本当に応接室なのか?」
「そうじゃなかったら連れてこないよ……色々兼用してるの……」
そんなカイムはホーエンシュタウフェンが満足そうに頷く姿を横目にアマデウスを手招きすると、彼の耳があるであろう頭の横に小声ながら部屋に響くよう話し掛けた。その嫌味に対する反抗はアマデウスの顔を青くさせるも、彼は律儀にカイムと同じく小声で説明したのである。
そんな2人のやり取りはソファーに座っていたホーエンシュタウフェンの耳にもきちんと届いたようであり、彼女は即座に眉をひそめた。
「あなた、一体誰に名前なんて付けてもらったの?もしかして、この失敗作?」
「失敗作とは随分な言い方だな。唐突に召喚なんて訳のわからん事しといて」
露骨に不機嫌と伝えるような早口でホーエンシュタウフェンはアマデウスを刺すように睨みつけた。その赤い瞳が作る鋭い視線は彼を凍りつかせ、その視線を流すようにしてホーエンシュタウフェンはカイムを見つめたのである。
そんな彼女の言った"失敗作"という言葉が引っ掛かったカイムは、それまで浮かべていた笑みを消して僅かに目尻を震わせぎこちなさを見せつつも目付きを悪くすると、自身を睨みつけるホーエンシュタウフェンへ突っかかるように言い放った。その吐き捨てるような言葉は彼女の眉を揺らし、僅かに奥歯を噛ませた。
「それに私の名前はカイム・リヒトホーフェンだ」
「カイムリヒトホーフェン?リヒトホーフェンなら昔話の英雄の名前ね。わざわざ頭に"カイム"なんて付けるとは、あなたの先祖は随分不思議な事をするのね」
カイムの最後に付け加えた言葉はホーエンシュタウフェンの顔を曇らせた。それは彼女の言葉通り、知っている名前に聞き慣れない単語が急に付けられたからである。
そんなホーエンシュタウフェンは口元に浮かぶ笑みを隠しつつ小馬鹿にするように返した。その古典的とも思える馬鹿にする仕草に、カイムは自身の価値観とこの世界の価値観との差に額に手を当てると小さく溜め息をついて頭を軽く振って見せたのだった。
「違う違う。カイムが私を表す名前で、リヒトホーフェンが家を表す名字なの!」
言いきった後に、カイムは自身の説明がこの場にて余計過ぎるものと感じ、横にいるアマデウスを目だけ動かし見た。当然ながらその視線とアマデウスの目は合流し、"何故聞き流さずに訂正するの"と言いたげな目線はカイムに直撃した。
しかし、カイムはアマデウスへ反論することも視線で返すこともせず直ぐ前方を見た。
それはカイムの言葉で訝しむ表情を浮かべるホーエンシュタウフェンを対処するためであり、彼女は人差し指を顎に当てるとその瞳を細めた。
「名前が2つ。しかも個人を表す名前って……?この帝国にそんな風習を持つ地域は……」
ホーエンシュタウフェンの発言に、カイムは背中に走る冷たい感覚を覚えた。それが本能的生命の危機と理解すると、その危機感に促される様にカイムが彼女の横に立つアモンにも視線を向けると、彼の目にも不信感が宿り始めた。
「確かそんな風習が南部の奥地に有ったような……?そうじゃなかったら自分は名前なんて付けてもらいませんよ!」
カイムの身に早速迫った危機的状況はアマデウスの無理矢理感溢れる発言によって静まり止まった。その停滞が自身の終焉と思えたカイムは彼を睨み付け、2人の間に見えない火花が烈しく散った。
だが、アマデウスの助け船はホーエンシュタウフェンの怪訝な視線を少しだけ緩ませ、彼女は顎に手を当て僅かに上を向き考え始めた。
「そうなんだよ有るんだ南部にはさっ!そうだそういえばこいつの名前何にしたか言ってなかったですね!ほらせっかく付けたばかりなんだから、かっこよく自己紹介してみなよ」
「そうだね。姫様、僕は今日からアマデウス・ルーデンドルフとなりました」
自身の横ででっち上げのホラ話を真に受けるホーエンシュタウフェンに反して未だに不信感を向けるアモンを無視して、何とか彼女を騙そうと考えたカイムは席から立ち上がると、無理矢理な話題転換をかけた。その咄嗟に出た一言に付き合うアマデウスも予期せぬ事態を前にしながらも必死に語って見せると、異世界から来た事を隠すためとはいえ漫才の掛け合いのような会話にカイムは恥ずかしさを感じた。
その気恥ずかしさを隠すようにひとしきり言い訳を済ましたカイムはいそいそとソファーに腰かけた。
そんな2人の会話の早さや勢い、間の抜けた流れに押し流されたのか、ホーエンシュタウフェンは呆れによって一旦猜疑心を心にしまった。
「まぁ、それについてはおめでとうと言っておくわ」
僅かに声を出し尋ねかけようとするアモンを制したホーエンシュタウフェンは、数回の軽い拍手をしながら気だるく言うと、ソファーの肘おきで頬杖をついた。
「とりあえず、南部の田舎者にはあまり期待をしてないから。知ってるかしら?自分の魔力は自身の内で抑え込み漏れ出さないようにするのがマナーなのよ。常識のない者に救われるほど帝国は落ちぶれてはなくてよ!」
ようやく去ったと思えた自身の危機がホーエンシュタウフェンの突き放すような棘のある一言で再び現れると、カイムはすかさずアマデウスを見た。その視線を前に彼は首が取れそうな勢いで何度となく首を振り知らないとアピールをしたのである。
カイムではなく敬一としては、いきなり異世界に飛ばされて、自分どころか何とか出来たこの世界の仲間さえ知らないマナーで小馬鹿にされると怒りが多少なり積もった。
「アマデウスから聞いたぞ。私は救国の英雄らしいじゃないか。もう少し優しい態度してもいいんじゃないか?」
「あらっ、そうかしら?さっきのこの世の終わりみたいな表情を見たら。ねぇ?」
カイムの頬を震わせる笑みから流れる言葉を前に、ホーエンシュタウフェンは微笑みを右手で隠しながら同意を求める視線を隣に立っているアモンに向けた。
「少なくとも、先ほどから漏れだしている魔力量から、失敗作は言い過ぎだと思いますよ姫様」
しかし、アモンはカイムを擁護しつつ、どちらにも角が立たないような物言いで軽く状況を受け流したのである。
「あら、あなたこういう人嫌いだろうし同意してくれると思ったわ」
「確かに軽薄そうな感じがするが、南部からデルンへ転移…しかも魔王の体に定着したというのに比較的冷静だ。評価すべき所は有ると思うよ」
アモンから同意の言葉が聞けると思っていたホーエンシュタウフェンは彼にジト目で文句を垂れた。その言葉への返答は正論そのものであり、彼女少し黙り批判の視線を彼に向けたあと再び頬杖をついた。
「まぁ、アマデウス……だったかしら?私の執事から色々聞いてるみたいだから、事情の説明は省略しようかしら?どう、アモン?」
口をへの字に曲げて不機嫌そうにホーエンシュタウフェンは隣のアモンへ尋ねかけた。それに無言で頷くアモンへ微笑む彼女を見て、カイムは二人の距離感が妙に近いことをひしひしと感じ始めたのである。
その理由がアマデウス曰く2人が婚約者であることと思い出したカイムは、少しだけ目の前の二人の雰囲気に彼女を持ったことのない男として嫉妬を懐きつつ、態とらしく大きな咳をして会話を再開しようとしたのだった。
「話を続けてもいいかなホーエンシュタウフェンさん?だっけ」
嫉妬が先行しすぎたために、少し崩れていたカイムの態度がさらに崩れた。すると彼の後ろ側から部屋に金属の擦れる音が2つ被さって響いた。
「貴様っ!先ほどから皇女殿下に対して何だその態度に口調!無礼だぞ!礼儀を弁えろ似非英雄!」
「ふっ、ファルターメイヤー様!落ち着いてください!」
響き渡る甲高い声にカイムが振り返ると、顔を真っ赤にした長身の美女が腰のサーベルを引き抜こうとし、もう1人の身長の低い美少女がそれを必死に押さえていた。その2人はよく見ると似ている事から、彼は直ぐに彼女達が姉妹なのだとわかった。
そして、カイムはあえて落差を付けた部屋の内装や家具、ホーエンシュタウフェンとアモンに気を逸らさせることで2人を部屋の扉の影に隠し、気づかれることなく護衛を配していたことに気づいたのだった。
「あらあらファルターメイヤー。彼は平民よ。多少の無礼を許せる度量は気高き者には必要じゃない?」
ホーエンシュタウフェンは左手でファルターメイヤーと呼ばれた女性に落ち着くよう促した。彼女は納得いかない表情で渋々カイムやアマデウスの少し後ろに立ち、小柄の少女は会釈すると彼女の隣に立った。
「紹介しておくわ。背が高い方がファルターメイヤー。ホーエンシュタウフェン家の騎士を代々勤めるファルターメイヤー家の家長よ。」
「えぇ、どうもよろしく……」
ホーエンシュタウフェンが軽やかに手で指し示し説明がする中、ファルターメイヤーと呼ばれた女は澄んだ低めの声に嫌々という気持ちと敵意を混ぜてカイムへ会釈した。
「その隣の小柄な子がその妹よ」
「先ほどは姉が失礼しました」
姉と同様にホーエンシュタウフェンに紹介されるファルターメイヤーの妹は、カイムへ深々と頭を下げながら声質の高い声で謝罪を述べた。そんな妹の姿にに"そんな事を言う必要は無い"と言いたげな視線をファルターメイヤーは向けつつ、その謝罪の先にいるカイムを飛びかからんとばかりに身構え睨んだのである。
「だいぶ話がずれたわね。それで…あなたは何か能力なり特殊な武術なりが使えるのかしら?」
「格闘技、能力なんて全くない。喧嘩したことさえ殆ど無い」
ファルターメイヤーを馬を落ち着かせるような手振りで止めたホーエンシュタウフェンは、急に今まで浮かべた笑みを取り払いカイムに問いかけた。
そのホーエンシュタウフェンの凛々しくも真剣そのものな表情に対し、カイムは同じく真剣な表情を浮かべるも僅かに戯けるような口調で即答した。
その返答に部屋にいる全員が呆気にとられ、アマデウスだけら即座に身振りで焦りを示した。
しかし、焦るアマデウスと反してカイムは動じることなくホーエンシュタウフェンを黙って見つめたのである。カイムとしては、ここで下手に嘘をつけば後々厄介になると考えたからであった。
カイムが沈黙し、冗談だと思ったホーエンシュタウフェンは彼が言葉を発するまで待った。しかし、いつまでたっても口を開けないカイムに彼女も痺れを切らしたのである。
「ふざけないで。隠しても意味無いでしょう?期待はしてないけど、必ず私の役に立つことは知ってるんだから……」
「本当に何もないんだ。帝国再興とかヒト族との戦いとかも実感がない。出来れば元の体に帰して……」
カイムへ尋ねかけるホーエンシュタウフェンの震える声も、彼には頭を掻きながら渋い顔を浮かべることしかできなかった。その中で何とか絞り出した彼なりの発言も、急に立ち上がったホーエンシュタウフェンによって遮られたのである。
ホーエンシュタウフェンは俯きながら、肩をふるわてせた。そして、その場にいた全員が彼女が泣いてることを理解した。アモンやファルターメイヤーが側に歩み寄より、カイムも目の前の彼女に応じて立ち上がろうとした。
「あれだけ犠牲の有志を募って……今まで必死に頑張ってきたのに……こんな事になってたら計画も何もかも……」
俯いて表情の見えないホーエンシュタウフェンは、震える声で呟き最後には涙で頬を濡らした顔を上げた。
「意味無いじゃない!」
カイムの頬を勢いよく叩きながら叫んだホーエンシュタウフェンは、号泣に近い顔を両手で隠しながら部屋の奥の扉へ足早に向かった。
一方で叩かれたカイムは一瞬何が起こったかわからなかったが、ホーエンシュタウフェンの臣下であるアモン達が彼女の後を追った事でようやく状況を理解した。
「ちょっとっ!おい、待ってくれよ!」
「あなたなんか知らないわよゴミグズ!」
遠ざかるホーエンシュタウフェンの背に向け、カイムは慌てて呼び掛けた。
だが、そんなカイムをわざわざ止まって振り返って睨み付けたホーエンシュタウフェンは叫び、その歩みを再び進めると扉の奥へと去っていったのである。
そして、カイムは力なくソファーに沈み込んだ。
「姫様は感情的な方なんだ。根は優しい人だけどね。それでも、今の現状はとても不味いよ…どうするのさ、最悪死刑とかになるのかな?」
アマデウスの焦りや不安の言葉やはたかれた頬の痛み、彼女の涙がようやくカイムに自分が別の世界に飛ばされたという実感を持たせた。
だが、今の彼にはソファーに座るのが精一杯だった。
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