"誰でもない君のために"(ディアワン)

 日比野悠芽が手を引く。


 そんな夢を、何度見ただろうか。

 いつもと違うのは、彼女のあとに一人の少年が現れたことだ。


「もっと正しいことをしてみよう。きっと幸せになれるはずだ」

 正しいこと。

 それってなんだ? 自分に正直ってことだろう。

 きっと追い詰められた心が上げた悲鳴だ。


「助けて、鋼音!」

「一子ぉ!」

 呼応するかのように、天井を突き破って白崎鋼音が現れた。彼を覆っていた光条が、繭のように解けていく。


 隕石めいて降ってきた鋼音から、善道はバックステップで距離をとった。


「白崎鋼音…………」

 さぞ恨めしそうに、善道は呟く。その顔が見たかった、と言わんばかりの鋼音は、口元を緩ませる。


「一子は返してもらう」

「赤座くんを返すわけにはいかない」

「僕には一子が必要だ」

「私の不老不死実現には、彼女の能力が必要だ」


 はあ、とため息が漏れる。


「交渉決裂だ」

「交渉決裂だ」

 火ぶたは切って落とされた。


『《時間遡行アガレス》』

 善道が繰り出したスタンプは、予め懸念されていたものだ。


 お互いの勝利条件は一つ。ならば、と鋼音は“不退転”を振るう。

 切っ先は一子の鼻先を掠めた。朱色の双眸はそれからぴくりとも目を逸らさない。


 少し遅れて、鮮血が滴った。時間を遡った善道が、一子に肉薄していた少し前の自分の位置に戻った……そこを斬りつけられたからだ。


「な……」

 驚嘆は善道のものだ。


「時間を戻るんだ。さっきあったことを繰り返すだけだろう」

 傷口を抑えてうずくまる善道を、鋼音が冷徹に見下ろす。


 再びの《時間遡行》も、一刀のもとに切り捨てられる。


「その能力はどこまで戻れるんだ? 五分か? 十分か? 使用制限があるはずだ。何回だ? 使い尽くすまで殺し尽くす」


 《時間遡行》のスタンプには、致命的な弱点がある。



 一つ目は、一度に戻れる時間に限りがあること。時間を遡れるというのに不老不死を求めるということは、この能力では真に時間を超越することができないということだ。


 二つ目は、発動できる回数に限りがあること。一人の人間が使うこと回数か、はたまた一定時間内の回数か、とにかく制限があるのだ。仮に一つ目の制限が一時間だとして、それを好きなだけ繰り返せば不老不死ということになるからだ。

 

 三つ目は、遡行するのは自分ひとりということ。自分以外全ての時間は、通常に運航される。傷も、経験として染み着いていない付け焼刃の技術も放棄される。だからこそ、発動を看破されれれば今回のように予測されてしまう。



「ぐ、くぉおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 絶叫と共に、善道の持つ全てのスタンプが発動した。書架のように並ぶスーパーコンピュータ群が唸る。


『鋼音くん、そのコンピュータはターミナルの一部だ。壊さないでくれ』

「保証しかねる」

 滲むような光を放つ痣。その全てがスタンプだ。十や二十はくだらない。それだけの能力を相手に、周囲を気にするなど不可能だ。もっとも、ここに収められたデータはすでにクラウド化されているだろうし、なにより手紙の能力でサルベージ可能だ。善道自身もこんな弱点だらけの場所で戦うはずがない。


 “ディアワン”のカートリッジに詰められた血と影が弾けた。白い鎧をキャンパスに赤と黒の紋様が走る。


 あらゆる能力を食い潰す黒い|絶零《ゼロ》の波を“影素”の噴射で飛び越え、“血湧き、肉躍るブラッドロード”で数倍に引き上げられた膂力で善道に斬りかかる。

 唐竹でも割るようにして善道の首は肩と切り離された。ゼンマイが回る音と共に時間を遡行し復活。スタンプ生成コンボによって、厳つい手のひらに“不退転”のダミーが握られる。


「ここを基点とする――」

 意味深なことを……おそらく《時間遡行》のリテイク地点の設定だろう……呟く善道だが、鋼音はこれがブラフだと見抜いた。そんなことをしなくても任意の場所に戻れるはずだ。そんな小手先舌先に気を回した隙に、鋼音は善道をなます切りにする。一刀一刀が致命傷、《時間遡行》の発動を強制する渾身の一撃だ。


 死にながら生き返りながら、老人は徐々に”不退転”を弾き返すようになってきた。その事実に焦りを覚える鋼音だったが、間に合わなかった。

 《体感経験エクスペリエンス》の恩恵だ。自身の経験をより身に浸み込ませる能力によって、善道は鋼音の剣技を習得したのだ。予想していたことではあったが、これはおよそ悪い予想通りである。


「くそっ……!」

 “天眼”で繋がっている“プラネタリウム”から、新たな剣技をダウンロード。後頭部を叩きつけられる感覚を噛み殺し、ただ一心に純白の太刀を振るう。

 フェイントを混ぜた手癖が無力化され、突きを主体にした攻めをいなされ、三次元に跳んで走っての立ち回りを見切られた。次第に善道自身の剣技にも冴えが見え、鋼音は二個目のカートリッジを解放する。残りは五セットだ。



◆◆◆



 カートリッジを解放するごとに鋼音の身体能力は強化されていく。強化した鋼音に殺害されるごとに、善道もまたスタンプに頼ることなく鋼音と対等に渡り合う。

 そんな応酬を、二十分は繰り返しただろうか。時折絶命覚悟で一子に《絶零》から生み出した能力の腕を伸ばす善道だが、これは優先して対処される。そういった細かい時間調整と一子への牽制を折り合わせて、鋼音の神経を逆撫でるのだ。


 次第に“ディアワン”にも毀れが目立つようになってきた。善道からの反撃を受けているということもあるが、やはり霖太郎と出灰の能力を沁みさせているのが負担になっている。


「これでどうかね」

 荒い呼吸から、善道は言葉を絞り出す。

 発動した能力は《分裂》だ。新たに三人の善道が鋼音を囲む。分裂体はそれぞれ剣術に特化した者、善道の扱うスタンプの一部を任された者、積極的に善道を守護する者に分担された。彼らもまた、隙を見て一子を狙う。


「ああああああああああああああ‼︎」

 だからといって鋼音も挫けない。“天眼”を通し黒峰研究所のバックアップを受ける彼に対し、人海戦術はあまり効果的ではないのだ。分裂体の連携に間隙を見出し、的確に対処していく。


 なにより一子の存在が、白崎鋼音を奮い立たせる。

 一子を背に戦っていなければ、鋼音はとっくに挫けていただろう。より明確な形で一子を守護することで、そのために生み出された“誰でもない君のためにディアワン”もまた眩い心の光を放つ。


 ――。

 ――――。

 決着は唐突だった。


 合わせて四人の善道を相手取る鋼音の前から、本体である善道が姿を消したのだ。


「しまった――!」

 《時間跳躍》を応用したワープ。しかも初めて首を斬り落とした場所にまで戻っている。

 これほどの巻き戻しならば、おそらく刀剣技術もすべてリセットされているだろう。そのリスクを負ってまで移動したのだ。ここが善道にとっての勝負所である。


 その実、その選択は大胆ながら正鵠を射ていた。

 《時間遡行》の弱点その三を逆手にとった、鋼音が攻めあぐねる分身三体を残しての単独行動。加速した戦闘の中では、なかなか採れる選択ではない。


「ふくくくくくっ……君の刀を通して伝わってきたぞ、白崎鋼音くん。そうか。願いというのは押し付けるものか。そうか、そうだったな……」

 熱に浮かされたように呟く善道は、激化する戦闘に腰を抜かしていた一子に歩み寄る。


「善道ぉおおおッ!」

 それを阻もうとする鋼音を、分裂体が足止めする。間合いの内から一子を襲うのなら対処できようものを、これではどうしようもない。無理に突破しようとして、分裂からの斬撃をモロに受けてしまう。


「さぁ――【私を不老不死にしろ】」

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