連続

 新しい朝が来た。


 登る日差しと上がる気温に浮かされるように、人々は目を覚ます頃合いだ。


 額に焼け付くような熱を感じながら、白崎鋼音もまた、絶望の朝を迎える。


 大きな怒りを胸に抱きながら、辺りを睨め回す。

 風花事務所に変わりはない。昨夜、善道への対策を練りながら団欒していた空間は、激闘の気配など残っていなかった。


「一子……」

 残ってはいないが、欠けたものが一つ。いや、二つか。

 この場にいるはずの一子がいなかった。昨日の夕飯の食器を数えても、洗濯・乾燥機から取り出され畳まれた衣服を改めても、一子は確かにここにいたはずなのだ。


「一、子……」

 一子の痕跡を確かめているうち、鋼音は一枚の手紙を見つけた。手紙には、昨晩の顛末と一子の決意が綴られていた。


「――」

 額に刻まれた熱い刻印を感じながら、読み終えた手紙を握りつぶす。

 許せなかったのは内容ではない。ところどころ涙で滲んだ字があるというところだ。

 そのような覚悟をした一子を、そのような覚悟を強いた善道を、そのような覚悟をさせてしまった自分をこそ許してはならない。


 白い敗者には身に余る試練を、銀色の為政者には痛みと後悔を、赤い勇者には幸福を叩きつけなければ贖うことなどできないだろう。


「待っていてくれ、一子」

 祈るように呟いて、鋼音は事務所の外へと躍り出た。



◆◆◆



 事務所から出てすぐ。熱い陽光が降り注ぐ路地で、霖太郎が鋼音を待っていた。


「霖太郎、もういいのか」

「あぁ。みんなも目を覚ましている」

「そうか……よかった。事務所にいなかったけど、どこに行ったんだ?」

「買い物じゃないのか?」

「へぇ……。で、霖太郎はどうしてそこにいるんだ?」

 鋼音の目つきが変わったのを見て、霖太郎もまた脚を肩幅に開く。


「鋼音こそどうしたんだ。まだ辛いだろう、休んでおけ」

「いまから市役所に行く。善道から一子を取り戻す」

 一歩踏み出しながら鋼音は答える。


「そういうことだと思った。俺はお前を行かせないためにここにいる」

 霖太郎は歩み寄りながら呟いた。

「『お前を善道と戦わせてはならない』。それが黒峰研究所と風花探偵事務所の結論だ」

「……通してくれ」

「だめだ。赤座一子のいない今、善道と戦えば、お前は“Sicks”を発動するだろう。白崎鋼音の意思に関係しようとしなくとも、その可能性は大いに考えられる」

「だとしても、あいつはなにかとんでもないことをしでかそうとしている。その片棒を一子が担がされようとしているんだ。止めなきゃならない」

「結論だ、と言っただろう。そのことも考慮した上で、再び“Sicks”が発動されることを阻止すべきだということだ」


「行かせてくれ」

「だめだ」


 二人の頬を、いやに冷たい汗が伝う。


「だったら、押し通らせてもらうよ」

「できると思っているのか? そんな満身創痍で――」

 大きく振りかぶられた鋼音の右フックが、霖太郎のこめかみに突き刺さった。


「満身創痍なのはお互い様だよ。血、足りてないんじゃない?」

「十分だ」

 乱暴なカウンターを、鋼音は辛うじて避ける。


 霖太郎がいわゆる貧血であるのは、ほぼ間違いなかった。

 先ほどのカウンターといい、よく見ればその立ち姿や顔色などなど、およそ血液系統で最高峰である男のそれではない。


「これでやっと人並みの量だからな」

「やっぱり、そう弱ってはいないか……」

 昨晩の大量出血から鑑みれば、だいぶ回復しているほうだ。それもそのはず、常人を超える質と量の血液を自在に操る能力なのだから、造血機能も常軌をはるかに逸しているのも当然だろう。


 圧倒的な血液量を前提とする霖太郎の肉体だから、と鋼音はありていに言えば油断していた。きっと自分と同じくらいの挙動しかできないだろうと高をくくっていた。

 現実は、肉体の鍛え方という面で如実に表れている。ハイオク満タンで走っていた車がレギュラーガソリンに切り替えたからといって走らないわけがない。


 鋼音はわざとらしく、背後の車庫へと視線を送る。霖太郎を陥れるためだ。

 その思惑を看破してなお、霖太郎は獰猛な笑みを浮かべる。

「どうした? そっちになにかあるのか? それで逆転できるっていうのか?」

 策があればその策に嵌りに行くのが霖太郎という戦闘狂だ。更なる苦境、新たな逆境に臨むことこそが彼の生きがいなのだ。


「そんなに欲しけりゃ、取りに行けよ!」

 意識の間隙を無理矢理突くような、自動車の衝突事故のような回し蹴りだった。直撃した鋼音の体は、そのまま十メートル先のシャッターを突き破って車庫へと侵入させられる。


「ぐ、く、うぅ……」

 自ら誘導した一撃とはいえ、咄嗟にガードに回した両腕の骨が砕けてしまった。万が一先の蹴りが不意打ちだったならば当然即死であっただろうことを考えれば、命あるだけで御の字だ。


 ……なにより、コレに叩きつけられていたことは僥倖。


 土煙の向こうから威圧的な足音が響く。罠だとわかっているのにも関わらず、大した自信だ。


「生きているか鋼音」

(殺る気で蹴っておいてよく言うよ……)

 背もたれになっている愛すべきバイクを撫でながら、鋼音は霖太郎との距離を測る。勝負は一瞬だ。虚を突き畳みかける。できなければここで敗北する。敗北すれば、敗北してしまえば――


「!」

 戦士としての勘が、霖太郎の足を止めさせた。踏み潰せない類いの罠だ。しかし時はすでに遅し。そこはすでに鋼音の必殺の射程に入っている。

 光芒が弾け、霖太郎の左わき腹を貫いた。勢いと血液を駆け巡る衝撃が、霖太郎の体をよろめかせる。


 ここで負けたら一子を救えない。ぐしゃぐしゃになった身体を奮い立たせ、右手で輝煌を束ね、

「そこをどいてくれ、霖太郎!」

 バイクのフレームに使用されていた“ディアワン”の殻。それを再構築し、辛うじて覆えた右拳をがら空きとなった霖太郎の胴に叩きこむ。


「そいつは無理な相談だな……」

(血のガードか……)

 致命打に等しい牽制による傷が仇となった。まともな能力の行使もままならない霖太郎であるが、それでもわき腹から湧き出す血で腹部を覆うことはできる。殴るなら胸や顔だったのだ。


(だったら……!)


「断ち切れ、“不退転”!」

 籠手のような“ディアワン”が、刀の形をとる。普段とは違い失血による戦闘不能が見込める今なら、一滴でも多く霖太郎の血液を奪うことが先決だ。


 静止した手のひらから展開される白刀“不退転”が、血の甲殻を穿ち鍛えられた腹筋を突き破り、横隔膜のあたりを貫く。


「愚策に次ぐ愚策……捉えたぜ鋼音……」

 口から鮮血を吹き出しながら、腹の血液がしっかりと刀を掴んで離さない。“ディアワン”は全て刀の生成に充てられている。全身を覆う真珠色の輝きは先日見せた真珠色と同じ、すでに使い物にならない体を使えるようにするための姑息だ。脅威ではない。

「血が足りないと頭が回らないって本当なんだな」

 刀は形ない光に溶け、型通りに振り下ろされた右腕に追随するように、“不退転”を成して袈裟に斬りつける。


 “ディアワン”の真珠色に身を委ねながら振るってみれば、なるほどよく馴染む。自分でも棒切れ程度なら作れたが、小雛に打ってもらうだけでこれほど違うとは……妙に冴え、深いところで白銀の能力と繋がった鋼音はより一層輝きながら、霖太郎の反撃をいなし、終ぞその首筋に切っ先を添えた。


「これ以上は“血沸き、肉躍る”でも間に合わなくなる。霖太郎、君の負けだ――通してくれ」


「そこまでだ、鋼音」


「……黒峰先生……?」

 決着に割り込んだ黒峰は、一本のデータスティックを鋼音に投げて寄越した。

「時間稼ぎありがとう、霖太郎。損で辛い役を押し付けてすまない」

「いえ。俺にしかできないですし、なにより楽しかった。礼を言うのは俺のほうです、黒峰先生」

「時間稼ぎ……?」

「時間稼ぎだ。霖太郎が言ったはずだ、『まだ休んでおけ』『善道と戦う準備を整えるまで大人しくしておけ』と」


「は?」

 似たようなことは言っていたが、待っていて事態が進展するような言い回しではなかったはずだ。心当たりがあるのか、青い顔をした霖太郎は気まずそうな顔をしている。


「まさか煽ったっていうのか? ……戦闘狂に任せた私の落ち度だったな……。でもまぁ、どういったところで鋼音、お前のことだ、押し通ろうとしただろう」

「……そりゃ、……はい」

「そういった面では、やはり人選は間違ってなかったな。さて、次こそ勝つぞ」


 勝って、取り戻す。


 黒峰は不敵に笑った。

 白崎鋼音は疲労と怒りとで震える拳を握りしめ、はるか聳える大塔を睨みつける。



3/誰でもない君のために 白崎鋼音  連続

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