黒幕

 鉄扉を蹴破った鋼音は、拳銃を手に待ち構えていた真田の銃弾を頭に受けた。

 突然、ということはないだろう。真田の研究室に入るにはこの鉄扉か、あるいは通気口くらいしかない。迎撃は容易だ。


「けひ」

 真田は憔悴しきった顔を歪めて笑う。


「く、くくっ……」

 上体をほぼ直角に仰け反らせた姿勢のまま、鋼音も笑う。


 迎撃が容易ならば、迎撃されるつもりで臨めばいい。鋼音は真田の拳銃を予測しきれていたわけではないが、それでも頭ないし胸に大ダメージを受けることは測り知れていた。だからこその大袈裟な回避だ。背部のスラスターを吹かせ、体を起こす。


「ひっ……!?」

 動揺しながら拳銃を構え直す真田だが、ここにくれば鋼音の方が速い。上体を起こす反動で前方に宙返りを打ち、着地の脚で銃口ごと真田の腕を床に踏みつけた。


 鎧を纏った鋼音の総重量は百キロを優に超える。銃把を強く握りこんだ真田の指は全て潰れた。

「あっ、がぁ、ぁ……」

「赤い髪の女の子について知っているか」

 悶える真田の頭を足蹴に、鋼音は冷たい鉄のような声音で尋ねた。

「し、知らない……」


「……昨日、そちらの"戀熱生理"戸張カコイが一般人を襲った。お前の指示か?」

「知らない……」

「今回は特殊探偵の権限で、仕事として来ている。それをアウターを使って拒んだな。しかも三人の内の二人は戦えるようなヤツじゃなかった」


 竜胆はともかくとして、須藤と橘は能力云々ではなく精神的に戦える人間ではなかった。竜胆もまた、仲間想いな男なのだろう。戸張にしてもそうだ。真田研究所の四人のアウターは皆、戦闘こそすれどもその目的は自衛であったり、その場凌ぎであったり、仲間を助けたり恋心からであった。誰一人として、鋼音らへの敵意や殺意が先行していた者はいない。


「お前が指示したからだ。どんな条件で戦わせた? どんな条件で脅した? 答えろ」

 踏みつける足に力が篭る。いっそこのまま蹴り上げて首を撥ねてしまおうか、という考えが脳裏をよぎるが、情報を引き出すため必死で堪える。

「知らない」

 その言葉に、とても堪えきれそうにないので、今度は頭を掴み上げて壁に押し付けた。これで少しは加減が効くだろう。


「じゃあ知ってることを全部言え。何も知らないなら死ね」

「………………」

「待ってくれ」

 鋼音の背後……鉄扉から、衰弱しきった須藤が現れた。


「お前……」

 能力の発動も困難そうな須藤を、鋼音は曖昧な表情で見る。


「先生から離れろ……」

 息も絶え絶えに、須藤が告げる。


「僕の質問に答えられたら離してやるよ」

「っ……」

 須藤もまた逡巡した。

 大きな何かが裏にあるのだろうか。鋼音は瞳に漆黒を灯す。


「答えないか。なら仕方ない」

 みしり、と音がした。真田の頭蓋骨が軋む音だ。

「待ってくれ!」

 再び須藤が縋るように告げる。

「わかった、わかった。話すから……」

「黙っ……てろ……、須藤ぉ……!」

 圧壊寸前の双眸が懇願する須藤を睨みつけた。


「盟元市市長・善道数多の命令で……俺たちは動いている……」

「須藤ぉおおぉおぉおぉおぉおおぉッ!!」

 激昂する真田の頭が軋む。


「そこまでわかればもう十分だ。お前は責任を取って死ね」

 鋼音の宣告。

 このまま頭蓋骨ごと脳が握り潰されようとしたそのとき、真田の背に密着している壁から手が生え、彼の体を貫き心臓を周りの血管ごと抉り出した。


「ぁ、が…………ぜんど、ぅ……市長ぉ……なぜ「うるさいなぁ」

 真田の心臓は、水の詰まったポリ袋のように握り潰された。人体の中でも最も強靭なはずの筋肉であるはずのそれは、とても脆弱にその機能を失う。


 どぷん、という水音を立てて、腕に続いて女性が壁をすり抜けて現れた。


「真田先生ぇええええええ!」

 須藤の悲哀の叫びに、女性は紅を引いた唇を歪める。


「……お前は善道の傀儡か?」

 鋼音のボルテージはとどまることを知らない。即死した真田だった肉体を壁際に添え置き、女に肉薄する。

「そうだと言ったら?」

 妖艶な声で女は答えた。


「いま、ここで死ね」

「お生憎様。わたしもあなたたちにはここで死んでもらわなければならないの」

「……やはり口封じか」

 彼女が口封じの任を善道から与えられているのだとしたら、真田や須藤が命を懸けてでも黙秘したことにも合点がいく。なにせ秘密をバラせば始末されてしまうのだ。始末役である彼女の実力と、鋼音の脅しの脅威を天秤にかけ、天秤は彼女に傾いていたということである。


 天秤はそのまま二人の実力差だ。

 先に動いたのは鋼音だった。

 全身のバネを総動員した渾身の拳を、しかして女は交差させた腕で受け止める。


『《遠隔操作リモート》』


 両腕を交差させたまま、女はスタンプ型の注射器を自らに刺す。電子音がスタンプから鳴ると、女の長い髪は毛先から五センチほどが千切れて宙に舞った。毛先は全て鋼音の鎧に突き刺さる。


「なに……!?」

 壁をすり抜けたことといい、真田の体を貫いて心臓を握り潰したことといい、全力のブローを防いだことといい……鋼音は彼女の能力を“強度の操作”だと推理した。しかしこれは……

(これが軒先の言ってた“スタンプ”……)

 《遠隔操作》といったか――


「っ……なるほど」

 とりあえずこの場のこの状況、彼女の能力に限っては理解できた。


 いま現在彼女にできることは――


・スタンプ注射による能力の獲得

・強度の操作

・(おそらく体の一部分の)遠隔操作


 ――である。


 最も脅威なのは能力の獲得だが、それもスタンプ注射を自らに刺した上、電子音によって能力の名乗り上げが行われる。対処は不可能ではない。


 ガードの上からラッシュを叩き込む鋼音。小細工を使わせる暇も与えず、このまま押し切る腹だ。

 肉体の強度が上がり、その一部を遠隔操作できるとはいえ、この状態でどちらかの能力を動かせば均衡は崩れ、女は肉塊に変わる。遠隔操作はどこまで分離できるかわからないが、攻撃するなら手足を飛ばすはずだ……そうでなければ“ディアワン”の守りは突破できない……。その手足は四本揃って守勢に回っている。


 連打の最中、どぷんと音を立てて、女の体が床の中に沈んだ。床の強度を液体まで下げ、潜行して反撃の機会を窺うつもりだろう。鋼音はそれを見逃さない。落下するように沈んでいく女の鳩尾を的確に蹴り上げ、右にあるデスクまで飛ばした。


「……」

 鋼音は残心のまま女を観察する。


 この盟元市が研究都市であることも関係しているのだろうが、そもそも相手が何を仕掛けてくるかわからないがという街の特性上、アウターである市民たちは観察することを習慣としている。


 ひしゃげたデスクの脚が目に留まった。

 いかにアルミ製といえど、ギリギリ原型を留めているそれに比較して、女はいやに健在であるように見える。急所を蹴り上げたエネルギーがデスクにも伝わりこのような破損が起きたなら、それを通された肉体もまた無事ではすまないはずだ。


 ――なのに、なぜ。


「く、ふっ……。くふ、くふふふふふ……」


 何故女は、苦しそうに笑いながらも立ち上がることが出来るのか――。


 彼女……遠寺椿は“乙女八目”という弱点や欠点などといった急所、ウィークポイントを見破ることに長けた身体機能系のD等級能力者だ。もっとも見破るだけで、自分がそこを突くほどの身体能力がないため宝の持ち腐れとなってしまっているが、そこでスタンプによる能力の追加だ。

 椿は腐りきったと思っていた超視力で鋼音の蹴りを見切り、硬化と僅かな体の分解……遠隔操作の過程の状態で留めた……によって衝撃をほぼ殺したのである。


(……どこの誰だかわからないが、厄介な技術を開発したな……)

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