夜叉

 破壊が終わったあと、影素の暴風が止んだあとには、巨大な岩の中のような、壁面が不規則に隆起した部屋が広がっていた。


 これは……盟元市の比較的裕福な研究所に設けられている能力演習場、“冠絶結界”だ。本来は天啓系能力者である“欠陥なき結界フルサークル”の能力であるが、研究の結果これを数千分の一ほどではあるが再現することが可能となっている。


 暗闇から解き放たれた三人が見たのは、七つの円環状の光に守られた男二人に女一人だ。蹲った男は白衣を着ている。見るからに獰猛そうな男は鋼音らを睨みつけ、神経質そうな女は二人の前に立ち、手を翳している。

 おそらく、いや間違いなく――白衣の男が空間支配の能力。シルバーのピアスとネックレスの男がミサイル。メガネとヘアバンドの女が防御の能力――だろう。


「べぇ」

 ヘアバンドが舌を出し、鋼音らを威嚇する。そんな彼女より威嚇的なシルバーは、防御の能力がなければ敗北していたことに苦い顔をしている。


「須藤、下がってろ」

 須藤と呼ばれた白衣は今にも気を失いそうな調子で頷く。ヘアバンドの防御力を鑑みるに、そのダメージは彼の能力空間が破壊された反動によるものだろう。


「お前らか」

 息も絶え絶えな須藤を呼び止めるようにして、鋼音が地獄めいた声で尋ねる。

「お前らが一子を」

「あ? なんのことだ?」

 シルバーの男がイライラしながら答える。


「竜胆、待って」

「あ? 何で待つんだよ。待つのはあいつらだろうが。違うか?」

「いいから待って」

「誰が待つか。――喰いちぎれ、“ファング”ッ!」

 竜胆の翳した手の先に、バキバキと音を立てながら急速に大木の幹のようなミサイルが形作られる。この場にいる誰もが反応できない速度で形成・発射されたミサイルを、腰を落とし深く踏み込んだ鋼音が正面から殴りつける。……鋼音は反応などしていない。ただ思い切り殴りつけるモーションに、竜胆の“ファング”が重なっただけである。逆に竜胆らにとっては、この“ファング”を放たなければ拳圧で手痛いダメージを受けていたことだろう。……一秒のほどの拮抗ののち、全ての衝撃は白銀の鎧を介し赤い稲妻となって霧散しながら、ミサイルは推力のまま真っ二つに裂けた。それによって爆発が起こるが、鋼音の鎧には傷一つ付いていない。


「オレの“ファング”を殴って壊した、だと?」

 更に苛立ちを募らせる竜胆。


「だから待って、って言ったのに……」

「うるせぇ!」

 ヘアバンドの制止を再び無視して、竜胆は再び“ファング”を放つ。今度は四基、形成・発射のスピードは変わらず。


「人数で負けた上、冷静さを欠いたな。それが敗因だ」

 霖太郎は呟くと、自分の方に飛んできたファング一基を掴んで明後日の方向に放り投げる。

「……」

 出灰もつまらなそうに影素の壁を作り出した。真っ黒な壁に触れた先からファングは消滅していく。

 残り二基は、鋼音がまとめて破壊した。


「っ……!」

「ばか」

 ヘアバンドが竜胆を小突く。


 ヘアバンドは鋼音らに向き直り、会釈をした。

「はじめまして。橘・シトラフルゥス・大和です。よろしくお願いします」

 下げた頭から覗く目に宿る殺気。その殺気に触れるのとほぼ同時に、光鞭が鋼音の脇を掠める――一瞬のラグで皮一枚避けたのだ。


(これは……)

 その一瞬の交錯で、鋼音が何かを掴んだ。


 橘は頭を上げ、メガネの位置を直す――光鞭。これも回避。

 ため息をつく橘がやれやれといった風に首を振る――光鞭。回避。


「後ろだ橘ァ!」

 橘の背後に回っていた影素を、ペットボトルほどの大きさの数十基のファングが自爆によって撒き散らす。


「後ろだ、竜胆」

 迎撃に回った竜胆への意趣返しか、霖太郎の跳び回し蹴りが彼の延髄を捉える。

 咄嗟に振り向いた橘がメガネの位置を直しながら、光鞭でその足先を弾き飛ばす。足の傷は火傷のようになっていた。


「ぐ、くっ……」

 宙返りで体勢を立て直した霖太郎が呻く。

 その霖太郎を冷徹に見定める鋼音。霖太郎の防御力は鋼音や出灰の能力のように防御力として発揮されない。ただの人間と同じだ。それでも表面が少し焼ける程度……例えば水で冷やして放っておけば完治する第Ⅰ度熱傷程度……であるのは、三つの理由が考えられる。


 一つ。橘の光鞭の熱量が見た目よりも小さいこと。

 二つ。意識的に、もしくは無意識の内に熱量をセーブしていること。

 三つ。光鞭としての形をとっているが、能力の本質は見た目通りではないこと。


(なら――)

 すう、と深く息を吸い、鋼音は橘めがけて疾駆する。


 橘は病的なまでの戦意にたじろぐが、すぐに切り替えて光輪を展開する。

 俯いた女性を中心に迸りと直径を爆発的に増す七条の光を、鋼音は一つずつ丁寧に掻い潜った。


「“不退転”!」

 鞘から引き抜くようにして空を切った右腕には、いつしか白無垢の刀が握られていた。

 鋼音の背後で光条が弾けると、橘は再び能力を発動する。今度は橘から一メートルのあたりに留められている。出灰の“影素”の暴風雨を凌いだのと同じ、防御態勢だ。


「助けて、“繕燐光輪シング・ア・ベル”……」

 祈るように、橘は手を握って跪いた。瞼は眼球を圧し潰さんばかりに固く結ばれている。

「助けるのはお前だろう」

 吐き捨てるように呟いて、鋼音はその祈りごと“繕燐光輪”を切り捨てた。


 …………。


 光を司る能力を突破された橘・シトラフルゥス・大和は、訪れるはずの痛みと赤い暗闇が幾分遅れていることに気づき、恐る恐る顔を上げた。

「見たくないなら見るんじゃない」

 開いた双眸は、また何かに覆われてしまう。ヘアバンドが下ろされ、アイマスクのように目元に被さったのだ。

 声から判断するに、こんなふざけたマネをしたのは、白崎鋼音とかいう、真田の言っていた要注意人物に相違ない。


「…………ッ」

 反駁するように、橘は白いヘアバンドを上げなおし、鋭い視線を鋼音と“不退転”の切っ先に向けた。

「真田に話を聞きたい。どこにいるか教えろ」

 冷たく白い声音で質す鋼音。


「教えるわけないじゃない」

 鈴のような音を立てて広がりかけた光の環を、またも白刃が切り払う。

「ここまで近づかれたら君の負けだ。そうだろう? さぁ、言え」

「……どういうことだ?」

 刀背で橘の顎を上げさせる鋼音に、霖太郎が疑問を投げかける。

「どうもこうもない。霖太郎の怪我が浅いのも、出灰の攻撃を無力化できたのも、全部『範囲』が関係しているんだ。そうだろ、大和」

「そっちで私を呼ばないで!」

「……そうだろ、橘」

「えぇ……」

 途端に気の抜けた出灰が、撒き散らしていた“影素”を収めつつ口を開いた。


「……えっと、つまりこういうことかな。オレとかもそうなんだけど、普通の能力はその範囲に反比例して出力が落ちるのがセオリーだ。ただ橘の場合は例外だ。そうだね?」

 橘は押し黙る。それが答えだ。


 異様に低い攻撃力も、異常に高かった防御力も、これが真相だ。環が狭ければ弱く、広ければ強い。例外的な能力であることがわかれば、鋼音のように接敵するなどして対応することができる。


「それがわかったところでどうするっていうの。私は真田先生の場所をしゃべらない」

「…………そうか」

 瞳に漆黒を宿し、鋼音は“不退転”を解除して橘の首を絞める。

「あ、か、は……ぁっ」

 目は大きく見開かれ、口は酸素を求めて舌を突き出すほど。


「鋼音⁉︎」

 出灰が驚嘆の声を上げる。

「殺しはしないよ、出灰。何も言わないなら何も言えないなりに黙っててもらうだけだ。厄介な能力だしな」

 頸動脈を圧迫されてから少しして、鋼音に吊るされた橘の体はだらりと弛緩した。失神を確認した鋼音はゆっくりと力の入っていない体を床に置き、応急処置として真珠色の輝きを橘にもたらした。

 鋼音の所見が正しければ、橘の“繕燐光輪”は本来防衛系の能力のはずだ。範囲などのセオリーを無視したことのほかに、その能力を他者……須藤と竜胆……を守るために使ったことこそが、“影素”を凌いだ重大な要因だったはずだ。であれば、同じく防衛系の“ディアワン”の加護も馴染むだろう。


「行こう、二人とも。真田のやつは事務所の外に出ていないはずだ、手分けして探せば見つかるだろう」



◆◆◆



「ここまでするもんかね」

 先に行った鋼音が冠絶結界から出たのを確認した出灰の率直な疑問に、霖太郎は頭を掻いた。


「………………俺が例えばあいつで、例えば赤座がウチの先生だったら――あいつほど優しくはできないだろうな」

 述懐する。

 確かに鋼音のやり方は過剰に感じられるが、鋼音にとっては至極当然の仕打ちなのだろう。


 彼らは意思に関わらず、自分たちの願いを叶えるために一人の少女を手にかけたのだ。そんな身勝手に、鋼音は容赦しなかった。

 霖太郎の言葉に、出灰の表情に影が差す。白崎鋼音にとっての赤座一子、笠音霖太郎にとっての風花ぼたん、自分にとっての――。考えただけで、自分の足元に伸びる影が吼えるようだった。


「……今回はあいつの仕返しに付き合ってるわけだ。出灰、行こう」

「……あぁ」

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