真田研究所

 鋼音たちは風花探偵事務所で準備を終え、徒歩で真田研究所へと向かった。


 時刻は午後一時を少し過ぎた頃。日は高く、秋というには熱い。


 真田研究所はA等級居住区の東端に位置する。黒峰研究所の近くといえば近くだが、遠いといえば遠いほどの場所である。


「すみません、風花探偵事務所のものですが」

 インターホンを鳴らし、霖太郎が名乗った。

 今回の訪問に関しては先日ぼたんの方から真田に連絡が行っているので、ここでの真田の対応次第では抗争という形になる。


『あぁ、どうも。どうぞお入り下さい』

 スピーカー越しに落ち着きある男性の声が応えた。鉄扉の錠が外れる音がしたので、霖太郎を先頭に敷居を跨――、


「なんだ!?」

 三人が扉を潜るのと同時に、辺り一面が真っ暗になった。突然の事態に出灰が叫ぶ。


「出灰、下手に動かない方がいい。これは能力で作られた空間だ」

 正に一寸先も闇。

 この異常をいち早く看破したのは、かつて相手の能力を模倣する能力を有していた鋼音だった。能力こそ変われど、培われた経験はなくならない。


「……とりあえず“ディアワン”を使ってみる」

「あぁ」

 鋼音が“ディアワン”を発動した。輝きとそよ風が起こり、二つの観察結果をもたらす。


「一応、光が完全になくなったわけじゃないだ。単純に暗いだけかと。ただ……」

 黒峰研究所で助手をしているだけあって、出灰は考察を得意とする。あまり冷静ではないことを除けば、こういった遭遇戦において彼ほど適したアウターはいないだろう。

「ただ?」

「ただ、“ディアワン”展開時の風がやや遅くて弱い。“影素”を走らせてみる」


 ざらざら、という音が鳴る。

 出灰景色の“影素”は、既存の物質とは異なる新たな物質を生み出し、出灰がこれを自在に操ることのできる能力だ。本来なら黒い粒が靄程度に集まって操作されるのだが、こうも真っ暗では見えもしない。

 影素は砂のような音を立てて、辺りに漂っている。


「…………まずいな」

 集中して観測していた出灰が口を開く。


「この部屋の重力は通常の六分の一程度になっている。体感時間への干渉かもしれないけど、多分重力だろうね」

「そんなこともわかるのか」

「まぁね。エコーロケーションみたいなのだと思ってもらえればいいよ」

 唸りながら、鋼音は胸元に手をやった。ちょうど心臓のあたりには、出発の前に黒峰から預かった『あるもの』が仕込まれているのだ。


「真田研究所が宇宙系の研究をしているなら、重力で間違いないだろう。月面の重力が地球の六分の一くらいだから、例えばこの 能力空間フィールドで訓練とかもできるはずだ」

「重力が六分の一ってどうなるんだ?」

「ん? あぁ、そうだな……」

 霖太郎の推理に鋼音が質問をぶつける。

「動作については水中と同じだと思って構わないよ。六分の一だとどのくらいになるかは、まぁ動いてみて調整するしかない。……幸いなことに、酸素やらはしっかりあるみたいだ。空間ごと切り取って好きな環境に変える、って能力なら大気組成も変わらないだろし、そういう能力なんだろうね。立ってられるってことは床もちゃんとあるみたいだし、思ったより変なところじゃないみたいだ」

「出灰ってこういうときイキイキするよね……」

 張り切って知識を披露する出灰。


 ……なお、水中が重力軽減状態であるのは圧力と面積の関係のためだ。重力によって感じる重さというのは、すなわち重力の影響を受けた大気の重さ――大気圧によるものである。地球の平均的な大気圧である1013hPaというのはそもそも1トン13キログラムの圧力を意味しており、重力が六分の一ならば体にかかる重さは170キロ程度となる。水中では大気の重さを水面が受け止め、人一人が受ける重さが軽くなるため、いわゆる浮遊感というものが生まれる。


「よくわからないが、大きな問題はないらしいな。……ん? 思っていたより動きにくいな……」

霖太郎が動いた。普段通り歩こうとしたものの、やはり上手くはいかない。

「そこだァ!」

「!?」

「下がれ霖太郎!」

 知らない声が響くのと同時に、その声の方へ鋼音が振り向いた。続けざまに影素がまるでアラートのようにざざざと騒ぎ、宙に浮いたままの霖太郎を地面に叩きつけた。直後、霖太郎が浮いていた辺りを何かが打ち抜く。


「今度はなんだ……」

「助かった、出灰。……どうやらこの中にいるのは我々だけではないようだ」

「真田のところのか」

「真田研究所のメンバーは真田を除いて五人いる。そのうちの一人だろう。今のタイミングで仕掛けてきた、ってことは、多分ヤツもこの空間に順応しきれていない」

「ならオレの勝ちだな」

 出灰が不敵に前に出る。いつもとは違う重力は“影素”によってアジャストされ、この空間だけで彼だけが平時の如く振舞う。


 アウター同士の戦闘は、ときにいかに相手の能力に適応するか、適応できる手札があるかが決め手となる。今回のような特殊な空間であったり、カコイのような難攻不落の能力であったり、それらの特徴を看破し、上回ることこそが王道だ。


 だからこそ、


「オレはともかく、オレの“影素”は最強だ」


 ――嵐だ。


 すでに砂の擦れるような音ではない。一切を呑み込みズタズタにする破壊の轟音が、擬似的な月面世界に吹き荒れる。

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