stand up

 自宅に着いた鋼音は、通話が可能になった霖太郎に今回の件について報告していた。


「で、戸張が一子に能力を使ったから反撃したわけだ」

 事務所の備品である受話器を耳と肩で挟みながら、霖太郎はメモ帳にペンを走らせる。


「うん。間違いない」

「A等級同士が居住区でやりあったら一発逮捕だったからな、気をつけろよ」

「気を付けるよ」

 事務的な忠告に、鋼音もまたぶっきらぼうに謝る。


「場所が場所だからよかったものを。まぁ、A等級同士の戦いだ。戦闘の仔細を研究所に提出してからどのくらい酌量されるか待ちになる」

「霖太郎くん、誰から?」

 神経質そうに眉間にしわを寄せる霖太郎に、ぼたんは淹れたてのコーヒーを差し入れた。


「鋼音です。赤座絡みでA等級の戸張カコイとやりあったらしいくて」

「“戀熱生理”の?」

「その戸張です」

「ふーん……」

 ぼたんはB5サイズのタブレットを取り出し、体ごと全体重を霖太郎の大きな背中に預けた。女性にしては小柄ということもあって、霖太郎はその重さを意に介さない。


 液晶が反応できるギリギリの速さで操作したぼたんは、その手を止めると特に意味もなく耳打ちで霖太郎にあることを伝えた。

「やっぱりお咎めなしだそうだ。よかったな」

「えっ、早くない?」

「早いも何も、あの戸張カコイに勝利するなんて只事じゃないからな。えっと……攻撃は一切効かない、本人の攻撃力も高い、応用によっては単独で第一宇宙速度に到達するような怪物だ。戦闘レポートの提出でいいらしい」

「わかった」

 ぼたんから渡されたタブレットの情報を掻い摘んで話す霖太郎。


「ところで霖太郎。この戸張カコイってどこの研究所の人間なの?」

「ん? あぁ、真田のところだな。主目的は宇宙技術だ。他には“ファング”の竜胆もここだ。目的が目的だけに高位能力者が揃っている」

「へぇ……。いや、そこまでは聞いてないけど」

「まぁまぁ、年上の友人のいうことは最後まで聞くことだ」

 友人、という言葉に鋼音は少しくすぐったそうにする。


「この真田研究所だが、“願いを叶える”能力者獲得に躍起になっているらしい」

「って風花先生が?」

「…………あぁ。それと、赤座を狙っているらしいっていうのは今日来た胡散臭い探偵からのリークだ。俺が得た情報みたいに言ってすまん」

「いや、いいよ。ありがとう。おかげで次に潰す相手が見つかった」

 鋼音の脳裏に浮かぶ胡散臭い探偵のイメージは、軒先縁日と合致した。


「もしもし鋼音くん?」

 霖太郎から受話器を奪うぼたん。

「ぼたん先生、どうも」

「夕方は電話に出られなくてごめんねー。変な同業者が鋼音くんに言伝がある、って言ってきたから対応してたんだよね。助けてくれー、とか言ってたけど、二、三日は安全だろうから気にしなくていいよ」

「それって、黒峰先生や出灰も一緒でしたか?」

「うん。あ、もしかして二人にも電話してた? 大丈夫? 何なら今からでも解決しにいくけど」

 話すぼたんの姿勢は、先ほどからずっと前のめりだ。電話口で相手もいないのにお辞儀をするかのように、ぼたんもまた普段から人と話すときはつんのめっている。


「お気持ちだけもらっておきます。一子が倒れたので、ちょっと助けてもらおうかと思って」

「……その声音だと、一子ちゃんはもう大丈夫みたいだね。髪の毛を二本食べられた感じかな。それくらいならよかったよかった」

「二本も食べたのかあの変態……。その、心配かけてすみません」

「いいのいいの。心配はかけてなんぼのものなんだから。それが思い過ごしになることが一番のお礼になるの」

「………………」

「今回は大事に至らなかったからよかったものの、下手を打てば一子ちゃんが……そうなっていたかもしれない」

「……はい」

「二人とも私の友人だ。霖太郎にとっても、黒峰ちゃんにとっても、出灰くんにとってもそうだろう」

「…………」


「君にとっても、一子ちゃんにとっても、そうであってほしいと思っている。思ってくれるかな……」

「えぇ」

「そうか……。だからね、鋼音くん。今回みたいなことがあったら迷わず頼ってほしいんだ。いなくなられるのは嫌だからね」

「……はい」


 人から大切に思われることの少ない鋼音は、どこか居心地の悪そうに、しかし心地よさそうに応える。


「じゃあアドバイスついでにもう一つ。一子ちゃんとの関係にいい意味で困ったら、いつものバッグに入ってる漫画を読んでみてくれ。……あぁ、たぶん今晩あたり必要になるだろうね」



◆◆◆



 電話を終えた鋼音は、家に着くなり玄関口で眠ってしまった一子をソファまで運んだ。適切な処置を施しディアワンによって生命力を強化したとはいえ、仮死状態からの回復は相当体力を消耗したらしく、健やかな深い寝息を立てている。


 そんな一子の顔にかかった長い髪を優しく払ってやり、鋼音は額の温度を測る。……やや熱があるようだ。

 小さく頷いた鋼音は、次に何をするべきか考えて立ち尽くす。


「……………………」

 自分を含め、周りの人間が体調不良とは縁遠い。そのため具合が悪い、ということに対する対症療法が思いつかないのだ。


「どうしたらいいんだ……」

 呟いた鋼音の目に、一子のウエストポーチが留まった。そういえば、風花ぼたんが行き詰まったら開けるように、と言っていた。彼女の助言……というよりは予言に近いだろうが……を頼りに、普段は飴くらいしか入っていないウエストポーチを開く。


「これか……?」

 B5サイズのやや薄めの本が飴に埋もれている。

 表紙には上手いには上手いが、どうもしっくりこない絵柄の女の子が描かれていた。


「……どうしたらいいんだ……」

 表紙、背表紙、裏表紙と見てみるものの、特にヒントは得られない。ただただ困惑する鋼音だが、

「……ぼたんさんがいうことだ、何かあるんだろう」

 探偵を名乗る予言者を信じ、ページをめくった。


 ……。

 五分ほどかけて二十ページほどの漫画を読み終えた鋼音は、なるほど、と呟いた。

 本を一子のバッグに戻すと、華奢な体を抱えてベッドに寝かせる。


「なるほどなるほど、体温を上げればいいわけだ。なんで気付かなかったのか」

 本の内容を反芻した鋼音は、一子の横に寝転がり、同じ掛け布団を掛けて寝息を立て始めた。

 時折一子の寝相のせいで蹴られ殴られ、布団もはだけてしまいながらも、最終的に一子の手足をホールドしながら……抱き枕のように全身で固定しながら……鋼音は彼の使命を全うするのであった。



◆◆◆



 全身で一子の体温を感じながら、白崎鋼音は夢を見た。


 ……あれはまだ、自分が獣だった頃だ。A等級能力者“ディアワン”白崎鋼音ではなく、規格外のS等級能力者“Sicks”白崎ハガネだった頃だ。

 何もない、空無な人間という精神的な疾患を抱えたハガネの能力は、そのままにSicks(病)として名付けられた。何もない自分という空隙を埋めるかのように相対したアウターの能力を歪つに模倣するという能力は、研究価値・汎用性という観点から評価される等級では正しく規格外である。


 ハガネはその能力で、彷徨うようにアウターを襲い続けてきた。獣のように、生きることと戦うことが等価であるかのように。

 無論、盟元市とて無法ではない。ハガネは風花探偵事務所の笠音霖太郎及び黒峰研究所の出灰景色との決闘に敗れ、捕獲された。初めての敗北であった。



……白崎鋼音は、ここから先を自分の記憶として覚えている。



 決闘の舞台となった現在の廃墟帯――当時から更地になることが決定しており、霖太郎と出灰はハガネをここに誘い込んだ――の教会で、ハガネは一人の少女と惹き遭わされた。今になって考えれば風花ぼたんの予知による邂逅なのでは、とも思うが、それでもハガネにとっては運命的な出会いだった。


 少女の目だけは忘れられない。この世の全てを呪うような、真っ昏な目だ。


 言うには、彼女もまたS等級能力者であるらしい。本人の名前と同じくらい大切な、獣のハガネですら持っていた能力の通称はなく、ただ“願いを叶える能力”とだけされていた。それだけで彼女がどのような扱いをされていたのかが推し量れた。


 壁際で膝を抱える少女は、風体も辛うじて整っていないこともない、といった具合で、パーカーの袖は肩まで裂け、男物らしいジーンズも下手なダメージ加工が施されている。全身擦り傷だらけで、綺麗だったであろう長く赤い髪も泥だらけで痛みに傷んでしまっている。


「……………………」

 その姿に、ハガネは言葉を奪われた。あてどなく何かを探し続けた彼女を前に、何を与えればよいのか見当もつかなかったからだ。


「――――――」

 少女もまた、睨むというにも生気のない眼差しをハガネに向けている。


「なぁ」

 先に口を開いたのは少女だった。甘く澄んだ声で、ハガネに声をかける。

「アンタは何を叶えてほしいんだ? 何でも叶えるけど、どんな叶い方になるかわからないから気をつけろよ」


「…………」

 その言い方に、空っぽのハガネの中に生まれた感情は怒りだった。


 この期に及んで、この少女は何を言っているんだ?


 この少女は何かを失い、二度と戻らないそれを追い求めるうちに余計たくさんのものを失ってきたのだろう。自分の願いすら叶えられずに、どの口が叶えてやるなどと言えるのか。ハガネの胸中に今まで燻ってすらいなかった漆黒の炎が逆巻いた。


 その炎はハガネ自身という名の空虚の器を照らし出す。純白のヒトガタだ。血まみれの獣ではない。


 それなら。


「わかった」

 ハガネは地に膝を突き、不器用ながらに少女を抱き締めて願った。


「僕に、君を守らせてほしい」

 彼自身は知る由もなく、ただ彼女のためになることを願った。


 決して傷つけさせるものか。

 決して離すものか。

 くしくも、誰でもない少女の幸せを少女自身に願ったのは、ハガネが二人目だった。



 ここに“誰でもない君のためにディアワン”白崎鋼音は生まれた。

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