戀熱生理

「だからね、恋っていうのは密室殺人なのです」

「――」

 いきなりわけのわからないことを言われて、鋼音は硬直する。


 沸騰しかけた頭に水を浴びせるような言葉だった。それはそのまま鋼音の殺意を尖らせる研磨剤となる。


「閉ざしていた心にぽつんと立っているわたくしが、突然何者かに殺されるの。恋に焦がれて焼き殺されてしまうの!」

「あぁ、うん」

「そのわたくしを殺したのがあなた。わたくしの鋼音さまでした……ですから、」

「だから一子を襲ったのかテメェはッ!」

 感情の昂りをそのまま白い鎧で覆った拳に込めて、鋼音はカコイに殴りかかった。四十キロほどの肉の塊を思い切り殴り抜いた衝撃は赤い稲妻となって鎧の表面を伝って足へと伸び、踏み込みで粉砕されたアスファルトを更に抉る。


 土埃の白い尾を引いて吹き飛ぶ少女の体を白銀の鎧が追う。放物線の頂点でカコイの力の抜けた体を捉えた鋼音は、空中で一回転しながらカカト落としで彼女を叩き落とした。

 更なる迫撃のため、空を蹴りつけ下方へ加速する。


 がれきに埋もれた少女に、白い拳が突き刺さった。鎧の各所に設けられたスラスターからガスを吹き出しながら、超人的なパワーとスピードを矮躯にぶつける。


「お望みどおりに死ねッ!!」

 決壊した暴力は留まることを知らない。すでに抵抗のなくなったヒトガタを殴り続ける鋼音を、しかし愛しく撫で付ける手の平があった。

「は、が、ね、さ、まぁ……!」

 手の平は鋼音に組み敷かれ殴られ続けるカコイのものだ。


「……!」

 異変に気がついたときには遅かった。

 カコイの手の平から湧く炎が鋼音を包み込み、爆裂する。


「鋼音さまの激しい愛……あぁ、なんということでしょう! これほど熱い愛を……熱い、熱い、熱い愛をわたしに……!」

「っ……」

 爆発で倒れた体を起こしながら見えたカコイの姿に、鋼音は驚いた。傷一つないのだ。一撃目も二撃目もその後の連撃も、それぞれ即死とまではいかないが全て命中していた……通常ならば再起不能になっているはずのカコイは、細腕で痩身を抱き絶頂しながら鋼音に迫る。


 烈火は再び、舌のように鋼音を舐め上げる。鋼音の能力で生み出された鎧は防御力の顕現であるため並大抵の火力ならば防ぐことができるが――。


(こいつ……精神疾患型の能力者か……)

 熱波に相反するように鋼音の思考は冷静さを取り戻していく。そうしてカコイの能力が自分と同じ歪つな精神の発露であることを看破した。


 精神疾患系の能力は他の身体能力系、天啓系と比べて無尽蔵に能力を行使することができる。その分スペックは能力者の精神に左右されるが、このカコイは鋼音にとってまずい方向に振り切れている……。


 周囲の、一子の安全を確認した鋼音は、カコイを引きつけるように一瞬彼女と視線を交差させて後退する。自分に執着しているというのなら、食いついてくるだろう。

 鎧から光波を放つその疾走は音速にこそ届かないものの、大気が分厚い壁のように錯覚するほどのものだ。莫大な推力の三割ほどはどうしても生じるブレの制御に回されているが、それでも生半可な能力では彼に追いつくことなどできない――しかして戸張カコイという少女は、この盟元市の中でも指折りのアウターである。


「は、が、ね、、、、、、、、さまぁあああああああああ!」

 空気で震える絶叫を伴って、カコイは疾走する鋼音に追い付いた。


 カコイの能力は自身の受けた熱量を吸収し炎熱として放出するものだ。許容力に明確と上限はなく、感情の乗った熱量は既存の物理法則を無視し、感情の大きさに比例して倍増していく。鋼音の猛攻を受け切って尚無傷であるのも、触られた一子が突然倒れたのも、彼女に熱を奪われたからだ。


 その名を“ 戀熱生理ジュールモンスター”。その狂気が、燃え盛る鎌首をもたげている!


「嘘だろ……!」

 鋼音がいま囚われている空気の壁の正体は摩擦だ。一切合切一挙手一投足は全て摩擦によって運動エネルギーを削り取られるのだが、戸張カコイは違う。全ての摩擦もまた自らにかかる熱量として吸収し、放出する熱風で無限に加速する。


 しかし鋼音とてA等級のアウターだ。抵抗を活かして停止・反転。追い越したカコイに、加速の乗った蹴りを見舞う。

 摩擦ゼロの等速直線運動に更にスピードを加えられる形となったカコイは、蹴りのダメージを貪り尽くしたもののそのまま百メートルほど明後日の方向へ放たれた。


(もしやとは思ったが……やはり日常生活に必要な熱量は意図的に吸収していないみたいだな……。摩擦と最低限の外気温、それと自分や他の生き物や物とかの温度は自分でスイッチを入れなきゃ能力の範囲外だし、スイッチを入れたら切る必要もある……。オフの状態で奇襲を加えれば牽制にはなるか)


 その様子を観察した鋼音は、カコイの能力の限界についての予測がついた。


(それでどうする? こちらからの攻撃は自動で無効にされるし、このままこの件をなかったことにするのはありえない。ヤツは必ず叩きのめす)


 ――意識を失っているときならば殴りつけることができるのではないか。そもそもそこまで持っていけないからこうしているのだ。

 ――能力の穴を突いて、とも考えたがどうにも付け入る隙があるとは思えない。例えば彼女と同じ炎熱系の能力ならば燃焼に伴う酸素欠乏、という手段もあるだろうが、鋼音には不可能だ。


(とにかく……もう一度完全吸熱のスイッチを入れさせて隙を突く)

 ゆらゆら揺れる陽炎の向こうから、戸張カコイはふらふらと歩いてくる。その姿に、鋼音は緊張からか呼吸が荒くなる。恐怖からではない。一子に手を出した下衆への怒りからだ。同時に体温も上がる。


 頭に血が上っていく。色素のない瞳が爛、と輝く。冴え冴えとした仮説に、鋼音の口元が歪んだ。


(スイッチ……。能力のスイッチ、トリガー……。……精神疾患系の、トリガー……)

 鋼音の心の中の撃鉄が下される。拳を今一度強く握り直し、深く息を吐く。


「は」

「……」

「が」

「…………」

「ね」

「………………」

「さ」

「――――――」

「まぁ……っ!」


 炎塊と握り拳が激突し、二人は最終局面を迎えた。


「お前のことなんか知らないよ」

「わたくしは貴方のことをお慕いしております」

「だったら僕のために今ここで非礼を詫びて死ね」

「わたくしはもう貴方に殺されてしまっているのです。言ったでしょう、鋼音さまはわたくしの密室殺人犯だと」


 言葉は二人の立ち回りと同じだ。人一人が人一人に向けるには大きすぎる愛を乗せた炎を、鋼音は躱し、いなし、受け止めない。


「それが恋なら!」

 鋼音が五歩分の距離を跳躍によってとった。


「お前は一人、誰にも愛されないまま焼けて死ね!」

 腰を少し落とし、右半身を斜め前に。鋼音は次に来るであろうカコイの最大火力に備えて構える。


「一人で、ひとりぼっちで、冷たい檻の中で燃え尽きろ!」

 言葉ではない。鋼音のカコイに対する姿勢が、向き合い方が、彼女のタガを外させるトリガーとなる。


「鋼音さま――はがねさまはがねさまはがねさま! 鋼音さまはそんなことを

「お前のことなんか知らない! 」

「は――、」




 カコイの目が見開かれる。瞳の奥で灯火が消えると、彼女を中心にして風が起きた。辺りの熱がカコイに吸われた影響だ。


 恋い焦がれること火の如く。

 彼女の中にある全てのスイッチがONになった、最大出力の火炎が放たれる。

 炎は蛇のような形態をとり、アスファルトを溶かし大気を蒸発させながら鋼音を取り囲んだ。これが彼女の心の歪み、熱量の魔物、恋心そのものだ。


「だめですだめですだめです! わたくしを愛して! 愛して! 愛してください!」

 カコイの叫びに呼応してか……おそらくそれは冷却と加熱を繰り返された空気のうねる音だろうが……蛇が咆哮する。


「結局、それだけなんだよ、お前は」


 大きな口が鋼音を呑み込もうとした寸前、炎に照らされた白い人影が呟くのと同時に蛇は勢いを失った。

 カコイが力なく、ぱたりと倒れこむ。一子が襲われ、気絶したときと同じだ。


 少しの間、離れたところから地に伏すカコイを観察した鋼音は、彼女が本当に気絶しているか確かめるために歩み寄る。

 先ほどまでとは打って変わって青白く生気の抜けた肌に触れてみると、冷たかった。脈も弱々しい。


「上手くいってよかった……」


 カコイを激昂させ、より火力を高めるために自分自身の体温も能力に転用させることで一子と同じ低体温症にさせる作戦は成功したらしい。


 いかにアウターといえど、外部からの熱量を完全に食い尽くすといえども、どんな能力を持っていても所詮は人間だ。体内の温度が二十度を下回れば内臓も細胞もあらゆる身体機能が弱まり、昏睡状態に陥る。このまま放置すれば昏睡・仮死の現状から完全に死ぬことになるだろう。


 そんなカコイの腹を、鋼音は真珠色の光をまとった拳で軽く小突いた。

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