黒峰研究所
秋のガレージは、外より一層肌寒い。
とっとと切り上げよう、と出灰はすでに撫で肩気味の肩をさらに下す。
「じゃあ確認だ。今回の研究目標は『“影素”の携帯化』だ。容器に入れるなりして持ち運ぶことができれば、鋼音や霖太郎も疑似的にだが“影素”を扱えるようになるだろう」
「限定的にだがな。限定的にだがな」
「気持ちはわかるが出灰、少し静かに」
出灰は自身の能力――天啓系A等級“影素”について、ほかのアウターとは一線を画すほどのプライドを持っている。いかに研究のためとはいえ、それを易々と他人に扱われるのは面白くない。
「出灰のいうとおり、現段階ではだいぶ限定的な使用になるだろう。出すだけ、になるかもな。だがある程度の量をある程度出灰以外が扱えるのなら、そこから更に研究が進むというわけだ。外部からもこぞって研究協力とは名ばかりの連中が集まるだろうが、この研究を進められるのは唯一この私だけだ」
「はは……」
似た者同士だな、という感想を飲み込みながら、鋼音は乾いた笑いを浮かべる。かねてより見せられていた研究概要では、このあと話を振られるのは自分だとわかっているからだ。
「さて鋼音」
「ははっ」
鼻で笑うように答えたのはせめてもの抵抗だ。
「この容器として、その“ディアワン”を採用したい」
「いやです」
「そもそも“影素”は現実には存在しないし立証もできない物体だ。昔々、火を起こすのは燃素だとされていたが、その実炭素が酸素を反応したときに発生するエネルギーだった。その逆算だろうな……影は“影素”という物質が集まっているからだ、という定義で出灰の能力は成立している、と考えられる」
「いやです」
「成り立ちは置いておくとして、“影素”は莫大なエネルギーを発生する砂粒のようなものだ。エネルギーについては出灰がコントロールできるのだが、離れると途端に爆発する。光エネルギーの対になっているからだろうかな……とにかく破壊力がある。それを容れるとなると、相当頑丈なものでないとならない」
「いやです」
「それにただ頑丈なだけじゃだめだ。“影素”の性質を抑えつつ、というのが肝要だ。影に濃淡があるのを知っているか? 明るいところだと黒というより灰の色になるんだよ。明るいというのは明暗、色でいうと白だ。色ではないのだがな」
「いやです」
「硬くて白い! あぁどこかにそんなものが落ちていないかな!?」
「発泡スチロールを使おう」
「そんなわけで君の力が必要だ、白崎鋼音くん! 落とせ! ドロップアイテムを寄越せ! さあ剥がせ!」
「あーもう!」
鋼音が折れた。
口論の開始の時点で鋼音の反論材料はなかったようなもなので、土俵に上がったときにはすでに敗北していたのだ。むしろよくここまで保ったほうだろう。
“影素”を、例えば鋼音自身が短絡的に扱えたのなら、目を見張るほどの強化だろう。そうすれば一子を守り、これに害成すものを撃退し牽制することも今まで以上に容易くなる。最後の最後、言い回しはともあれ能力からなる素材を直接要求するまでになってまでそのことを引き合いに出さなかった黒峰にいくばくかの感謝を抱き、鋼音は白銀の鎧を展開する。
……アウターの持つ能力はその性質から――精神疾患系、身体機能系、天啓系に、研究の有用性や単純な戦闘力など様々な観点からA~D、規格外としてのSとE……三系統六段階に分かれている。
突風を伴って、鋼音の発動の下、彼を白銀の鎧が包んだ。
覆うというほどの面積ではなく、軽装な鎧といえど、それでも質量を無視したものだ。あえて構築材料の候補として挙げるのならば、常に外装から零れるようにして放出されるかすかな光芒だろうか。
いや、精神疾患系のものである以上、これは鋼音自身の心の在り方だ。鎧も光もその発露である。
「うん」
精神疾患系A等級“ディアワン”……盟元市でも屈指の能力を前に、黒峰は頷いた。
「この前研究所で使ったら書類が散らばったからな。やっぱりガレージを借りて正解だった」
「書類が散らばってるのはいつものことじゃないんですか」
出灰が非難するように呟くが、黒峰はそれを意にも介さず金属とも陶器ともつかない硬い物質を撫でている。
白亜の鎧は、鋼音の胴体とそれぞれの関節、手先や足先、側頭部に目元を主として防御するように装備されている。各所に配置されたスラスター(黒峰はこれを光波推進であると推測している)は鋼音が必要だとしてあとから増設したものだ。
鋼音本体と鎧との境目こそあれ、継ぎ目らしい継ぎ目はなかった。これまでの経験から、鎧そのものが砕けるほどのダメージを受けるか、鋼音自身が能力を解除しない限り外れることはない。もっとも、“ディアワン”の性質上破損するということは稀なのだが。
例外として確認されているのは、
「ふ、ふ……く……っ」
悶絶しながら、鋼音は手ごろなパーツとして脛当てに手をかけている。自らがカサブタのようだ、と喩えたとおり、その手つきはカサブタを剥がすように慎重かつ時に大胆だ。
「まぁ、亀の甲羅みたいな感じだろうな」
黒峰が所見を述べる。出灰は「亀?」と続く説明を催促した。
「亀の甲羅っていうのは外骨格みたいになっていてな。別に貝やカタツムリみたいに中に裸の緑色をした楕円形のなにかが暮らしているわけじゃないんだ」
「……そういえば剥がしたあとの中身って見たことないですね」
「そうだな……わかりやすいところでいうと、蟹なんかはどうだ? かっこいいぞ、蟹は」
「あぁー……わかるようなわからないような」
「どちらかといえばあいつらと同じだよ。内臓の作りや血液の色、体の構造とかが人間に近いぶん、かえって想像がつきにくいだろうが。そうだ、食用で有名なすっぽんなんかはいいぞ」
「いやぁ、亀を食べようとは思いませんよ」
「まぁ積極的に食べようと思わなきゃ一生食べないようなもんだしな。ともかく、あの甲羅は背骨から肋骨が進化したもので、あの中にははらわたが直接詰め込まれているわけだ」
「人が剥がしてる最中にそんな話をするんじゃない」
苦悶の最中に交わされたやりとりは、鋼音の手を止めるのには十分だった。件の甲羅とは黒峰のいうとおりどちらかというと近い性質のものなので、よくない連想をしてしまった。
「だ、大丈夫なのか鋼音……せめてちょっと視界を暗くして楽にしてやろうか……」
「いやいやいやいや、そこまでじゃないんだ。ほんとにもう内臓とかそんなんじゃなくて、傷口がピンクのぷにぷに状態のときのカサブタみたいなものだから。黒峰先生も僕の気が変わらないように少し黙っててくださいよ」
「いやぁ、つい
「
「待て鋼音。意外とお坊さん連中は欲の塊だぞ? まさか無欲で正座したまま寝言みたいなうわごとを唱えたり、つらいだけの修行をしたりしていると思っているのか? まさかまさか! 彼らはその歪んだ性癖からか、はたまたより高みに上りたいという飢えからか……あるいは極楽浄土に召されたいという悪鬼めいた逃走かもしれんぞ」
「ええい! これ持って研究室に戻ってください! 帰り道でお坊さんと仏様に謝ることを忘れるな」
最後は勢いで剥がした鎧の一部を差し出し、黒峰が受け取ったのを確認すると、鋼音は“ディアワン”を解除した。光芒とともに鎧は風に乗って掻き消えるが、取り外されたパーツは残ったままだ。
「……どうも神職っていうやつが気に食わなくてな。謝るついでに三つ助言だ、鋼音。
一つ、お坊さん連中よろしく高潔に見せかけた献身もめぐり廻れば
二つ、それを覆すのもまた利己だ。利己は利己でのみ押し通される。……精神疾患系のアウターなら特に、な。
三つ、すべてには例外が存在する。高潔な献身も存在しないとはいいきれない。
まぁ、気を付けて帰れよ。バイクでの事故は痛いからな」
「えぇ。安全運転で帰りますよ。一子もいますしね。あ、それと明日研究所の方で先生も交えて待ち合わせをする話になっているんですけど、都合は大丈夫ですか?」
「あぁ、いつでもいいぞ。明日はこもりっきりだからな」
ちらり、と視線を向けられた出灰が肩を竦める。
「で、誰とだ?」
「外から来た特殊探偵です。軒先、っていうんですけど」
「わかった。気に留めておこう」
「それでは」
いったん事務所に上がり一子を回収した鋼音は、バイクに跨りA等級居住区にある自宅を目指した。
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