風花探偵事務所

 このまま帰るというのも薄情かと思い、顔を見せるついでに一子を回収しようと、鋼音は風花探偵事務所を目指した。


 喫茶店から事務所へは、バイクだと数分の距離だ。

 鋼音たちが住むA等級居住区から、ある事件で形成された廃墟帯を突っ切って十分ほどでB等級居住区に入る。廃墟帯を迂回することもできるのだが、そのルートだとさらに十五分ほどかかることになる。


 B等級居住区には歓楽街などが展開され、研究施設一色のA等級居住区とは生活の便利さも色気も何もかもが違う。鋼音はともかく、年頃の少女である一子はことあるごとにここへ足を運びたがる。この辺りは世話になっている特殊探偵の風花ぼたんやその助手の長雨霖太郎なども治安維持活動を行っているので心配はないのだろうが、それでも不安になるというものだ。


 大塔と並ぶ盟元市のシンボル、巨大アーケード街を横目に、喧噪から少し外れた三階建てのペナントビルに着いた。一階部分が車庫と玄関、その他設備、二階が事務所、三階がぼたんらの自宅となっている。


 ほとんど自分しか使っていない車庫に白いフレームのバイクを駐め、我が家のように二階へ。


 さて、鋼音は自分の不注意さを呪うこととなる。

 暖房とも冷房ともつかない惰性のような風を送るエアコンはまぁいいとして。

 仕事を放りだし、応接間を兼ねるソファで寝息を立てる友人の霖太郎も、百歩譲るとして。


「やぁ白崎、今日という今日は研究に付き合ってもらうぞ」

 なぜ黒峰愛がここにいるというのか。


「間違えました」

 一瞬の硬直のあと、鋼音は開けたドアを閉めた。


 黒峰は鋼音の所属している研究所の所長である。

 アウター――特にB等級以上の高位能力者――は、それぞれ研究所への参加が奨励されている。鋼音などのA等級ともなれば、その身柄の保障も兼ねて首輪めいて参加せざるを得ない。日々の生活費などを研究に協力した対価として受け取ることができるので、義務ではないのだが、ほとんどのアウターがこの制度を利用している。親元から離れた未成年者も多い盟元市では、いまやこのシステムはなくてはならないものとなっているのだ。

 鋼音もまたこの例に漏れず、自身の能力を研究機関に委ねることで生活している。委ねてはいるのだが、そこは人間のサガというべきか、鋼音は定期健診をさぼっていた。業を煮やした彼の所長が、直々に現れたのだ。


「…………」

 ドアを開けられないようノブを強く握りしめ、息を潜める。タイミングを見計らって回れ右をするのだ。無事バイクを動かすことができれば今日は逃げおおせることができる。


「あれ、鋼音じゃん。用事は終わったのか?」

 できなかった。

 背後から声をかけたのは、ポリ袋を手に提げた一子だった。その傍らには小学生のような成人女性、風花ぼたんも鋼音の来訪を喜ぶようににこにこと笑っている。

「ぼたんがさ、鋼音も来そうだ、って言ったからさ、鋼音の分も買ってきたんだ」

「ドーナツ、一緒にいかが?」

 はにかむ一子を前にすると、鋼音は弱い。



◆◆◆



「裏切りものめ」

 革張りのソファに腰を落ち着けると、背もたれの裏で膝を抱えた少年に非難された。


 黒峰研究所の所員であり筆頭研究対象の出灰景色だ。これに霖太郎を加えた三名が、黒峰研究所に属している。

 目元が隠れ、肩まで伸びた髪が出灰を一層幼く見せる。


「裏切るだなんて人聞きの悪い……毎回剥がされる身にもなってみろよ。僕の鎧はあれでも結構カサブタみたいなんだ。黒峰先生の研究に付き合ってると皮膚がいくらあっても足りないよ」

「オレの“影素”だって似たようなもんだよ。あれ弄るの体力使うんだよ。いわば体力を吸われているんだ。あの吸血鬼みたいな女にな」

「誰が吸血鬼だ、誰が」

「トマトジュース好きはみんな吸血鬼だ」

 トマトを漉しただけの100%トマトジュースを青臭さごと飲み込む黒峰を、前髪の隙間から出灰が睨む。その視線に怒りなどといった感情はなく、単純に待遇の改善を求める抗議のものだ。


「吸血鬼、吸血鬼ね……。知り合いのセンセの研究対象は吸血鬼系だったかな。どうだ? 見学してみないか」

 お化け屋敷みたいで楽しいぞ、と黒峰は付け加える。


「お化け屋敷?」

 一子が首をかしげる。彼女はそれを知らないからだ。


 一応、盟元市にもそういったものを含む施設はいくつかある。ただ縁がなかっただけではなく、彼女や鋼音はその能力をA等級以上とされているアウターは、遊園地などのある非制限居住区に出入りするためには所属する研究所などからの許可証がなければならない。


「あぁ。オバケとか人造人間とかガイコツとかもいて面白いぞ。作り物だけどな」

「……幽霊ってやつか?」

「……まぁ、そんなもんかな。エクトプラズムを投射するアウターもいるけど、それとはまた違う。肉体を失った人間の魂というか、エネルギーが本体というか――」

「そうか。……そっか、行ってみたいな」

「このあと鋼音の鎧を剥ぐから、そうしたら申請書の一つや二つ書いてやる。楽しんでこい」

「はぁ……」


 鋼音は一子に弱い。研究に協力的なアウターであれば申請も通りやすいので、渋々ながら、黒峰に協力することにした。


「風花、ガレージ借りるぞ」

「はーい」

 奥の部屋の所長に断りを入れて、黒峰は鋼音と出灰を連れて階下の車庫へと向かった。

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