つまづいて、転んだって

 盟元の大塔・ターミナル。

 この能力都市の英知の結晶にして結集。あらゆる研究が集い、それ以上にあらゆる研究を先進するシンボルは、その実牢獄めいている。


 無理もない。研究材料であるアウターが脱走するというのは貴重な資料の喪失に等しい。研究内容の漏洩などというのは、渡るところに渡れば外界の情勢が大きく揺らぐ。

 だからこそ、このターミナルは固く閉鎖とざされてなければならないのだ。


「日比野だ! 日比野が逃げたぞ!」

 だからこそ、この日ターミナルは騒然としていた。


 “不老不死”日比野悠芽が、研究段階の新たなガジェット一つを手にして脱走した。その際、人質として十歳の女子を同行させている。

 このターミナルで半世紀過ごした怪物が、現段階ではあらゆる副作用に耐え死ぬことのない彼女にしか使えない『スタンプ』と呼ばれるものを持ち出している。その事実だけで、今まさに世界が滅びるかもしれないのだ。


 ターミナルのスタッフたちは戦闘用のジャケットと麻酔弾が装填された自動小銃を装備し、悠芽を追いかける。


 一子の手を引いて走る悠芽の後ろから、パンパンと乾いた音がした。銃声だ。脱走した悠芽のみならず、その人質されたであろう一子も巻き込まれるであろうに、その音々に迷いはない。


 黒いジャケットに黒いサングラスと、追手たちは努めて没個性であろうとしていた。

 彼らが追っているのは人の形をした人外だ……そう教育されている。アウターと呼ばれる異能力者は、自分たちの構えている拳銃より凶悪な力を有している、とも。

 だからこそジャケットたちに迷いはない。ここで仕留めなければ自分たちはおろか家族や友人もまた“わけのわからない力”で惨殺されてしまうかもしれない。聞けば、今回脱走した女は全身の臓器を抜かれてもなおこの様に走っている。彼らはその実、悠芽を恐れているのだ。


 彼らと違い、放たれた銃弾に恐怖などというものはない。ただ物理法則に従って、麻酔弾は悠芽の体を穿つ。

 強烈な痛みと少し遅れてくる意識の喪失感を噛み殺し、悠芽は足を止めない。


 一子はといえば、悠芽に握られている左手から伝わる青く淡い光芒に包まれている。これはあらかじめ奪取しておいたスタンプの一つ、《感覚遮断》によるものだ。本来は陸奥藤吉という男のもので、A等級精神疾患系の能力である。自身または相手の感覚をここではないどこかに置く、というのが大きな効果だが、本質は『適用中、発動したアウター以外からあらゆる干渉を受けない』ところにある。例え一子に銃弾が当たろうと、当たらなかったことになるのだ。



 能力は等級以外にも身体機能系、アウターの心がに起因する精神疾患系、それらに該当しない天啓系の三つに分けられている。悠芽の“不老不死”も陸奥藤吉と同じ精神疾患系の能力だ。

 現在、ターミナルでは三系統のうち精神疾患系のもののみがスタンプとして開発段階に置かれている。使用に伴い元のアウターの髄液を自身のうなじに注射し、髄液と髄液を混ぜ合わせることで一時的に他のアウターの能力を得ることができる……というのが大体だ。多大な痛みを伴う脊髄注射ではなく血液に浸透させること、名の通りスタンプ注射型にすることなどで、ゆくゆくはより使いやすくすることの研究も進んでいる。



 ――このような経過を踏まえ、一子は悠芽によって五感を遮断されてる状態だ。手を引かれているので反射的に走ることはできているが、周りで何が起こっているかはわからない。



◆◆◆



 薄暗い通路を駆け抜ける。

 実験が失敗したときなどに使用される緊急通路や、秘匿性の高い研究室に繋がる狭路、実験のために用意された苦難困難を強いる仕掛けが施されたコース……これらの存在や攻略法は、彼女が五十年ここで過ごした蓄積あってこそだ。ジャケットたちは徐々に数を減らし、ついに外部へと通じる門の前に辿り着いた。


 ここは悠芽のような怪物が搬入される入口だ。入口であって、出口ではない――。

 かくして、入口は入口としての役を成すこととなった。研究者の手がかかっていない生え抜きのアウターが、来訪を告げるアラートをフロア中に響かせ現れる。


「お、いいタイミングだな」

 新しいアウター、それも“不老不死”の研究を進めることが期待されるのが来るとしたら、このゲートしかないと悠芽は読んでいた。脱走を決心したのも、確実に出られるルートが確保されているからこそだった。

 一子の手を一層強く握って、悠芽は零れてくる外光を背に浴びる人影を睨む。


「――――」

 少年だった。

 少年は身の丈ほどあるぬいぐるみを抱え、悠芽を一目見て微笑んだ。


 その周りにいる大人たちは、一様に驚いていた。携行機銃を脱走者に向けるでもなく、ただ悠芽がここにいることが信じられないといった態度だ。


「はじめましてカワイコくん、そこを通してくれ」

「おばさん誰?」

「……はぁ?」

 悠芽の体が強張る。出会いがしらに暴言を吐かれたからではない。その暴言が、彼女の本質を理解していなかれば出てくるはずもないものだったからだ。

 あるいは少年にとって二十代の女性がおばさんに見えるということもあるだろう。それはそれでやや性格に難があるのだが、これまでの経験から悠芽は少年の瞳にただならぬ何かを感じた。


「……なるほどね」

 少女のような声で、少年は呟く。戦闘服の男の腰から手榴弾を奪い、ピンを抜いてその場に叩きつけた。

 とっさに一子を自分の背後に隠した悠芽だったが、その場にいた全員ごと爆発に巻き込まれてしまった。


 手榴弾は、その爆発ではなく爆破された破片による殺傷力が脅威となる武器だ。地雷のように生かさず殺さず、しかし確実に苦しませて殺す。爆心から近かった少年と悠芽のほか、少年を連れてきたターミナルのスタッフは立ち上がることすらできないほどの重傷だ。ぬいぐるみも面影を残すのみ。唯一無傷だったのは庇われた一子のみである。


 ぶすぶすと燻る傷口が、ずきずきと熱い傷口が癒えていく……。


 怪我の回復というのは、負傷部位の役割を果たす体組織で入れ替えていく新陳代謝に他ならない。元になる血肉を、元になる体力を使って、必要な分の時間をたっぷりと使わなければならないのだ。今回のような負傷であれば、その代謝が間に合わず体力をいたずらに消耗してしまうか、はたまた塞がる前の傷口からの感染症、単純な失血などのショック死が相場だ。

 日比野悠芽は、その大前提を無視して完治してみせた。揺れた振り子が静止するように、それが当たり前のように、彼女は何事もなかったかのように涼しい顔をしている。

 対して少年は、その前提に強く縛られている。足りないはずのエネルギーは倒れたスタッフの血肉を食らうことで補っている。全身裂傷と火傷だらけで、さぞ食べ頃だったことだろう。


 中途半場に当たり前に縛られている分、悠芽は彼が不気味に思えた。


 口元の血糊を舐めとり、少年は拾い上げた機銃を掃射する。

 成熟しきっていない肉体、回復しきっていない身体、なにより不格好な構え方のせいで、マズルが閃くたびに少年の体は破壊されていく。


「やめろ少年! このまま戦えば君の体が保たない!」

 弾丸の雨を一身に浴びながら悠芽は警告する。異常な回復力を示すアウターは、往々にしてその能力故に人間ではなくなってしまうからだ。強制的な回復によって骨折などすれば折れたまま繋がり、血管は千切れたまま新たに接続され、神経は他のシナプスを介するようになる。次第に人間らしいカタチを失い、死のうにも死にきれず――


 少年を力づくで止めようにも、彼が戦闘を続行するかぎり悠芽は動けない。一子を守らなければならないからだ。このまま足止めを食らっていれば、前後から別の追手が来てしまう。


 一人ならば……そうは思えど、しかし悠芽はこういうのも悪くないと感じていた。

 自分の“不老不死”は、やはり困難に立ち向かうべき能力だと痛感する。人にできないことをできないまま強行する権利だと実感する。


 いかに人体をやすやすと貫き、破裂させるほどの威力だろうと、悠芽には通用しない。貫こうとすれば生えた骨肉に阻まれ、破裂した先から閉じるように収まるからだ。……今まで試す機会がなかったが、こうして極限の瀬に立たされてみて至る境地というものがある。


「ありがとうな、一子」

 空いている左腕を、悠芽は諦めた。

 左肩から先が鈍い音を立てて落ちた。それを、機関銃を交換しようとした少年に向かって蹴りつける。想像以上に重たかったが、それが功を奏し少年は一瞬だけ怯んだ。


 左腕は意思を持つかのように、少年の首を掴んだ。破壊しないように、しっかりと、ゆっくりと、気道と血管を締め上げていく。

 短く息を吐いて、少年は倒れた。脳に酸素が行き渡らないことによる気絶……仮死状態だろうか。その顔は青ざめている。


 念のため片腕を放置し、悠芽は歩を進めた。五体のうち一つが欠落したのでバランスがとりにくくなったが、こういう不自由さも楽しくなってきた。


 ……日比野悠芽の左腕が戻ることはなかった。彼女のソレは、最後まで彼女の能力下にあったまま死んだのだから仕方がない。のちに盟元の記録に残されることになるのだが、これは彼女の不死性が精神に起因していることによる。はっきりとした意思によって喪ったものは不死の対象外なのだ。


 片腕の顛末を確認した悠芽は、タコの足みたいだな、と雑な感想を抱いた。

 タコの八本足……正しくは足ではなく腕なのだが……は外敵との争いで欠損しても新たに生え変わるが、ストレスなどで自分から噛み切った場合は一生戻らないという。


 自嘲気味に笑いながら、悠芽はある場所を目指していた。


 ターミナルから一足出れば、そこは盟元市の中心街だ。研究施設こそ目立つが、おおむねの町並みは外のものと大差ない。

 五十年前と違う風景に戸惑いながら、人目をはばかるように一子の手を引く。


 弾丸を受けた胸が痛い。腹が痛い。腕が痛い。足が痛い。それなのに心につられて体は進む。こんなのは初めてだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る