アクトディーラー

 緋色のトップハット、臙脂色の燕尾服を身にまとい、唐木でできたステッキをくるくる回しながら街を歩く男がいた。


 彼は笑顔をたたえ、鼻歌を歌う。

興味深おもしろい、興味深おもしろい――」

 ふくくく、と押し殺した笑い。


 人類が絶滅してしまったかのように、彼の周りは痛いほど閑かだ。人の声も、気配も、街の息遣いというものがおよそ感じられない。

 鼻先で歓びを奏でていると、男は廃工場地区に辿り着いていた。


 林立する工場の中で一棟、スーツの男たちがたむろするものがあった。胸にかけられたカードには、彼らが盟元市のスタッフであることを証明する情報が記載されている。

「やぁ」

 燕尾服の男は、七名の男性たちに声をかけた。

「誰です、あなたは」

 明らかな不審人物を前に、スタッフたちも戸惑いを隠せない。戦闘慣れしていそうな三人は胸元に手を入れている。握り方からするに、拳銃だろう。


「私の名はアクトディーラー。ふくくくくっ、お見知りおきは結構」

 名乗り、アクトディーラーは指を鳴らした。

 パチン、という乾いた音とともに、辺りの空気が停滞した。スタッフたちは全員、酸欠で倒れる。

 男の一人が持っていたトランクが地面に叩きつけられ、開いた。中からは厳重にパッケージされたアンプル――スタンプ、といったか――が出てきた。


 アクトディーラーはその中から一つを取り上げ、まじまじと見つめる。

「…………ほう」

 スタンプを握り潰し、転がっているものにどこからともなく発生させた炎を放ったアクトディーラーは、目の前の鉄扉を溶け込むようにすり抜けた。



◆◆◆



 廃工場の中は、温泉のように煙草の紫煙が満ちていた。アクトディーラーは顔をしかめる。


 方々でアウトローな風体の少年少女が、思い思いに過ごしている。その全員の首元に、スタンプを使用したらしき痕が見受けられた。


 間白地明治といえば、奥の方でスタンプを販売しているグループの中心にいた。購入者の高校生の手を取り、その適正を量っているようだ。


 正面入り口からの訪問者に、その近くにいたアウトロー数人が気付いた。それぞれアクトディーラーを観察したり、時間を確認したりしている。


「なぁ、あんたが盟元のやつなのか?」

 オールバックの少年が口を開いた。

 アクトディーラーも、キザにハットを脱ぎ、お辞儀をして答える。

「いいえ、わたくしはアクトディーラー。あなたたちがアポを取っていた盟元の人間は始末させていただいたので……そうですね、どうです? 代わりに私とお話しませんか」

「殺せェーッ!」

 号令に、少年少女らが一斉に振り向いた。ざっと数えただけで三十人はいるだろうか……それだけの人数がいて、しかしその矛先はただ一人のみに向けられている。当然だ。全身真っ赤な燕尾服の男など、怪しいに決まっている。気軽に人を殺せる力を得て、殺せと言われれば、必然殺しにかかるだろう。


『《アロー》!』

「!」

 スタンプが発動された。

 紫煙を切り裂くような歪みが、放物線を描きながらアクトディーラーに向かう。アクトディーラーはこれを、足元の砂を一握り撒き散らすことで無力化した。


 ――全員が同じスタンプを使えるということは、それだけ《矢》のスタンプの汎用性が高いということだろう。その中でも一際高い適正を示す者たちが、手で触れた空気を矢として放ったのだ。そうは言っても空気は空気、タバコの煙に当たれば軌跡を描くし、空気より重い砂粒でもかき消すことができた。


 続けて放たれたのは、《火炎》を依り代とした矢だった。砂のカーテンを突破してきたそれらを、アクトディーラーは左足を軸にした流麗なターンで吹き消す。


「どけ! オレがやる!」

「あ、おい待て、商品はまずい!」

 中央辺りから飛び出してきた男は、トランクの中から未開封であろうスタンプを取り出し、自分の首筋に打ち込んだ。

『《刀剣化ブレイドフォーゼ》』

 駆けながら手に取った鉄パイプに剣気が宿る。


 袈裟に斬りかかられるアクトディーラーだが、しょせん相手は素人だ。ひらりと躱し、後頭部を思い切り殴りつける。

 空振った鉄パイプは、工場の鉄扉をバターのように切っていた。アクトディーラーは被りなおしたハット越しにそれを一瞥する。

 足で倒れた男を仰向けにしながら、薄い唇が好奇心で歪んだ。


「なぁ明治、まだか!」

「いま必死で診てるよ!」

「くそっ、普段からちゃんと診とくんだった!」

 背が高く、それなりに体を鍛えているらしき男たちが間白地に群がっていた。この状況を打開できるスタンプと、その適合者を探しているのだ。

 ほかには、空気や石礫を矢として牽制するもの、恐れをなし奥のほうへと逃げるもの。


「まぁまぁまぁまぁ、みなさん落ち着いて。私はお話をしよう、と言っているではないですか! さぁ聞かせてください、そのスタンプがなんなのか」

 説得するような口調だが、その実彼を突き動かしているのは非人道的なまでの好奇心だ。切り裂かれた扉の向こうに、地に伏す男たちが垣間見える。この男は話をしたところで、ただの興味で命を弄ぶだろう。若者たちはアクトディーラーの危険性をいまさら察知した。


「じゃあその体にみっちり叩きつけてやるぜ!」

 シャツを突き破るほどの巨腕を振り下ろし、角刈りの男が叫ぶ。首筋の光る痣を見てわかるとおり、これもまたスタンプによって得た能力だろう。


 大樹のような一撃に、さしものアクトディーラーも大きなバックステップでの大げさな回避を余儀なくされた。風になびくハットを手で押さえながら、冷酷な視線は角刈りの男に注がれる。


 続いて肥大化した両足による跳躍、高さ三メートルからの振り下ろし。小さく後ろに下がったアクトディーラーを追うように左右から掬うような張り手の連打。


 悪魔のように尖った耳と、異常なまでに強化された四肢を見て、アクトディーラーは“ゴブリンレイジ”という身体機能系C等級の能力を思い出していた。弱点は――

「おっと、危ない危ない……」

 壁際まで追い詰められたアクトディーラーを、角刈りの絶叫と拳が襲う。アクトディーラーは身をかがめ、これをやりすごす。細身の男の代わりに焼いた鉄を冷やすための菜種油が詰められたドラム缶を殴りつけた角刈りは、破裂した勢いで飛んできたドラム缶を顔面で受けた。

 角刈りは、うめき声をあげながら倒れこむ。

 “ゴブリンレイジ”の弱点は知能の低下と四肢以外の無防備さにあった。


「さぁ、次は誰だ? それとも話をするきになったか   な?」

 廃工場の奥、間白地のいた辺りに振り向いたアクトディーラーを、一本の尖骨が貫いた。


「■■■■■■■■……」

 骨の主は、高さ八メートルはあろう工場の天井に届きそうな程巨大な、骨の怪物だった。

 恐竜の骨格を元に、人間らしい長い手足を取り付けたらこのような形になるだろう。ティラノサウルスの化石めいた大顎が咆哮する。


「“がしゃどくろ”……。そういえば……あるって言ってましたね……」

 口の端から血を流しながら、アクトディーラーは尚も笑みを絶やさない。

 胸を貫いていたのはがしゃどくろの尾の先だった。引き抜かれ、よろめくアクトディーラーを、強靭で重厚な骨格兵器のしっぽが叩き潰す。


「やった……」

 腰を抜かした少女が呟く。

「やったぞ……」

「やったんだ……!」

 つられて、仲間たちもいけすかない不審者の打倒を喜んだ。

「■■■■■■……」

 がしゃどくろは唸り声を上げながら振り向き、みなを見やる。

「サンキュー工藤! これからみんなで、パーッと祝杯でもあげようや!」

 少年の言葉に沸き立つ『エクステンド』の者たち。


 ……がしゃどくろは答えない。


 ……がしゃどくろは、応えない。


「やっぱりか……みんな、逃げよう」

 いち早く危険を察知したのは間白地だった。いや、察知ではない。彼だけは知っていたのだ。予感といってもいい。

 突然水を差された面々は、口々に疑問を投げかけ、あるいは不満を口にした。それでも、数人はこの時点で漠然とした焦燥感を感じていた。彼らは《矢》などのスタンプに特に適合率の高かったからだろう。


「間白地明治くん。彼はやはり、」


 がしゃどくろは暴走している――。

 仲間を見捨て自分だけ逃げるべきか。それとももう少し説得して、仲間とともに逃げるべきか……間白地が逡巡していると、がしゃどくろは大きな尾を彼らに向けて振りかざした。

 壁が迫ってくるようだった。抵抗を許さない絶対的な破壊を前に、一様に目を強くつむり、恐怖に耐えることしかできない。


 ……。

 …………。


 恐怖にすら耐えきれなくなった者から目を開け始めた。


「■■■■■■……!」

「ふくくくくくっ」

 尾撃を弾き飛ばし笑うのは、圧死したはずのアクトディーラーだった。


「あなたは……」

 腰を抜かした間白地は、アクトディーラーを見上げる。

「あのスタンプのもとになった“がしゃどくろ”はA等級。盟元にもそうはいない、人智を超えた力だ。ふくくくくっ、こんなところに、そんなものの適合者がいるわけがない。C等級ならまだしも、BはおろかA等級に手を出すからこうなるんです。

 あぁ、やっとお話できましたね」


 その前に、とアクトディーラーは一歩前に躍り出た。


「■■■!」

 がしゃどくろはそれに威嚇で応える。

 背中からプテラノドンのような大きな骨の翼が生えたかと思えば、怪物はそこから雨あられのように槍のような骨を撃ちだした。

 それらはすべて、アクトディーラーが指を強く鳴らすと砕け散った。


 大振りの尾撃。これはアクトディーラーが中空にかざした手のひらから空気の壁ができたように、彼から五メートルほどで圧し留められる。尾を幹として、枝葉のように骨格を展開すれば、それもすべて燕尾服のように赤い炎で焼き払われる。


「……さて、そろそろ限界とお見受けしますが、いかがか……」

 その後も猛攻から自身と戦意を失った『エクセリオン』をかばいながら、がしゃどくろに対して有効打を与えられない時間が続いた。もはや廃工場の中身は粉塵と破壊された機械などの残骸でめちゃくちゃになっている。


 体内で生成した高エネルギーの光線を口から吐き出し、がしゃどくろはようやく沈黙した。エネルギーはアクトディーラーに向かうたびみるみる減衰していき、被害はない。


 くずおれた怪物がほどけ、変身していた少女ががしゃどくろの胸のあったところで倒れこんでいた。『エクセリオン』らは工藤という少女に駆け寄り、その安否を確認する。

「これに懲りたら……スタンプといいましたか……手を引くように。それでは」


 天井に向かって火を放ち、アクトディーラーは蜃気楼のように姿を消した。

 唖然としていた少年少女たちだったが、廃工場が火事だと知り、大急ぎで外に逃げ出した。炎に飲まれていくスタンプを惜しむ者はいなかった。

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