継続・特殊探偵 軒先縁日

始動

「それじゃ、向こうでも元気でね」

「はい。お世話になりました


 中学生ほどの男子を見送った軒先縁日は、顎の無精ひげを撫でながらため息を吐いた。

「いやになるよ、ほんと……」

「仕事なんですから、割り切ってください。あとひげも剃ってください」

「どっちもやだね」

 その様子を背後から無表情で見つめていた助手の岬万洋の進言と、彼女から手渡された次の案件の書類を突っ返し、縁日は自分のデスクについた。

 日光を背中に浴びる席は、この軒先特殊探偵事務所の所長の席だ。


「あの子は突然周りから疑われ、追い詰められたんだ。あの子だけじゃない……そいつらを最後まで追いかけて、見ず知らずの土地へ叩き込むだなんて。厭々やらなきゃ嘘だろう」

「……彼は一体どんなアウターだったんですか?」

「所見では身体機能系D等級、“硬化”だ」

「Dですか……となると、ナイフで傷付くかどうかですよね? どうして見つかったんですか?」

「なんてことはない、ただ日々の積み重ねだって話だ。……本当に厭だ。彼がアウターだと発覚するより先に、アウターなのではないかと疑われていたってことだからね」

 送り出した少年の資料を眺めながら煙草に火をつけた縁日は、紫煙を苦々しく吐き出して言った。


「あぁ厭だ厭だ。人を信じよりも疑う方が易しい。なんてひどい話だ。どうだい岬、心当たりは」

「はぁ。わたしは……」

 岬はじっと縁日を見つめる。

「探偵をやっていた父も、似たことを言っていました。『探偵の仕事のほとんどは、夫からの妻の不貞の調査だ。人間なんて、特に女性との結婚だなんて甚だ信じられない』と」

 うんざりとした顔で聞く縁日だったが、岬がでも、と言葉を次いだことで半分ほどしか燃えていない煙草を灰皿に押しつけた。

「『今の嫁さんに出会って、まんざらでもないと思えるようになった』とも言っていました。軒先先生、まだもう少し、頑張ってください」

「…………はいはい」

 手渡された新しいアウター被疑者の資料に目を通す。


 間地白明治。十七歳、高校三年生。中肉中背、特徴らしい特徴はない。

 依頼人……すなわち告発者は彼の両親。根拠は『この頃、夜に出歩いている』『性格が荒っぽくなった』などなど。

 能力は不明。


「さっきの話のあとにこれか。やっぱり厭なもんは厭だよ」

「では、この件は拒否しますか?」

「それこそ厭だ。人を疑うのも厭だが、人を疑わせるのもだめだ。白黒はっきりつけよう」



◆◆◆



 縁日と岬が手始めに間白地明治についての情報の書類を集め、整理してると、四人組の男女が事務所にやってきた。


 その中の一人、サングラスをかけた虎柄シャツの男が代表して挨拶をする。

「おはようっす先生。何か仕事、ありますか」

「いや、今は特に。そうだな、二週間後くらいにはかなり忙しくなると思うから、よろしくね」

「うす」

 言葉を交わした虎柄は、連れの元に戻り掻い摘まんで状況を話した。グループの内の一人、タンクトップの女が露骨に喜び、四人は事務所奥に設置された雀卓に就いた。

 麻雀牌を掻き混ぜる音を背に、縁日は岬の方へ向き直る。


「俺はこれから間白地の身辺調査に出るけど、岬はどうする?」

「いえ、わたしは……。別件の依頼が来るかもしれませんし、それに『いざ』というときのためにも残ります」

「そうか。じゃあ、よろしく」

 掛かてあったいかにも探偵らしい、かの有名な探偵ホームズの愛用していたのと同じモデルの真っ黒いインバネスコートを羽織り、必要な書類を詰めた鞄を手にした縁日は、岬に右手の平を差し出した。


「はいはい。成果、期待してますよ」

 言って岬は、胸元から取り出した五千円札を縁日に握らせた。

「お、今日は気前がいいんだな」

「今日? いいえ、それは今回の分です」

「…………二週間くらいかかる予定なんだけど」

「誰かが盟元市からの協力を断り続けるものですから、控えめに言っても火の車なんです。早めに切り上げるなりなんなりしてくださいね、軒先先生」

 もう一度強めに紙幣を握らせると、岬はそそくさと自分のデスクに着いた。副所長や営業、案内のほか、事務所の経理を任されている彼女は、依頼などなくとも忙しいのだ。いや、依頼がないときこそ忙しくあるべきだ。働かざる者食うべからず、貧乏暇なしとはよくいったものだと、岬はことあるごとに噛み締めている。


「そんなこと言ったってよぉ姐さん、いっつも頼み込まれたら断れないじゃんか」

 奥の部屋から、少女らしい声がした。麻雀に興じている一人、派手な装飾が目立つツインテールの声だ。

「なんだかんだ縁日サンには甘いんだよ姐さんは」

「早く結婚したらどうだ」

 虎柄のリーダーとカラーコンタクトをした長身の男もそれに続く。


「何を! そこを動かないように。今から制裁の時間です!」

 ソファにかけてあった毛布を取りながら、岬は奥の部屋へと駆けていく。少しして何も言っていないはずのタンクトップの悲鳴が聞こえると、縁日は日常を貴ぶように微笑みを浮かべ、事務所をあとにした。



◆◆◆



 張り込みこそが探偵の美学だと、軒先縁日は考える。

 それが例え学校帰りの女子生徒でごった返すキュートな雰囲気のカフェであろうと、それが張り込みに必要であれば十全を尽くすのだ。


「なにあのオジサン……」

「この時間帯に一人でパフェ食べてめっちゃ笑顔だよ。ヤバくない?」

 それが例え針の筵であってもだ。

 特に目立つウサギ耳のカチューシャの女子高生に至っては、およそふざけているとしか思えない縁日をケータイのカメラに収める始末だ。

 間白地明治の通う高校のすぐ近くにカフェがあることを知った軒先縁日は、店内から下校する生徒の様子を窺えることを確認し……それからこのカフェが全席禁煙であり、ジャンボイチゴパフェとカフェラテが売りであることをよく確認し……ここを張り込みの拠点と決めた。


 一度の張り込みで経費の三分の一を要すること以外は絶好の条件だった。

 女子高生からの奇異の視線をものともせずパフェとカフェラテの糖分その他で頭脳を回転させながら、縁日は間白地を待つ。


(来た……)

 校門から現れた間白地は、一言でいえば浮いていた。

 談笑するグループ、たまの部活休みで有り余った体力を持て余し気味なグループ、放課後を満喫しようと力を温存しているグループ、それから特に用事もなく帰る団体や個人らとも全く違う。しいて言えばこれからバイトに向かう生徒らと似た雰囲気だが、それとも違う。

 なるほど、これは疑う余地もあるというものだ。


 手短に軽食を済ませ、レジで店の名刺を貰って財布にしまい、縁日は間白地の自宅に先回りすることにした。

 その後、店内でしばらく女子高生たちの話のタネになっていたことを彼は知る由もない。



◆◆◆



 果たして、その晩、間白地は帰ってこなかった。

 自宅近辺で張り込みを始める際、二十時を回ったあと、日付が変わるころ、それぞれで彼の両親に挨拶をした。その折りに間白地から連絡がないか尋ねたが、両親の方からも連絡が取れないようだった。


 それから一週間、主に女子高生からの視線に晒されながら、縁日は間白地の監視を続けた。

 ああは言っていたが、結局二日に一度現れる岬からの差し入れに涙を流しながらパフェとカフェラテを主な栄養源とする生活を七日続けて、ようやっと縁日は次の段階に移ることができた。


 間白地は放課後に必ず、駅二つ分離れた工場街に立ち寄っている。廃工場の目立つその地区は、不良たちのたまり場として有名だ。この近辺で特殊探偵によって検挙されるアウターたちも、ここを根城にしているケースが多い。

 厄介なことに、この地区は二か月ほど前から盟元市の強い要望によって特殊探偵の管轄外だ。よほどの理由――例えば、実際に罪を犯したアウターがここに逃げた場合など――を除いて、ここでアウター被疑者を取り押さえることはできない。探偵界隈では、何か陰謀があるのでは、あまりの劣悪さに盟元が直接手を下しているのではないか、などの憶測が飛び交っている始末だ。


 三日に一度、丑三つ時ごろに大きなリュックを持って自宅に帰る。両親から隠れるようにひっそりと帰宅し、始発の時間に合わせて家を出る。リュックを背負い、これを廃工場に置いてから登校している。


 まるで家出みたいだ、と縁日はそんな素朴な感想を抱いた。

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