第32話

☆☆☆


放課後になり、冬と舞美が2人で並んで帰って行くのを見送った。



2人はとても幸せそうにほほ笑んでいて、それを見ているあたしまで心の中が暖かくなった。



幸せな笑顔は、他人まで巻き込んでいくのだ。



「モコ、今日もバイトでしょ?」



楓にそう聞かれて、あたしは少しひきつった笑顔を浮かべた。



そう、今日もあたしは『ロマン』でバイトがあるのだ。



正直、さっき学校へ戻ってきたばかりだから行きたくないのだけれど、もうじきやめてしまうのにそんな我儘が言える立場でもなかった。



「そうだね……」



あたしはため息を吐き出してそう言った。



「あたしもバイト入ってるよ」



楓の言葉にあたしは「え?」と、首を傾げた。



楓はもう1人で『ロマン』のバイトを任せられるようになったから、あたしたちのシフトはもう被らないはずだった。



「なんか、急に出勤が決まったんだよね」



2人で歩きながら、楓が言う。



河田さんがシフト変更を行うのは珍しい。



いつも最初に決めたシフトをいじることはないのに。



疑問を感じながらも、あたしと楓は『ロマン』へ向かったのだった。


☆☆☆


数十分後。



本日2度目の『ロマン』に来ていた。



『ロマン』の鍵は開いていて、河田さんが動き回っている物音が外にまで聞こえてきている。



店の大掃除でもしているのが、ガタガタと相当大きなものを移動しているようだ。



「おはようございます」



声をかけて中へ入ると、店内は埃がまっていてあたしと楓は思わずせき込んでしまった。



「おはよう。今日は長年の汚れを掃除してたんだ」



河田さんは解体で使うカッパを身に付け、マスクをして両手にハタキを持っていた。



本当に大掃除をしていたようだ。



「掃除くらい、閉店後にあたしと楓でやりますよ」



「そう言ってもらえると助かるよ。でも、少しでも自分の手で片づけておきたくてね」



河田さんはそう言い、小さな窓を目一杯開けた。



日の光がさしこんで、ホコリが輝く。



「今頃大掃除なんて、どうしてですか?」



そう聞くと、河田さんはハタキを使う手をとめてあたしを見て来た。



「そうだな……うん……。楓ちゃん、ホコリ取りをお願いできるかな?」



「え、あ、はい」



楓が慌てて河田さんからハタキを受け取った。



「モコちゃん、ちょっと話があるんだ」



そう言い、河田さんはあたしを解体部屋へと促したのだった。



解体部屋へ入ると、その綺麗さにあたしは一瞬言葉を失った。



コーヒー豆を入れていた棚も、ベッドの下の解体道具も、すべて綺麗に整理整頓されているのだ。



本来この部屋にあったものはそのままに、普段よりも使いやすく快適になっているのが見ただけでわかった。



「河田さん、これって……」



「『ロマン』の仕事はすべて楓ちゃんに。そして解体の仕事はすべてモコちゃんに任せる」



「なに、言ってるんですか?」



そう聞く声がすでに震えていることに気が付いていた。



嫌な予感で胸が埋め尽くされている。



河田さんはあたしに背中を向けてシャンデリアを見つめてる。



「好きな人を解体した時、俺は数日間泣きどおしだった。辛くて苦しくて切なくて。いっそ死んでやろうかとも考えた」



『死んでやろうかとも考えた』



その言葉に背筋がゾクリを寒くなる。



もしかして河田さんはそのときすでに……?



そう考えて強く首をふって最悪な思考回路をかき消した。



そんなはずはない。



河田さんに死者の腐敗は始まっていない。



しかしあたしはせわしなく解体部屋を見回して、拳を作ったり広げたりを繰り返した。



心なしか酸素が薄い気がする。



あたしが緊張しているせいかもしれない。



「モコちゃん。俺はもう……」



「き……今日はとてもいい天気ですね!!」



いつも掃除なんてしない河田さんが解体部屋と『ロマン』をピカピカに磨き上げていた。



「あ、明日もきっといい天気! そうだ! あたし、明日は河田さんにクッキーを作ってきますよ! だってあたし、もうすぐ辞めるんだし!!」



わざと大きな声で、河田さんの言葉をかき消すようにそう言った。



河田さんは無言のまま振り向いた。



その表情はとても切なげで、あたしの胸は一瞬にして凍り付いた。



何か言わなきゃ。



別の話題を持ち出して、河田さんに喋る隙を与えないようにしなきゃ。



じゃなきゃ……あたしはすべてを知ってしまうことになる……。



「辞めるなんて許さないよ」



切ない声で、小さな声で、河田さんはそう言った。



「俺がモコちゃんに解体の仕事を教えた理由を、もうわかってるんだろ?」



あたしは返事ができなかった。



今、わかった。



ここまで来て、ようやくわかった。



河田さんがあたしに解体の仕事を教えた、一番の理由が……。



あたしは拳を握りしめて、床を睨み付けた。



知りたくなかった。



聞きたくなかった。



「楓ちゃん1人で休みのない『ロマン』を続けるのは難しい。



だから、モコちゃんが一番信用している人物にアルバイトを頼めばいい。



モコちゃん1人で解体の仕事をすべてこなすことも難しい。



だから、モコちゃんが二番目に信用している人物に仕事をわければいい」



河田さんの言葉に、頭の中に舞美と冬の顔が思い浮かんでいた。



同時に、涙が頬を伝って流れていった。



「モコちゃん。次の『お客様』は、この俺だよ……」



河田さんの声が、頭の中で何度も鳴り響いていたのだった……。

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