第29話
「嘘でしょ……?」
涙で目の前が滲んでいた。
驚きとショックで思考回路は全くついていかないのに、涙腺だけは反応している。
「本当の事なんだよ。腐敗が始まってきて、もうそろそろダメかなって思ったんだけど、最期にクラスメートたちの顔を見たくて今日も登校してきたの」
夢羽がとても穏やかな口調でそう言った。
あたしが2人の邪魔をしていた時も、2人はすでに死んでいたのだ。
だから夢羽は笑顔を絶やさず、嫌な顔もしなかったんだ。
だって、邪魔をしようにもすでに手の届かない場所に2人はいたのだから……!
「ごめんモコ。俺、お前の気持ちも知ってたよ」
瑠衣の言葉が、空しくあたしの鼓膜を揺らしたのだった。
どうにか……!
それからあたしは先生に何も言わず、2人を連れて『ロマン』へ来ていた。
2人とも自転車だったためたいして時間もかからなかったけれど、問題は河田さんがいるかどうかだった。
いつものように『ロマン』のドアを開けてみようとするが、当然鍵がかかっている。
裏手に回って解体部屋のドアに手をかけるが、同じように鍵がかけられていた。
あたしはスマホを取り出して河田さんに電話をかけようとした。
が、山奥のため電波が少なくつながらない。
あたしはイライラして『ロマン』の周辺を歩き回って電波を探したが、どこの同じように微弱だった。
「モコ、俺たちの為に何かしようとする必要はないよ」
瑠衣が穏やかな口調でそう言った。
あたしは立ち止まり、瑠衣を見る。
その表情もとても穏やかで、自分の運命を受け入れているように見えた。
「2人とも、どうして……」
そこまで言って、あたしは視線を足元へと落とした。
2人が同時に腐敗する理由。
それは2人が同時に死んだからだ。
そしてその最大の理由はきっと……。
「ごめんねモコ、あたしには昔から許嫁がいるの」
夢羽の声であたしは視線を上げた。
夢羽は今にも泣きそうな顔をしているが、それは自分たちの運命のためではなく、あたしに申し訳ない事をしてしまったからだと言う事が、理解できた。
「あたしは元々瑠衣を好きになっちゃいけなかった。好きになるべきじゃなかった。
それなのに気持ちが止められなくて、こんな事になったの」
夢羽は胸の前で両手を握りしめた。
まるで祈るような格好だ。
「あたしが自分の気持ちさえ我慢していれば、今頃瑠衣とモコが幸せになっていたかもしれないのに」
「俺は後悔していない」
夢羽の言葉を遮るように、強い口調で瑠衣が言った。
瑠衣は夢羽の肩に手を置き少し怒ったように夢羽を見ている。
それだけで、2人の絆の深さがにじみ出ている。
あたしは溢れ出しそうな切ない気持ちを胸の奥へと押し込んで、再びスマホに視線を落とした。
河田さんが来てくれれば、何か打つ手があるかもしれないのに……!
そう思っていると、『ロマン』の中からゴトゴトという物音が聞こえてきて、あたしはそちらへ視線を向けた。
お客さんが座るカウンター席の方から聞こえて来た気がする。
あたしは入口のドアに近づき、すりガラス越しの中の様子を伺った。
またゴトゴトという物音が聞こえてきて、ガラスの向こうに人影が動くのが見えた。
「河田さん!?」
あたしはすぐにそう声をかけていた。
人影はバタバタと足音を響かせてこちらへ近づいてくる。
間違いない、河田さんだ!
そう思った瞬間、『ロマン』の入り口が開いた。
「モコちゃん!?」
少し埃をかぶっている河田さんが驚いた様子でそう言った。
「河田さん、よかったここにいて……」
あたしはホッと息を吐き出してそう言った。
まさか『ロマン』の中にいたとはおもわなかった。
一生懸命電波を探していたのが少しだけ恥ずかしくなる。
「おや、後ろの2人はいつか来てくれたお客さんじゃないか」
河田さんが瑠衣と夢羽に気が付いてそう言った。
2人は河田さんに会釈する。
「河田さん、2人の事を助けてあげてください!」
すがるような思いであたしはそう言った。
「助ける?」
「2人は……すでに腐敗し始めています」
あたしの言葉に、河田さんは目を丸くして2人へ視線をやったのだった。
今、4人で解体部屋にいた。
河田さんは難しい顔をして瑠衣と夢羽を交互に見ている。
瑠衣と夢羽はしっかりと手を繋ぎ、これから先何が起こっても大丈夫だという強い意志を感じさせた。
ただ1人、あたしだけ不安で不安で、今にも泣きだしてしまいそうだった。
死者が生き返ることなんてありえない。
死んでも魂が肉体に止まり続けているのは、成仏できていないからだ。
2人にとって最善なのは、一日でも早く、一時間でも早く成仏して苦しみから解放されることだった。
頭ではそれが理解できていても、2人が生き返るすべを河田さんが知っているんじゃないかと、まるで夢のような期待をしている自分がいた。
「河田さん……2人を生き返らせてください」
「そう言われてもなぁ……」
河田さんはさっきからあたしの無茶な願いに頭をかいている。
「無理だよ。そんな事はできない」
瑠衣がキッパリとそう言った。
「でもっ……!」
万が一にでもそう言った事ができる可能性があるのなら、その話を聞きたかった。
「死んでもまだこうして動いている。それだけで十分奇跡なんじゃないかな?」
夢羽が河田さんに問いかけるようにそう言った。
「そうだな。普通死んだことに気が付かずゾンビになってしまうが、君たちの場合はちゃんと死ぬ事を覚悟し、そして死んでいる。
それなのに魂が体に残っているのは珍しいのかもしれない」
河田さんは顎を触りながらそう言った。
「生への執着。本当は生きて2人でずっと一緒にいたかった。そんな思いが魂を体の止まらせているのかもしれない」
「それじゃあ2人はこれからどうなるんですか?」
あたしは河田さんにそう聞いた。
そんなの、聞かなくてもわかっているのに。
2人の場合は特別で、ずっとこのまま一緒に暮らしていくことができるんじゃないか。
なんて、思ってしまった。
「死んだからだは腐敗し、最後には腐ってなくなるだけだ。その時に魂も消える」
「それじゃぁ腐敗を止めればいいじゃないですか! 解体後『お客様』の体をカバンやストラップにする時腐敗防止の薬を使うんでしょう!?」
「バカ言うな。意識のある『お客様』を薬品付けにする気か!」
河田さんに怒鳴るように言われてあたしは一瞬呼吸を止めた。
河田さんに怒られた事も初めてだったけれど、河田さんが2人の事を『お客様』と呼んだことが衝撃だった。
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