第12話
「君、まだ次の準備はできてないんだ」
河田さんがゆっくりと少年に近づいていく。
「僕、死ねないんだ」
少年は河田さんの言葉が聞こえていないかのようにそう言った。
「あぁ、わかってる。でも、外で順番待ちをしていた人たちがいるだろう? 君はちゃんと列を待って入って来たのか?」
河田さんが柔らかな口調でそう聞いた。
「体がどんどん腐っていくんだ。土の中で、それがわかってた」
かみ合わない受け答えに、あたしは手を止めて少年を見た。
少年はキョロキョロと部屋の中を見回し、落ち着かない様子だ。
その時、あたしは少年に耳がない事に気が付いた。
耳だけ先に腐敗して落ちてしまったのか、それとも何か事情があるのかわからないが、河田さんの声は聞こえていない様子だ。
「河田さん、もうすぐで片づけも終わりますから」
あたしはそう言い、手早く最後のゴミをかき集めた。
「あぁ。仕方がないな」
河田さんも少年に耳がない事が見えたのか、ため息交じりにそう言った。
少年は河田さんに促され、ベッドへと寝転がった。
「それじゃこれから解体していくけど……」
そこまで言い、河田さんは言葉を切った。
ジッと少年の手元を見つめている。
「どうしたんですか?」
隣から覗き込んでみて、ハッと息を飲んだ。
少年の右手の小指がないのだ。
それだけじゃない。
靴を脱いだ少年の足の指も、左右合わせて3本しかないのだ。
そこだけ先に腐って落ちたなんて考えにくい状態。
あたしと河田さんは一瞬顔を見合わせた。
この『お客様』は普通じゃない。
「君、口の動きは読めるかな?」
河田さんがゆっくりとした口の動きで少年にそう聞いた。
少年は戸惑ったような表情を浮かべて「少し、わかる」と、頷いた。
生まれつきの障害であれば手話を習っていたり、口の動きが読めたりする。
でも、少年の場合は手話をしようとしないし、口の動きもしっかりとは読めていない。
つまり、これは生まれつきの障害ではないということだ。
河田さんはそっと少年の耳のあったであろう場所に触れた。
少年はビクッと身を縮め、少し間を開けてからゆっくりと目を開けた。
自分の身を守るための条件反射。
「虐待……」
あたしは小さく呟いた。
河田さんが無言のまま頷くのが横目で見えた。
「これから解体をする」
河田さんが抑揚のない声でそう言った。
「待ってください! この子、明らかに虐待を受けてますよね!? 死んだ原因も、虐待が原因かもしれないじゃないですか!」
少年は『土の中』という言葉を口走っている。
普通に埋葬された死体なら、その時に虐待や事件性を問われるだろう。
だけどそれがないということは……この子は殺され、そして犯人の手によって土に埋められていた可能性があるのだ。
土の中で魂が抜けることもできず、どうにか自分で這い出してここへたどり着いた。
それくらいのこと、河田さんでも理解しているはずだった。
「『お客様』は成仏することを願いっている」
「でも……!」
反論しかけて、河田さんの目に涙が浮かんでいることに気が付いた。
「河田さん……」
「この子を警察に引き渡す事もできる。だけどそうすると事件が解決するまでこの子は死ぬ事ができないんだ。
ずっと警察の中に保存され、死体として過ごす事になる」
それは、河田さんが愛した女性と同じだった。
「『お客様』を成仏させることはできても、現実的に助ける事は不可能なんだ……」
河田さんはそう言い、拳を握りしめた。
今までに何度こういう経験をしてきたのだろう?
事件性のあるゾンビたちをどこくらい見て来たのだろうか。
そう考えると、あたしは何も言えなくなったのだった。
数時間後。
『ロマン』は閉店時間だった。
閉店の看板を表に出し、入口の鍵を閉めてホッと胸をなで下ろす。
数時間前に河田さんが解体した少年を思い出し、あたしは強く首をふってその光景をかき消した。
「やぁ、お疲れ」
隠し扉の方から河田さんの声が聞こえてきて、あたしは振り向いた。
「お疲れ様です。解体の方も終わりですか?」
「あぁ。今日は少し早めに切り上げたんだ。その分、また明日頑張るけどね」
河田さんはそう言い、疲れたように笑った。
少し早く切り上げたと言う事は、この後なにか予定でも入っているのかもしれない。
邪魔をしてはいけないと思い、あたしは自分のバッグを持って立ち上がった。
「じゃぁ、あたしももう帰りますね」
「モコちゃん、時間があれば少し話をしないか」
邪魔にならないように帰ろうと思ったところを引き止められて、あたしはその場で立ちどまった。
「話……ですか?」
「あぁ。さっきの少年の事を踏まえてね」
河田さんの言葉にあたしは顔をしかめた。
やっと頭から少年の顔をかき消した所だったのに、そのことについて話をされるとは思っていなかった。
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