第9話
河田さんもまた、シャンデリアに視線をやったままで答えた。
「とても綺麗な女性だったよ」
昔を懐かしむようにそう言う河田さんに、あたしは違和感を覚えた。
とても綺麗な女性。
そう言いきれると言う事は『お客様』の腐敗がほとんど進んでいない状態で解体した。
もしくは、『お客様』がゾンビになる前から知っている人だった。
そのどちからだった。
そして河田さんの今の発言からすると、後者の方が当てはまるのではないかと思った。
「……恋人だったんですか?」
小さな声でそうきいた。
聞き取れなかったならそれでいいと思ったのだが、河田さんの耳にはちゃんと届いていたようだ。
「いや、恋人にはなれなかった。でも、好きだったよ」
「告白はしなかったんですか?」
あたしはようやく河田さんの横顔を見た。
目を細め、ジッとシャンデリアを見つめている。
「イトコだったんだ。告白したくても、どうも抵抗があってね……」
河田さんはそう言ってあたしを見て、そして照れたように頭をかいた。
従兄同士の結婚は認められているが、やはり近い存在と言う事で告白をするには通常よりも大きな勇気が必要だったようだ。
その気持ちはなんとなく理解できる。
あたしは瑠衣が好きだけれど、いつも友達として接していたためその壁を超えるのが怖い。
仮にあたしがその壁を超える事ができたとしても、夢羽を傷つけてしまう可能性がある。
狭い島で生活をしていると、どうしても関係がこじれないように見て見ぬふりをする習慣がついてしまう。
でも、それじゃダメなんだ。
関係がこじれる事を恐れてちゃ、ずっと自分の気持ちを殺して生きていくことになる。
「彼女は、どうして亡くなったんですか?」
あたしの質問に河田さんは視線を伏せた。
「……夫の暴力」
「え?」
驚いて思わず聞き返す。
「彼女は若いうちから結婚したんだ。でも、それからすぐに夫からの激しい暴力が始まって、ある日彼女は自分の心臓がすでに停止していることに気が付いたんだ」
「自分が死んでいる事に気が付かなかったんですか?」
「あぁ。日常化した暴力の中じゃ、殴られる事が当たり前になっていく。
彼女からすれば当たり前の日常を繰り返していただけだった。だから、自分でも自分が死んだことに気が付ないまま、ゾンビになってしまったんだ」
そんな事があるのか……。
あたしは改めでシャンデリアを見上げた。
自分が死んだことに気が付かない。
そのまま体は腐敗をはじめ、そこでようやく彼女は自分が死んだことに気が付いたのだろう。
それはとても切なくて、苦しくて、悲しい話だった。
「俺は彼女を解体している間、どうしても涙が止まらなかったよ。
彼女の前では笑っていようと思ったけれど、無理だった。
体を解体してしまえば彼女の夫がしてきた事もすべて闇の中だ。あの男は彼女が死んだ後ものうのうと生き続ける事になる。それが、許せなくて……」
河田さんは消えそうな声でそう言い、拳を握りしめた。
仮に体を解体せずに検視へ回したとしても、彼女はそこでずっと死体のフリをしなければならなかったのだろう。
それを考えた上で、ここで解体してもらう道を選んだのだろう。
だから河田さんは泣きながら彼女の体を解体したんだ。
彼女にとっても河田さんにとっても、どの道を選んでもつらい結末が待っていたのかもしれない。
「今日もあたしが片づけをしておきます。河田さんはそこで青春しててください」
あたしは明るい調子でそう言い、ソファから立ち上がったのだった。
一見幸せに見えてもその本質はわからない。
河田さんからイトコの話を聞いたあたしはそう感じていた。
イトコの彼女も幸せな新婚生活を送っているように見えていただろう。
でも、その中身は当人でないとわからない。
あたしはどうだろう?
眠りにつく寸前、そんな事を考えた。
☆☆☆
翌日。
あたしは普段よりも少し早く学校に到着していた。
人はいつ死ぬかわからない。
死んだことにすら気が付かないかもしれない。
そう思うと、のんびり家で時間を潰す事もできなくなっていた。
河田さんが好きだった人は死んでしまった。
あたしの好きな人は……?
すぐに瑠衣の顔が思い浮かんだ。
少しはにかんで笑う瑠衣の顔。
人はそんなに簡単に死なない。
そんなの、一体誰が言ったんだろう?
その言葉の根拠は?
必ず明日が来るなんて、一体誰が言ったんだろう?
朝は来ないかもしれないのに……。
今日精いっぱい生きていく理由は、いつ死ぬかわからないからだ。
若くても、年をとっていても、明日がないかもしれないと思えば、1日を力一杯生き抜く事ができる。
あたしは大股で教室に入った。
教室内にはまだ数人しかいなくて、みんな時間を持て余すように会話をしたり、本を読んだりしている。
いつもより静かな教室内。
あたしはスッと息を吸い込んだ。
「おはよう!」
普段挨拶しない子たちにも、笑顔を向ける。
クラスメートたちは少し驚いた顔を見せていたが、すぐに笑顔になった。
挨拶1つで人を笑顔に変えることもできる。
あたしは自分の席に座って教科書を開いた。
最近バイトにかまけて勉強がおろそかになっていたことを思い出す。
勉強よりも遊びたいけれど、こうしたちょっとした時間に教科書を見るだけでも頭に入って行く。
普段と違う雰囲気なのがよかったのか、気が付けば沢山のクラスメートたちが登校して来ていた。
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