第3話
コーヒー豆発注してください。
と言うのはお邪魔のようで、あたしはそのまま部屋から店内へと戻ったのだった。
狭い店内へ戻りコーヒー豆の補充を終えると、ちょうど『ロマン』の開店時間になっていた。
あたしは店の入り口の鍵を開け、営業中という立て看板を表に出した。
入口のドアを開けた瞬間、ゾクリとする冷気があたしの体を包み込む。
店の裏手の方へ視線を向けると、そこにはすでに沢山の『お客様』が並んでいるのが見えた。
あたしは腐敗が進んできている『お客様』たちに1つお辞儀をして、店内へと戻った。
つい先ほどセット下コーヒーメーカーが小さく音を立てている。
この『ロマン』の『お客様』は生きている人間ばかりじゃない。
未だに死んだ人間の埋葬が行われていたこの街では魂が体に残り、死ぬに死ねない人たちが沢山いる。
今日見た映画のゾンビそのものだ。
そんな状態になった彼らはこの『ロマン』を訪れ、そして裏口からさっきの部屋に通される。
ベッドに寝かされ、河田さんに腐敗が始まった体を切り刻まれた時、ようやくゾンビたちは魂が解放されて死ぬ事ができるのだ。
『ロマン』は今日も『お客様』で大賑わいだ。
あたしは誰も1人カウンターに座り、自分でコーヒーを入れてホッと一息ついたのだった。
死神?
そもそも、どうしてこの街ではいまだに埋葬が行われているのか?
そんな疑問を持ったことがある。
確かに本土と遠く離れた小さな島ではあるが、日本であることに変わりない。
しかし、その答えは簡単だった。
狭い島だからこそ、火葬する設備が整っていなかったのだ。
火葬場を作る場所はあるものの、葬儀社がない。
本土へ死体を運んで火葬する以外に術はなく、それをするにしても悪天候だと船が出ない。
悪天候が続くと死体はずっと放置されることになり、梅雨の時期などはすぐに腐敗臭を放ち始める。
だからやむなく埋葬という手段を取っているのだ。
そういえばあたしのひいばあちゃんが死んだ時もそうだった。
幼い頃は何の疑問も持たず、棺ごと土に埋められていく身内を見送っていたっけ。
自分も死んだらいずれ土に返るんだ。
それが当然と思っていた。
『ロマン』でバイトをしていなければ、埋葬をしている事自体に疑問を感じる事もなかっただろう。
ぼんやりとそんな事を考えていると、一息ついた河田さんが隠し扉から戻ってきた。
奥の部屋で血まみれのカッパを脱いできたのか、今はラフな格好だ。
「お疲れさまです。コーヒー入れましょうか?」
「あぁ、頼む。アイスで」
河田さんはそう言い、お客さんの席へ座った。
この喫茶店スペースは河田さんが仕事の途中に休憩するためにあるようなものだった。
今日はまだ誰もコーヒーを飲みに来てはいないのだから。
「お待たせしました」
「随分と手つきがよくなってきたな」
河田さん褒められて、あたしは一瞬ドキッとしてしまう。
河田さんは世間的に言ってもカッコいい部類に入る容姿をしていて、その優しい声色もあたしは大好きだった。
そんな河田さんがゾンビの内臓をえぐり出しているのだから、一番最初それを見た時は気絶してしまったものだ。
それが、今ではゾンビ映画を観てもなんとも思わないくらいに慣れてしまったけれど。
「今日の『お客様』はもう終わりですか?」
「ひとまずはね。10体くらい解体したから、さすがに疲れたよ」
人間の体を10人分切り刻むなんて、普通の精神状態じゃやっていけない仕事だ。
河田さんだからこそできる仕事。
「そうだ。モコちゃんにこれをあげるよ」
思い出したようにそう言って河田さんがポケットから眼球ストラップを取り出した。
さっき見た『お客様』の目玉だ。
「いいんですか?」
あたしはそれを受け取りながら聞いた。
ゾンビの死体を再利用することで、自分が切り刻んだ客を忘れないようにしている河田さん。
「あぁ。目玉は2つあるからね」
そう言い、もう1つの目玉ストラップをポケットから取り出して見せて来た。
それなら気兼ねなくいただく事ができる。
「腐敗はしないんですか?」
「腐敗防止の液につけて、周囲を透明ボンドでコーティングしてあるから大丈夫だ」
そう言われてあたしは納得した。
奥の部屋には今まで切り刻んできた『お客様』たちの体の一部があちこちに飾られている。
それらがいつまでも腐敗しないのは、ちゃんと処理をしているからのようだ。
「今日友達と一緒にゾンビ映画を観たんですよ」
「へぇ? 面白かったかい?」
その質問にあたしは軽く首を傾げた。
あたしが実際に見てきているゾンビたちはただ死んでいるというだけで、中身は人間のままだ。
それが映画になるとまるで化け物のようになって出てくるから、少し違和感があった。
「かなりグロテスクな映画だったみたいなんですけど、あたしにはよくわかりませんでした」
そう言い、あたしは目玉ストラップを自分のスマホに付けた。
河田さんはおかしそうに声を上げて笑って、「モコちゃんはリアルなゾンビに慣れてるからね」と、言った。
「おかげであたしの感覚がおかしいって、みんなから言われちゃいましたよ」
あたしはそう言って軽く頬を膨らませた。
「それを言えば俺だって随分と感覚がおかしくなってると思うよ」
河田さんはそう言い、コーヒーを飲んだ。
カランッと氷の良い音が店内に響く。
「河田さんって、高校卒業と同時にここの店長になったんでしたっけ?」
「あぁ。最初は両親が経営していたけれど、俺の卒業間近に2人とも事故で死んじまって。俺が続けなきゃ『ロマン』が廃墟になる所だったんだ」
「そうだったんだ」
踏み込んではいけない話題に踏み込んでしまったかと一瞬焦ったが、河田さんは表情を変えずには足を続けた。
「俺が最初にここで解体の仕事をしたのは、親父が相手だった」
「魂が抜けていなかったんですか?」
「あぁ。家族旅行の帰りに突然の事故死だったからなぁ。魂が体から抜けるタイミングもなかったんだろう」
河田さんは昔を懐かしむように目を細めた。
でも、自分のお父さんの体を解体するなんて、想像しただけでも胸が痛む。
「河田さんは……その時、大丈夫だったんですか?」
質問していいのかどうかわからず、あたしはつかみどころのない質問を投げかけた。
「俺? あぁ。解体中はずっと親父が話かけてくれていたから大丈夫だったよ。解体の仕方も、親父が全部説明してくれてた。事故の怪我も俺だけ大した事なかったしね」
「……すごいですね」
自分の体が解体されていく最中にも河田さんに話しかける。
その行為にあたしは目を見開いた。
「だろ? その時俺はこの『ロマン』を継ぐって決めたんだ」
「ゾンビたちにとって、ここは最後の救いの場ですよね」
「そうだなぁ。あるいは、俺はゾンビたちにとって死神なのかもしれないよな」
河田さんは冗談めかしてそう言い、笑ったのだった。
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