法と勇者と

「すり替えさせて頂きました。

 あなたが、カードキーのすり替えトリックを実行して、ほっとしているその隙にね。

 どうやら、私、勇者だけでなくスリの素質もあるようです」


 困惑する真に、背後から田中が声をかけてきた。

 その声音も気配も、真を圧迫するに十分なものである。


「あの、壁に描かれた落書き……。

 あれが、このトリックの鍵でした。

 何の意味もない模様……。

 しかし、遺体の転がっていた部屋という状況が、発見者にそこから意味を汲み出そうとさせる。

 あなたは、そうやって、一緒に部屋へ入った遺体発見者たちの目を逸らしたのです。

 本命――キャビネットの上に置いた自身のカードキーと、あの部屋へ出入りするためのカードキーを入れ替えるために」


 もはや、こうなってしまえば、いかなる言い逃れもできない。

 真はただ、唇を噛み締めるだけであった。


「あなたの密室トリックは、要するにカードキーの入れ替えです。

 中村氏のカードキーを失敬し、代わりに、自分のカードキーを室内へ残しておく……。

 デザインの都合上、裏返した状態であれば、違いは分かりません。

 エントランスで読書していたのは、可能な限り、自分のアリバイを作っておくという意味もあったでしょう。

 しかし、それ以上に差し迫った事情があった。

 あなたは、そもそも、自分の部屋に戻れなかったのです。

 何しろ、入室するのに必要なカードキーは、死体と共にあったのだから」


 言い切った田中が、にこやかな笑みを浮かべる。

 それは、小憎らしいほどにさわやかな代物であった。


「以上が、密室トリックの仕組みであり、あなたが犯人であるという証拠です。

 何か、反論はございますか?」


「……ありません」


 どっと疲れが押し寄せて……。

 真は、開くことのできないドアへと寄りかかる。


「あーあ。

 完全犯罪、成功したと思ったんだけどな」


 口をついて出たのは、自分でも驚くくらいに開き直った言葉であった。

 観念はしたものの、事ここに至っても、反省や後悔は一切する気が起きないのである。


「動機に関しても、あなたが調べて推測した通り……すごいですね。

 案外、本当に勇者の力っていうのを持っているのかも」


「おや、まだ信じてもらえていませんでしたか」


 田中が肩をすくめてみせた。


「わたし、これでも推理小説家の孫なもので。

 知ってます? ミステリっていうのは、超自然的な力を介入させてはいけないんですよ?」


「おや、それでは私は、探偵失格ですね。

 そもそも、好き放題に現場を荒らしてしまっていますし」


 真としては、気安い世間話のようなつもりで切り出した会話……。

 それに、勇者かどうかはともかく、一端いっぱしの探偵であることは確かな男が、やはり気安く応じる。

 不思議と、悪い気はしなかった。

 祖父が書いた小説と同じだ。

 悪いことをした犯人というのは、どれほど巧妙なトリックを使ったとしても、名探偵にそれを暴かれてしまうものなのである。


 なら、この後も、祖父が描いた犯人のように振る舞うとしようか。

 祖父は、悪あがきする犯人というものを書かない人であった。


「それじゃ、行きましょうか?」


「行くって、どちらへですか?」


 ちょっとばかりの勇気と共に告げた言葉へ、田中がそう返してくる。

 真としては、出鼻がくじかれた思いで、あまり嬉しいとぼけ方ではなかった。


「もちろん、皆に真相を打ち明けにです。

 その上で、警察へ出頭すればいいのでしょう?」


 真としては、当然のことを言ったつもりだ。

 そもそも、この男はそれを促すべく、こんな所で二人きりとなったのではないのか?

 だが、真の考えは、まったくもって的外れなものだったのである。


「あなたが、それを望むのならば止めませんが……。

 しかし、本当にそれでよろしいのですか?」


「どういうことです?」


 困惑する真に、田中がさっきまでと同様、教え子に教鞭を振るうような身振りで続けた。


「私、真実を暴くことは望みますが、その先は興味がありません。

 有り体に言ってしまえば、あなたを警察に突き出す気が起きないのです」


「――はあ?」


 さっきまでの名調子はどこへやら……。

 急に探偵として……いや、法治国家の住民としてあり得ないことを言われ、首を傾げてしまう。


「大切な人を奪われ、復讐せずにはいられない気持ち……。

 私、理解できるつもりです。

 と、いうよりも、自身、仇討ちの経験があります。

 もっとも、このような殺人事件ではなく、正々堂々とした決闘でしたが……」


 遠くを見つめた瞳に映っているのは、かつて呼ばれたという異世界とやらであろうか?

 狂人の妄想と、断ずるのは簡単である。

 しかし、実際に復讐を果たした身である真には、その様子から真実の重みを感じ取れてしまった。

 彼は、心から共感してくれているのだ。


「中村という人物は、このまま生かしておけば、また似たような悲しみを生み出していたことでしょう。

 そのような人間を殺したところで、私はそれを罪だと思えません。

 もちろん、法に則るならば、裁かれねばならないと分かっていますが……」


 ちらりと、田中がこちらに視線を向ける。


「私、あくまで勇者で探偵ですので。

 真実を暴き出し、救済をするのは使命と感じていますが、法の番人は仕事じゃありません」


 そのまま、うやうやしい仕草で手招きされた。


「ですから、私があなたを促すとすれば、それは殺害現場――中村氏の客室です。

 そこで、今度こそもう一度カードキーを取り替え、その後、あなたはおだやかな日常に戻ればよろしい。

 アフターサービスとして、お姉さん――氷室さんと中村氏とを繋ぎ得るものは、私が全て片付けておきましょう」


 じっと、田中がこちらを見つめる。

 ひょっとしたら、これは悪魔の囁きであるのかもしれない。

 でも、そうだとしても、自分は……。


「――参りましょうか?」


 勇者探偵を名乗る男に促され、歩き出す。

 中村が死んでいる部屋までは、ほんの少しの距離であった。

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勇者探偵 ~探偵は異世界帰り~ 英 慈尊 @normalfreeter01

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