勇者探偵

(不思議な人よね……)


 六葉館の四階……。

 中村を亡き者とした今では、自分以外に利用する者がいない客室フロアの廊下で、そんなことを思う。

 脳裏に浮かぶのは、あの田中というホテルマンであった。


(殺す時の緊張感がどうとか、おかしなこと言ってるのに……。

 妙な説得力がある)


 それは、実際に人を殺した真だからこそ、かえって強く感じることである。

 実際、中村を殺害し、密室トリックを完遂するまでの真は、心のどこかに張り詰めたものがあり……。

 今、胸を満たしているのは、圧倒的な開放感であった。

 誰かを殺害するという覚悟と決意が、どれほどのストレスを心身に与えていたのか、ということだ。

 それだけに、やや懸念も覚える。


(まさかとは思うけど……。

 わたしのこと、疑ってないよね?)


 人殺しの気配を、敏感に見抜く。

 それはつまり、真が漂わせていた気配を察知していたということであった。

 それが、埋没した中から感じたものなのか、あるいは、真個人から発されたものだと気づいていたのか……。

 それが、問題だ。


(まあ、そうだとしても、所詮は個人の勘でしかないけど)


 そんなものは、何の証拠にもならない。

 そう、カードキーのすり替えを達成した今、真の犯行を立証する証拠は、何一つ存在しないのだ。

 犯行に使った道具類は、それぞれ、別の店、別の日に購入した代物であり、当然ながら指紋も残していなかった。

 微物検査や購入経路から真に辿り着くことは、不可能なのである。


 やはり――完全犯罪。

 警察の取り調べなど、まだまだ面倒な手続きは残っているだろう。

 だが、自身の立場が盤石なものであることを思えば、大らかな気持ちでそれらに臨めると思えた。


 そんなことを考えながら、歩いて行った先……。

 照明に照らされた廊下の中でありながら、まるで、闇へ溶け込むようにして、その男は立っていたのである。

 ここ、六葉館のホテルマン――田中が。


「田中さん……?

 どうしたんですか、こんな所に」


 その姿に、何か得体の知れないものを感じつつも、問いかけた。

 田中の様子は、先程までの優雅かつ穏やかなものとは、別人のようだ。

 放たれる無言の圧力は……そう、山中で熊にでも出くわせば、こう感じるかというものなのである。


 すなわち――絶対的な強者。

 真の肉体を構成する全細胞が、対峙し続けることを拒否していた。

 だが、足はにかわで貼り付けられたかのように、全く動かず……。

 にこやかな笑みと共に歩み寄る田中と、向き合わざるを得なかったのである。


「いえ、何……。

 実はちょっと、本業の仕事をこなしておこうと思いまして」


 そう言った田中が、懐から名刺入れを取り出す。

 社長令嬢である自分に、名前を売り込もうというのか?

 普段ならば、幾度となくこういったやり取りをしているが、どうも、田中の場合は様子が違う。

 事実、渡された名刺は椎名リゾートグループで支給されているものではなく、ごく簡素で……それでいて、意味不明な内容が印字されたものだったのだ。


「勇者探偵……田中いさむ?」


「いかにも……。

 私、本業は勇者にして探偵でして。

 合わせて、勇者探偵を名乗らせて頂いております」


「意味が分かりません。

 あなた、うちの会社が雇ったスタッフではないんですか?」


 職業(?)と名前の他には、電話番号も住所もURLも存在しない名刺を手にしながら、尋ねた。


「もちろん、きちんと面接を受け、正規の手順でお雇い頂きましたとも。

 いや、なかなか高額の給料をお約束下さり、感謝しています。

 ――ですが」


 そこで、勇者探偵なる男の目が、すっと細められる。


「――そんなものは、ここへ潜り込むための手段に過ぎません。

 そう、今日この日に起こる殺人事件へ立ち会うための……」


 ――今日。


 ――この日に。


 言っていることの意味が分からず、眉をひそめてしまう。

 それでは、まるで……。


「その言い方だと、まるで、今日ここで殺人事件が起きると知っていたみたいですね?」


「まさしく、その通りです」


 真の言葉に、田中が真顔で答えた。

 ここまで、この男に関しては、若いながらも優れたホテルマンであると思っていたが……。

 どうやら、その評価は覆さなければならないらしい。

 こいつは――頭がおかしい。


「まるで、予言者みたいなこと言うんですね」


「予言者ではなく、勇者です。

 まあ、勇者として得た力の一端であると申し上げておきましょう。

 私、こう見えて数年ほど異世界に召喚され、あちらの世界を救うために冒険していましたので……」


 ますます、頭がおかしい。

 確か、ネット小説などで、そういったジャンルが隆盛を誇っていたが……。

 それらフィクションへ触れている内に、自分も創作世界の住人であると思い込み始めたのだろうか?


 いつの間にか、貼り付いたようだった足が動くようになっていた。

 だから、田中の横を通り過ぎようとする。


「……馬鹿馬鹿しい。

 わたし、部屋に戻りますので」


 その足を再び止めたのは、田中が放った一言だ。


「お姉さん……氷室明美さんですか。

 大変、残念なことです」


 ――氷室明美。


 それは、この場で……。

 赤の他人であるホテルマンからは、決して出てこないはずの名前であった。


「一体、何を……」


 再び田中へ向き直ったことで、気づく。

 彼の手には、先程まで存在しなかったはずの書類が存在したのである。

 折り目一つないそれは、手品のごとく、突然、この場に現れたのだ。


「今回、最も私を悩ませたのは……動機でした。

 ですが、それを教えてくれたのが、被害者から拝借したスマートフォンです。

 メッセージアプリを見てみると、氷室さんとやり取りした履歴が残されていました。

 恋人であった、彼女との……ね」


 続いて、田中が懐から取り出したもの……。

 それは、スマートフォンであった。

 そして、彼の言葉通りなら……。


「遺体から、スマートフォンを抜き取ったんですか?

 それ、多分、犯罪ですよ」


 真の言葉を受けて、田中がますます笑みを深める。

 そして、手にしたスマートフォンを掲げたのである。


「お姉さんとのやり取り……。

 その最後にあったのは、妊娠したことを説明する彼女と、それに対し別れることを要求する中村氏の会話でした。

 詳細は省きますが、いやはや、世間で見せている姿など当てにならないもの……。

 中村という男は、女性の敵と言うしかありません」


「質問に答えて下さい。

 そもそも、どうやってロックを解除したんですか??」


 真の言葉に、答える気はないのか……。

 田中がスマートフォンを仕舞い、改めて書類に目を落とす。


「これは、と思える動機があれば、後は芋づる式に調べ上げられました。

 氷室明美……。

 前妻の娘であるため名字は異なりますが、あなたのお姉さんです。

 察するに、仇討ちが目的ですか」


 田中が、書類を差し出す。

 思わず受け取ってしまい、ざっと目を通したが……。


「これ、姉さんの経歴……!」


 そこに記されていたのは、亡き姉――氷室明美の略歴だったのだ。


「少々、急ぎの仕事となりましたが……。

 勇者の力を使えば、そう難しいことではないということです」


 田中が、薄い笑みを浮かべながら答えた。

 勇者にして探偵を名乗る男……。

 真には、彼が何か、得体が知れない化け物のように思えてきていたのである。

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