疑いのディナー

 六葉館に勤めるシェフは、系列のホテルで働いているのを父が口説き落とした精鋭であり……。

 なるほど、その腕前は見事という他になかった。

 実は、真をはじめとする客たちが利用した船には、市場で仕入た新鮮な魚介類も積まれていたわけであるが……。

 それらを用いたフレンチは、見た目の美しさも味も申し分なく、しかも、様々な創作性に富んだものだったのである。


 もし、今日が殺人事件の起きた日でなければ……。

 劇団シープの団員たちは、大いにこれへ舌鼓を打ち、称賛していたに違いない。


 だが、現実は文字通り――お通夜。

 誰も彼もが、食欲を無くしており、ただでさえ一品辺りの量が少ない料理たちは、残念ながら大部分が残飯行きとなるようであった。


(本当は、お腹が空いてるけど……。

 ここで変に目立ちたくはないわね)


 そんな様子を見て、食事のセーブに努める。

 真はまだ、育ち盛りの女子高生であり、まして今日は、怨敵を亡き者とした清々しき日だ。

 体の方は食欲がみなぎっており、油断していると、ついつい、食事へ熱中してしまいそうになった。


 それでは、いけない。

 あくまで、埋没していなければ……。

 その一念と共に、食が進まない演技へ集中する。

 そうしていると、誰かが口を開いた。


「なあ……犯人はどうして、密室殺人なんか起こしたんだ?」


「どうしてって……完全犯罪にしたかったからだろう?」


(そうだよ)


 うなずいてしまいそうになるのをこらえながら、心中で答える。

 検死結果というのは、実際のところ解剖医の勘によるところが大きく、ぴたりと正確な時間を当てられるものではないらしい。

 従って、中村の死亡時間に関しても、最後に目撃された瞬間からの大まかなものとなるはずだ。


 その大まかな時間……真はエントランスで読書することにより、可能な限りのアリバイを作ってあった。

 が、あくまで、可能な限りだ。


 真が数多くいる容疑者の一人である点は変わらず、ひょっとしたなら、中村との間に存在する接点……。

 姉の件について、警察が勘付く可能性もある。

 その時に備えた保険が、あの密室トリックであった。

 そもそも、犯行を立証できないのなら、どれだけ疑われたところで怖くはないということだ。


「ミステリなんかだと、何か止むに止まれぬ事情があったりするよな。

 例えば、こう……誰かに疑いの目を向けるためだったりとか」


「それって、密室の中に犯人と被害者以外の誰かがいて、その誰かへ罪を押し付けるってパターンでしょ?

 今回の件だと、当てはまらないじゃない」


「言われてみると、そうかなあ……」


 自説を提唱した男が、ややしおれたような様子になる。

 続いて口を開いたのは、若い女優だ。


「あたしは、壁に描かれていたっていう模様? 絵? が気になります。

 こういうのって、定番だと生き残っている相手へのメッセージだったりしますよね……」


「生き残っているって、どういうことよ?」


 先輩なのだろう年かさの女優に問われ、若い女優は口を歪めた。

 そして、こう言ったのである。


「もちろん、犯人から恨みを買っている誰かですよ。

 あたし、この事件は絶対に怨恨だと思ってますし。

 中村さんにしたって、先輩たちにしたって、今の立場を手にするまで、結構、強引なこともしてきたんじゃないですか?」


 これは、あれだ。

 女の戦いというやつである。

 もっともらしく推理を述べているが、実際のところ、普段からの不満を、それにかこつけてぶつけているのであった。


「――馬鹿馬鹿しい!

 あんた、漫画の読み過ぎなんじゃないの!?

 何? この中の誰かが、後で『まさかあの時の……』とか一人で呟くわけ?」


「で、後ろからガン……と、やられるわけだ」


 別の役者が、面白おかしくジェスチャーを加えながら割って入る。


「いい加減にして!」


 年かさの女優が、やや金切り声になりながら叫んだ。


「そりゃ、こういう世界なんだから、脛に傷の一つ二つの傷を持つことくらいあるわよ!

 だから何だっての!?

 あんたたちだって、チャンスがあったなら、他の誰かを蹴落としてでも掴むでしょ!? 違う!?」


 その言葉で、場が静寂に支配された。

 誰もが、助けを求めるような顔つきで周囲を見回す。

 そこへ、助け舟を出したのが、またしても田中だったのである。


「やはり、あのようなことがあっては、皆様も不安で仕方がないことでしょう。

 特に不安なのが――これで、殺人が終わりなのか?

 この点ではないかと存じます」


 団員の一人へ注ぎ終わったワインを手にしながらの言葉に、皆がうなずく。


「まあ、な……」


「この中に殺人鬼がいるとして、そいつが一人殺して満足してるのか、どうか……気になるに決まってるわよ」


 半ば吐き捨てるかのような言葉に、田中がいちいちうなずいた。

 その上で、こう述べたのである。


「ですが、ご安心下さい。

 私見を述べさせて頂ければ、犯人はすでに目的を達成し終えています。

 これ以上、誰かを手にかける気はないかと」


「そんなの、どう納得しろっていうのよ?」


「忘れないでほしいんですけど、あなたたちホテルスタッフだって、立派な容疑者なんですよ?

 何しろ、マスターキーを自由にできるのは、あなたたちだけなんですから」


 女性陣から疑いの目を向けられても、田中は平然としたものだ。


「確かに、私も容疑者の一人ではあります。

 そして、話が逸れるのを承知で申し上げれば、おそらく、相当の人数が容疑者として浮上するかと。

 聞き取り調査をしたわけではありませんが、亡くなられた中村様が部屋に向かわれてから遺体として発見されるまで……。

 一人きりだった時間のある方は、何人もいらっしゃるのではないですか?」


 田中の言葉に、何人かが目を逸らしたり、口元を引き結んだりした。

 きっと、アリバイが緩いのであろう。


「もちろん、私自身もそんな人間の一人です。

 一時的に、一人で仕事していた時間がありましたから。

 これは、そんな容疑者の一人が述べた言葉であると、前提した上でお聞き下さい」


 食卓に着く一同を見回しながら、田中がピンと指を立てる。


「まず、根拠の一つ目ですが……。

 ――殺気というものが、皆さんから感じられません」


「――はあ?」


 女優の一人が、露骨に眉をひそめた。


「あんた、急に漫画のキャラみたいなこと言い出すな。

 それも、バトル系の漫画だ」


 他の俳優も追従すると、田中がにこやかな笑みを浮かべる。


「若輩の身ながら、様々なことを経験しておりまして……。

 その上で、ホテルマンとして皆様のことを、失礼ながら観察しましたが……。

 命を奪う際に独特の緊張感が、存在しません」


「緊張感……」


「って、言われてもね……」


 団員たちが首を捻ったので、真も会話に加わった。


「田中さんとおっしゃいましたよね?

 どういうことか、もう少し分かりやすく説明して頂けませんか?」


 真の言葉を受けて、田中が舞台俳優たちを前にしながら、それもかくやという大仰な身振り手振りで語り始める。


「釣った魚を締める時……鶏の首を捻る時……そして――人を殺す時。

 およそ、あらゆる生物には独特の緊張が生まれます。

 それまで、どれほど巧妙に気配を隠していたとしても、です」


 そこまで言うと、田中がまたも一同を見回した。


「ですが、皆さんからはそういった緊張も、それを隠す気配も感じられません。

 故に、犯人は目的を遂げていると判断しました。

 それに……」


 田中が、手にしたワインの瓶を掲げる。


「被害者――中村様は、酒の用意をしようとしていたところで、背後から絞殺されていました。

 つまり、無警戒だったところを狙われたのです。

 想像もしてみて下さい。警戒する人間を殺傷するということが、どれほど困難であるかを……。

 犯人は、明らかに入念な計画をもって犯行に臨んでいます。

 そのような人間が、わざわざリスクを負って、これ以上の……しかも、油断していない人間の殺害へ踏み切るでしょうか?」


 それを言われ、一同が互いの顔を見交わす。

 彼の言葉には、一定の説得力があると思ったためだ。


「ですので、これ以上の殺人が起きることはありません。

 皆様におかれましては、警察が到着するまで、少しでも心身をお休めになられますよう……」


 その言葉に、団員たちはこれ以上、疑いの眼差しや言葉を向けることは控え……。

 夕食の後は、各自、自分の客室で控えることが、決まったのであった。

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