ラウンジにて
――六葉館。
東京からほど近い孤島に建設されたリゾートホテルの名称である。
こう聞けば、誰もがこう思うことだろう。
そんな場所にホテルを作って、果たして客が訪れるのか……?
また、客が来てくれたとして、通常営業に支障はないのか……?
……と。
ホテルを建設したオーナー――椎名リゾートグループ社長令嬢である真自身、同じことを思ったのだ。間違いない。
建設を主導した父の回答はといえば、こうである。
――これはね。
――実験なんだよ。
生き馬の目を抜く観光業界において、今まで通りの漫然とした経営で生き残れるはずもなく、各社や宿泊施設は、それぞれ独自のアプローチを行っていた。
椎名リゾートグループの場合、そういったアプローチの一つがここというわけである。
お客様には、都会どころか、本土そのものからも物理的距離を置いた場所で、豪華なもてなしを受けてもらい、優雅な時間を過ごしてもらう。
ターゲットとしているのは、国内外の富裕層であり、通常の施設では得られないリッチな時間をもって、対価を頂くというのがコンセプトであった。
まあ、もっともらしいことを言っているが、要するに趣味である。
推理小説家だった祖父の影響を受け、父もまたミステリーが大好きだ。
そんな父が、若い頃に読んだ推理漫画――現在も登場人物の年齢を引き上げ続く長寿シリーズだ――に登場したリゾートホテルを再現すべく、社も巻き込んで建設したというのが真相なのであった。
まさか、自分の娘が、本当に殺人事件を引き起こすとは、夢にも思わなかったことだろう。
もっとも、真としては、その漫画に登場した犯人のように真相を暴かれるつもりなど、微塵もないが……。
そんなことを考えながら、一階のエントランスへと降り立つ。
帝国ホテルのランデブーラウンジをそのまま縮小したような空間では、優美なBGMを楽しみながらお茶やお酒を頂くことが可能となっており、今回、モニターとして招いた客たちの何人かも、談笑を楽しんでいた。
そう、劇団シープの――団員たちが。
まさか、自分たちのプリンスが、上階で亡き者になっているとは、想像もしていないことだろう。
団員たちはのん気に、ホテル内の装飾品などについて語り合っている。
そんな様子を見つつ、適当な席に着く。
他の人間とは距離を置きつつ、さりとて、ここにいたことは主張できるような場所……。
真にとっては、理想的ともいえる席だ。
確か、父の言葉によれば、住み込みのスタッフが不便をしないよう心を砕いたとか……。
その甲斐あってか、なかなかの人材が集まっているらしく、すぐさま、自分のところへ一人のスタッフがやって来た。
「何か、お飲み物をお持ちしましょうか?」
仮にも、真は大手リゾートグループの社長令嬢であり、こういった接客を見る目は肥えているつもりだ。
その点でいくと、まだ若い……二十代前半だろうそのスタッフは、所作の一つ一つに隙というものがなく、まさに理想のホテルマンである。
顔立ちは整っており、全体的にすらりとした体つきをしている色男。
先程、殺害した中村と比較しても、見劣りしないほどの美青年だ。
それが、清涼感あるユニフォームをびしりと着こなし、もてなしてくれているのだから、女性としてはそれだけで嬉しいところだろう。
実際、シープ団員の女性たちは歓談しながらも、ちらちらと彼の方を見ているようであった。
これは、思わぬ幸運である。
彼へ視線を向けたついでに、自分の姿も見てもらえたに違いない。
「コーヒーを」
「かしこまりました」
ただ歩くだけでも、オーラというのは表れるもの。
品格に満ちた空気をまといながら、青年がオーダーを遂行すべく立ち去る。
それを尻目に、セカンドバッグから文庫本を取り出す。
内容は――ミステリー。
実際に殺人を犯した後で、こういった小説を楽しむというのも、なかなかに乙なものであろう。
--
ラウンジが騒がしくなりだしたのは、それから二時間あまり経った後……。
丁度、真が小説を読み終わり、運ばれてきたコーヒーも飲み干したところであった。
「翔陽君が、まだ出てこないって?」
他の団員へそう問いかけたのは、劇団シープの座長である。
「はい。
携帯電話にかけてみたのですが、留守電に繋がるだけで……」
「部屋の電話にかけてみても、出る気配がありません」
座長の問いかけに、団員たちが答えた。
(電話になんて、出るわけないじゃない。
あいつはもう、死んでるんだから……)
そんな光景を横目にしながら、心中でほほ笑む。
今日、真は殺人者の仲間入りをしたわけであるが……。
驚くほどに、心が軽い。
むしろ、姉を死に追いやったクズをのうのうと生かしている昨日までの世界こそが、あってはならないものだったのだ。
とはいえ、こうしてばかりはいられない。
今、これから、トリックの総仕上げをしなければならないのだから……。
「すいません……。
何か、問題事のようですが?」
我ながら、いけしゃあしゃあと……。
シープ団員たちの前へ、姿を現す。
「あなたは、確か……。
ここのオーナーさんの?」
「はい。
椎名真と申します。
今日は、父に代わってここのモニターをしに来ました」
座長に向かい、礼儀正しくお辞儀をする。
「オーナーさんの娘?」
「俺らを招待してくれた人の娘さんってことだよ」
団員たちが、ひそりとした声でそのようなことを話し合った。
「快くモニターを引き受けて下さった皆さんに失礼がないよう、父からはくれぐれも言いつかっています。
何か問題がおありでしたら、お気軽に申し上げて頂ければ……」
「問題、というほどのことでもないんですが……」
真の言葉に、座長が頭をかく。
「いえね。
うちの中村が、いつまで経っても降りてこないんですよ。
ここでの食事は、このエントランスで揃って取るという話ではないですか?
あいつ、一人だけ食事を抜くつもりなのかな、と……」
座長の言葉に、一同がうなずく。
「食事制限してる、なんて話も聞いてないしな」
「むしろ、豪華な食事を楽しむって息巻いてたわよ」
口々に出てきたのは、そんな言葉である。
「もし、寝ているようなら起こしてやりたいが……。
ここの客室は、それぞれ専用のカードキーでなければ開けられないんだよね?」
支配人がやって来たのは、座長がそんな質問をしてきた時のことであった。
「――失礼致します。
座長様が仰られた通り、当ホテル――六葉館の客室は、専用のカードキーか、さもなくば、厳重に保管しているマスターキーでなければ開けられないようになっています。
スペアなども、存在しておりませんので……」
「それで、部屋を出るのにもカードキーがいるんですよね?」
支配人の言葉を、さりげなく補足する。
この場にいる全員が周知の事実であったが、改めて強調しておきたかった。
「ふうむ……申し訳ないが、マスターキーで中村君の部屋を開けて頂けないでしょうか?
苦情などは言わないよう、私の方で責任を持ちますので……」
「それは……」
ちらり、と、支配人がこちらを見る。
当然ながら、彼とは既知の間柄だ。
向こうからすれば、オーナーの娘である自分は、間接的な上司にも思えているだろう。
「よろしいのではないでしょうか?
座長さんもこう仰ってくれていますし、万が一、急病などであった場合を考えれば……」
「そういうことでしたら。
――田中君。
すまないが、マスターキーを取ってきてくれないか?
その後、一緒に開けに行こう」
「承知致しました」
支配人に頼まれ、田中というらしい先程のホテルマンがキーを取りに行く。
――ここだ。
「何か失礼があってもいけませんし、わたしもついて行っていいですか?」
「え?
いや、しかし……」
突然の申し出に、支配人は当然ながら困惑の顔を見せる。
そんな彼に、そっと耳打ちした。
「ファンなんです」
「――ああ。
そういうことでしたら」
こちらの機嫌を損ねないよう、支配人が笑顔でうなずく。
こういった性質の人間であることも、当然織り込み済みである。
「では、行きましょう。
私も同行します」
座長がそう言い……。
真、座長、支配人、田中というホテルマンからなる四人で、死体が転がる部屋ヘと向かうことになったのであった。
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