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殺人

 趣味人としての気風が反映されたのだろう。

 父が細部に至るまでこだわりを持って建造した六葉館の内部は、まさしく、中世ヨーロッパの城を再現したかのようである。

 その客室も、調度の一つ一つに至るまで選び抜かれており、宿泊客たちは、中世の王族か、あるいは貴族にでもなったかのような気分で、くつろぐことが可能となっていた。


「僕はお酒を頂くが、君はさすがにソフトドリンクかな?」


 そんな客室の一つ……自分と二人きりの空間で、中村翔陽はそう言いながら、備え付けのグラスを掲げてみせる。

 十人に聞けば、十人が美形と認めるだろう色男。

 それが、この舞台俳優――中村翔陽だ。

 劇団シープのエースとして、出演する舞台のことごとくが満員御礼。

 最近では、映画などへの出演オファーも殺到しているという。


 メディアで見せる彼の姿は――生粋の好青年。

 浮いた噂一つなく、インタビューなどでは、演劇に対するストイックな姿勢を語っていた。


 ――劇団シープが誇るプリンス。


 特に、椎名たちティーン女子の間では、王子様のごとき人気を博しているのが中村翔陽という役者なのだ。


(それもこれも、全てが偽り)


 それを知る椎名まことは、顔には笑みを浮かべつつも、心中では憎悪の炎を燃やしていたのである。

 セカンドバッグに入れているのは、この殺意を昇華させるための道具だった。


「コーラでいいよね?」


 中村がそう言いながら、椎名に対し背を向けた。

 室内に用意されたドリンクを入れるためであったが、これこそ、椎名が待ち望んでいた隙である。


「はい、それでお願いします」


 努めて平静な声音で答えながら、一歩、また一歩と、中村に近づく。

 足音を消しながら歩くことが、こんなにも困難なものであると、椎名は初めて知った。


 だが、ただ歩いて近寄っただけで終わりではない。

 椎名が成すべきことは――殺人。

 亡き姉の復讐なのだから。


 まずは、ポケットの手袋を取り出し、静かに装着。

 続いて、セカンドバッグから手製の凶器を取り出す。

 凶器といっても、そう大した代物ではない。

 材料は、ワイヤーと、短めの長さにカットしたイレクターパイプ。

 後は、ワイヤーの両端をパイプに巻き付けただけである。

 考え抜いた末に、選んだのがこの凶器であった。

 体力に劣る女子でも、返り血を浴びることなく殺人を遂行可能な凶器だ。


「それにしても、嬉しいな。

 君みたいに可愛い子から、お誘いを受けるなんて」


「………………」


 返事はしない。

 ただ、息を殺しながら背後まで近づく。


「はは、照れているのかな――」


 それが、中村翔陽最後の言葉である。

 背後から飛びつくようにして、素早く中村の首へワイヤーを巻き付けた。

 それと同時に、背後を振り向きながら、精一杯の力でワイヤーを引っ張る。

 丁度、体育の柔軟体操で、同級生と互いを担ぎ合う時のような形……。


「ぐぎゅっ――」


 潰されたカエルのような声を上げながら、中村が椎名の背中でもがく。

 暴れる大人の男というものは、想像以上に重く、背負いづらい。

 ともすれば、せっかく作った必殺の体勢を、崩してしまいそうだ。

 それでも維持できたのは、ひとえに復讐心の成せる技……。


(お姉ちゃん……力を借して!)


 そして、姉が力を貸してくれたからに違いない。


「ふ……う……」


 力の限り背負っていると、不意に、背中の抵抗が止んだことへ気づく。

 それでも、たっぷり百秒間は締め続ける。

 万が一、止めを刺し損なっていれば、全てがご破産だからだ。

 そうして、ようやく背負うのを止める。


 ――ドサリ。


 物音を立てながら、背後で中村が倒れ落ちた。

 恐る恐る、振り返り……。

 椎名は、自分の復讐が上手くいったことを知る。


「はは……無様な死に方」


 中村の遺体について……多くを語る必要はあるまい。

 ただ、劇団シープのプリンスには、ふさわしい死に様ではなく……。

 姉を自殺へ追いやった下衆には、相応の死に様であるのは間違いない。


 ひとしきり……といっても、数十秒程度だが……。

 しばらく、望みを達成した喜びに浸る。

 そうしてから、次の行動へと移った。


(焦る必要はないけど……一つ一つの行動を、手際よく)


 凶器となったワイヤーは死体の首に巻き付けたまま、セカンドバッグから次なる道具を取り出す。

 今度使用するのは、模型作りなどで使用される携帯用のエアブラシである。

 これを使い、壁にぐちゃぐちゃな模様を描く。

 模様に意味などはない。

 ただ、ほんのわずかな時間、見た者の注意を引き付けてくれれば、それで十分だった。

 エアブラシも放り捨て、中村の死体を漁る。


「……あった」


 できる限り死体を漁った痕跡は残したくなかった椎名であり、狙い通り、ポケットにそれが入っていたのは、僥倖であった。

 死体から奪ったのは、一枚のカードキー。

 これを手にした代わりに、自分のカードキーを落書きした壁の反対側……キャビネットの上へ置く。

 アンティーク調のそれは、腰くらいの高さであり、いかにも人が物を置くには程良い高さである。

 そこに、裏返しで置いてしまえば、一見して別のカードキーであるとは見分けられなかった。


 これで……準備は終わり。

 後は、運を天に任せるのみ。


 カードキーを使い、部屋のドアを開ける。

 中から出るのにも必要となるのは、客人が部屋から閉め出されるのを防ぐためであった。

 どうせ、見つかったら終わりなのだ。

 首を出して外を伺うような真似はせず、堂々と廊下に出た。


 賭けの結果は――椎名の勝利。

 廊下には人一人おらず、椎名は誰にも見咎められないまま、中村の部屋を脱出できたのである。

 もちろん、部屋に入る際は、他の客に見られないよう最新の注意を払っていた。


 全てが――完璧。

 思わず、笑い出しそうになってしまうのをこらえながら、エントランスを目指す。

 この後は、夕飯の時間になるまで、そこでコーヒーでも飲みながら過ごすだけでいい。

 復讐を成し遂げた達成感は、きっと、そのコーヒーを極上の味にしてくれることだろう。



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