昔、新潮社から出ていた『卒業式まで死にません』という本がありましたが、読みながらそれを思い出しました。
負担になるかもしれませんがそう思わせるのも一種の才能だと思います。
自分も解離性障害や複雑性PTSDで入院していたので怒りや悲しみは多少なりとも想像できます。
負担になったすみませんが読ませました。
解離性障害ってどうしようもない時ってありますものね。
押さえられない衝動性や怒りや悲しみ。
今は当事者のエッセイや作品を読んでいるときが救われるかも。
一種の依存かもしれませんが。
韓国最高裁が戦時中のことで日本企業に賠償を命じた件への応援コメント
こんにちは。企画に参加いたしました野栗と申します。
自分のルーツを誇れない、ありのままの自分を否定されるような子ども時代を強いられる人がいなくなることを、私も願ってやみません。
私は日本人の立場にたつ者の一人として、侵略の歴史と向き合い、それを誤魔化そうとする動きにささやかでも抗していきたいと考えています。
同時に、歴史の事実を個人攻撃、とりわけ抗う術を持たない弱い立場の人への攻撃に使うことは、全ての侵略犠牲者を冒涜する行為だと感じております。
差別はする側もされる側もだめにする、という言葉を聞いたことがあります。私はする側される側両方の体験があります。乗り越えたいと思いつつも、どうしていいか茫然と立ち尽くすことがあります。
カクヨム営みを通して、乗り越えていく糸口をつかみたいと思うこの頃です。
駄文お読み頂きありがとうございます。
病識が死んでるへの応援コメント
個人的な話になりますが、私も一度、無理して動けばなんとかなる!とかなり無理して出掛けたことがありました。結果、出先で会った人と些細なことで衝突し、色々な人を傷つけてしまう結果になりました。振り返って思うに、あの時の自分は、出掛けることだけでエネルギーの大半を費やして、対人スキルに割くエネルギーが枯渇していたんだな、と反省しています。
しんどくてもとにかく頑張って無理すれば「まとも」になる、というのが本当ならどんなにいいか、と思うところがあります。