第42話 桜


 桜さんの胸に抱きかかえられていると、とても安心できた。

 桜さんの胸に僕の顔が当たっていて、とてもいい匂いがする、だけど、不思議なことに、僕の中によこしまな気持ちは生まれなかった。

 むしろ、母親に抱きかかえられているような、そんな安心感。

 僕の両親は、生前、ひどい人間だった。

 僕はこんなふうに、母親に抱きかかえられた記憶なんて全然ない。

 もし母親に抱きかかえられたら、こんな気持ちなのかな……。


「桜さん、どうして僕に、ここまでしてくれるんですか……」

「私、テレビで見たんです」

「テレビ?」

「はい。沙宵くんがダンジョンで遭難しているあいだに、沙宵くんについて調べた番組が、いくつかやってました」

「そうなんだ……」


 まあ、僕は世界的にも有名になってたらしいし、そのくらいの番組が作られていても、おかしくはないな。

 ていうか、全然僕には知らされてないんだけど……そういうのってお金もらえたりしないのか……!? いやまあ、ダンチューブの広告料があるから、今となってはお金なんていらないんだけどね。

 にしても、そんな番組がやっていたとは、驚きだなぁ。

 みんなそんなに僕のことが知りたいのか……?


「その番組で、言っていたんです。沙宵くんには、両親の愛も、親戚からの愛もなかったって。沙宵くんのこれまでの生い立ちを取材したドキュメンタリーでした。そして、高校に入ってからは沙宵くんはずっと上尾たちにいじめられていたって……。しかも、沙宵くんがダンジョンで死にかけた理由も、上尾たちだっていうじゃないですか。私、ゆるせなかったんです」

「桜さん……」

「私も、両親は物心ついたときからいませんでした。そして、私も中学のころ、ひどい虐めにあってたんです。がんばって受験勉強して、地元とは違う高校に進学したから、今はもう虐めはないんですけどね。だから、沙宵くんのことも、他人ごとだと思えなかったんです。そんな沙宵くんのために、なにかできないかなって思って……。それで、あの晩、配信を見ていて、近くの公園に沙宵くんがいるって気づいて、居ても立っても居られなくって。あの場所にいったんです。そうしたら、急に沙宵くんが倒れて……」

「そ、そうだったんですか……」

「だから。私にできることがあれば、なんでも言ってください。私、なんでもしますから……」

「桜さん……」


 まさか、僕のことをそこまで考えてくれてた人がいたなんて。

 こんなに思われたのは、生まれて初めてだった。


「桜さん……でも、僕にはそんな資格はないんだ。僕は桜さんが思っているような人間じゃない。僕は……人を食べた……」

「それも……知ってます。見てましたから」

「だったら……!」

「沙宵くん。もう一人で抱え込まないでください。もう一人で悩まないでください。これからは、なにかあったら私に相談してください。沙宵くんは絶対に悪くないです。全部上尾たちが悪いんです。あれは彼らが自分で蒔いた種です。あんな人たち、食われて当たり前です。沙宵くんは正当防衛をしたまでなんですから」

「だけど……! 僕がやったことに、変わりはないんだ……」

「だったら! 私も一緒に背負います……!」

「え……?」

「沙宵くんのやったことが罪だっていうなら、その罪悪感に耐えられないっていうんなら、せめて私がいっしょにその罪を背負います。私にも背負わせてください。大丈夫です。私がいます。一緒に、幸せになりましょう。沙宵くんは幸せになっていいんです。もう十分苦しみました。もう十分がんばりました。だからどうか、今はもう自分のことだけ考えてください」

「桜さん…………ありがとう……。その……なんていったらいいか……」

「なにも、言わないでいいです。もうなにも考えないでいいです。沙宵くん、よくがんばりましたね」

「桜さん……僕、がんばったよね……」

「はい。そうですよ。がんばりました」


 桜さんから、本当に優しい、心暖かい言葉の数々をきいて、僕は涙がどんどんあふれてくる。

 今まで胸につっかえていたものが、全部あふれ出して、とまらない。

 まるで堰を切ったかのように涙がこぼれ落ちる。

 僕はいままで、誰かにそう言ってほしかったのかもしれない。

 誰にも認められずに、ひとりでずっと苦しんで、ずっと頑張ってきたから。

 誰かにただ、よくがんばったねと受け止めてほしかっただけなのかもしれない。

 彼女は、僕が今一番欲しい言葉を的確に投げてくる。

 こんなの涙が出ないわけないじゃないか。


「うええええええええええええん、えぐっつううううぇえええん」

「いいんです。沙宵くん、今は思い切り泣いてください。私がいます」

「桜さああああん。僕、幸せになって、いいのかなぁ……」

「いいんです。誰にも文句は言わせません」

「うええええんえぐっううええええん」


 僕はこらえきれなくなって、桜さんの胸の中で情けなくも泣き崩れてしまった。

 ひとしきり泣いたあと、僕はようやく落ち着きを取り戻す。

 落ち着いたら、ちょっと恥ずかしくなった。


「その……桜さん。今日は本当にありがとうございました。なんか、情けない姿みせちゃったね……」

「いいえ。私は素の沙宵くんが見れてうれしかったですよ。なんだか少し、君の心に触れた気がして」


 なんだか桜さんは、恥ずかしげもなく、詩的なことを言う子だなぁ。


「本当は、僕のほうがお礼したかったんだけどね。なにか、僕にできることって、ないかな? 僕も、桜さんのためなら。なんでもする」


 僕がそういうと、桜さんはにこっと笑って、こういった。


「じゃあ――私と、お友達になってください」

「喜んで」

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