第2話 絶対に逃さないから

 4日ぶりに教室に着くと、幼馴染みの新島沙希に声をかけられる。


「よっ、透じゃん。おひさ~」

「久しぶり」

「待ってたよ。はい、これ休んでいた間のノート」

「お、ありがとな」


 軽く頭を下げながら沙希からノートを受け取ろうとすると、ひょいっと遠ざけられた。

 どういうことかと目を細める俺に、幼馴染みはニヤニヤとイタズラっぽい笑顔を浮かべた。

 始まった。沙希の悪い癖だ。


「3日も学校サボってなにしてたん? なにしてたん?」

「まぁ、色々とな」

「色々? どうせネトゲでしょ」

「違うって」

「じゃあ徹夜でエロゲしてたんでしょ。このこの~」


 幼なじみは俺の腹をつついてウザ絡みをしてくる。

 そんな理由だったらどれだけ良かったか。

 こりゃ事情を話すまでノートは渡してくれそうもないな。

 俺はため息をつきながら、これまで起こったことを話す。


 推しのライブの帰り道、襲われてる女の子を見つけたこと。

 女の子をかばうために襲撃者と戦いを繰り広げたこと。

 幸いすり傷だけで大事に至らなかったこと。

 お見舞いに来た家族にものすごく心配され、警察に事情を聴かれたり、この3日間大変だったこと。

 そこまで話し終えると、沙希の顔が青ざめていた。


「え……通り魔?」

「左胸を刺されたときは危うく死んだと思ったよ」

「な、なにそれ、大丈夫なの?」

「ああ、こいつが防いでくれたおかげでな」


 胸ポケットから穴が開いた生徒手帳を取り出した。

 これから再発行手続きに行くのが面倒だが、まあ命に比べたら安いものだ。

 安いものだけど――


「一緒に挟んでたトワのブロマイドが無くなってしまってな……」


 おそらくあの通り魔ともみ合いをしている内に落としてしまったのか。

 警察に何度も尋ねたけれど現場には無かったといわれてしまった。


「そんなのどうでもいいじゃん」

「おまっ、そんなものって。トワちゃんの直筆サイン入りなんだぞ」

「そんなことより、透は怪我とかしてないの? てかなんでそんな大事なことあたしに連絡しないのよ?」

「え? 何で沙希に言う必要があるんだよ」

「なんでって、そりゃ透が心配だからよ」

「はは、気にすんなって。たいした怪我じゃないし――ほら、見るか?」


 学ランとワイシャツに手をかけると、沙希は顔を赤くしてそっぽを向いた。


「ば、ばかっ! 見せなくていい!」

「は? 何でだよ?」

「いいから早く服を着なさい! 通報するわよ!」


 意外な反応だ。

 沙希はイケてるギャルみたいな見た目してるせいか友達も多いし、男子人気の高いこいつなら男の裸くらい見慣れてそうだが。


 しかしあんな強烈な体験をしておきながら、普段通り登校している自分に違和感を覚える。

 奇妙なことに、あの事件はニュースにも新聞にも載らなかった。

 怪我人も出なかったし、たいした事件じゃないと思われたのか。


 結局襲われてた女の子のことは何も分からずじまいのまま。

 あの娘は今どうしてるんだろう。怪我してなければいいんだけど。


 そんなことを考えてると、にわかに教室がざわつき出した。

 もしかして沙希のやつ、本当に通報したのか?

 ご、誤解だ! 俺は上しか脱いでいない!


「お、おい……あれって《フォーマルハウト》の七星トワじゃないか?」


 男子生徒の声に、どくんと胸が高鳴った。

 トワちゃんが来てるだと!? いったい全体どういうことだ!?

 教室を飛び出そうとしたけれど、人混みが邪魔で廊下に出れそうにない。


 くそ、邪魔だ。どいてくれ。

 金も払うし、足でもなんでも舐めてやる。

 頼むから俺にトワちゃんを一目見させてくれ。


 土下座を視野に入れ始めたとき、わっと生徒たちが歓声を上げた。

 背伸びをすると同級生たちの頭越しに、トワの姿が見えた。


 同じ16歳とは思えない豊満な胸と尻。引き締まった腰。

 間違いない。あれは本物のトワだ。


「すげー! 七星トワだ! 本物だ!」

「きゃー! こっち向いてー!」


 クラスメイトたちが叫んだ。中には感動のあまり号泣して涙を流している者さえいた。まるで空の国から舞い降りてきた天使でも見るような騒ぎっぷり。

 今までライブやテレビでその姿は見ていたけど、やっぱり綺麗だ。彼女の美しさの前ではこの世のどんなモノも霞んで見えた。

 ただ歩いているだけなのに一般人とは違うオーラを感じる。


「なんで芸能人がウチの学校に?」

「撮影?」

「学園ドラマとか? なら俺たちもテレビに出れるんじゃね?」


 たしかにそれは気になる。

 うちの学生でもない彼女が、なぜここに来たのだろう。


 誰もがそんな疑問を抱いたとき、一人の男子生徒がトワの前に踊り出た。

 たしかあの男は……バスケ部のイケメンで、クラスの女子からも人気が高かった気がする。

 そいつは緊張を和らげるように深呼吸を繰り返すと、意を決したようにきりっとした顔で言い放った。


「トワさん、俺と付き合ってくれ!」


 大胆な告白に、どよめきが上がる。

 マジかよ……よりにもよってこんな大勢の前で俺の大天使トワに告白とか、さすがイケメンはやることが違う。

 けれどトワは表情ひとつ変えず、ばっさりと。


「あなたの気持ちは嬉しい。でも、ごめんなさい」


 首を振って拒絶した。

 その反応にみんな落胆したような、ほっとしたような声が上がる。

 イケメンは驚いた顔で、拳を握りしめた。


「分かった。あなたの気持ちを受け入れよう。だけどこれだけは聞かせてくれ」

「……?」

「トワさん、あなたには好きな人がいるという噂がある。それは本当なのか?」


 あいつ……イケメンだからって調子に乗りやがって! 今すぐ顔面を八つ裂きにしてお前の人生ハードモードにしてやろうか!

 息を呑む皆の前で、トワは口を開く。


「ええ、そうよ。他に好きな人がいる」


 ――え? それはどういう意味?

 彼女の爆弾発言に、誰もが衝撃に包まれる。

 かと思うと、彼女はいたずらっぽい声で言う。


「私はファンのみんなが好き。その中から誰かひとりを選ぶなんて出来ないから」


 なんだ、そういう意味か。

 そんな安堵が野次馬たちに広がっていく。

 イケメンはこりゃ一本取られたとばかりに苦笑すると、トワに頭を下げて謝罪した。


 胸をそっと撫で下ろす。そっか、恋人いないのか。

 べ、別にトワに恋人がいたところで俺は傷ついたりなんかしないし、何なら応援するし、安心なんかしてねーし。


「……?」


 ふいに、絡みつくような視線を感じて顔を上げる。

 トワがじっと俺を見つめていた。

 一体どうしたんだろう。

 何を思ったのか、彼女はこちらに歩き出した。

 さっと野次馬たちが道を開け、近づいてくる。


 え? 何これ。

 何でこっちに向かってくるんだ。

 訳も分からずうろたえていると、トワは俺の前で立ち止まる。


 うわ、やば……。

 めっちゃ顔綺麗。日本人とイギリス人のハーフだからってのもあるけどまつ毛の長さといい、切れ長めの瞳といい、最早人間という枠を超えた神の造形物にすら思えてくる。

 こうして目の前に立たれると、俺より頭ひとつ背が小さい。

 しかも背格好に似合わず胸がでかい。

 私服の下から山二つ突っ張り出しているのが明らかに分かる。


 すると彼女はバッグから一枚のクリアファイルを取り出した。


「これ、落とし物」

「あ……」


 彼女の手には、俺が無くしたはずの直筆サイン入りのブロマイドがあった。

 何で彼女がこれを持っているのだろう。警察ですら見つけられなかったのに。

 いや、今はそんなことより――


「あ、ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げて、受け取ろうとすると手を掴まれた。


「大きい……やっぱり男の子なんだね」

「え?」


 ほとんど吐息のような囁き声。

 何事かと思って顔を上げると、彼女と目が合った。

 透き通ったエメラルド色の瞳を見ていると、吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。


「あの、これは一体……」

「帰る。またね」


 かと思うと、彼女は踵を返して立ち去って行った。

 え? いまのは何だったの?

 周りに集まっていたクラスメイトたちも困惑したような眼差しで、立ち去っていくトワを見つめている。


 もしかして俺に落とし物を届けるためわざわざうちの学校に来たのか。

 であれば他にやり方は合ったと思うのだが……。



 ◇



 私は校門を出てため息をつく。

 今日は透くんに落とし物を届けに来ただけなのに、注目されてしまうとは思わなかった。

 ましてや彼の前で告白されるだなんて……ふしだらな女と思われたらどうしよう。もっと人気のない時間を見計らえばよかったかもしれない。彼に会いたい気持ちが膨らむあまり、先走ってしまった。

 なによりも――


「お礼……言えなかったな」


 周りの目もあってか、通り魔から助けてくれたお礼を言えなかった。

 けど、焦らなくてもいい。

 彼に発信機をつけるという目的・・・・・・・・・・・・・・は果たせた。

 これでいつでも居場所はわかるし、会える機会はいくらでもある。

 周囲に人影がないのを確認してから、自分の手を見つめる。

 それは先ほど、彼と触れ合った指。

 男の子の手。

 そっと顔を近づける。


「いい匂い……」


 手の平にまだ彼の温もりが、彼の感触が残っている気がする。

 あの大きくてごつごつとした手が、私をあの男から守ってくれた。


「絶対に……逃さないから」


 興奮のあまり、目まいがした。

 太ももの奥から、じんわりと熱い熱を感じた。

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