通り魔から推しアイドルを助けたらストーカーされて重く愛されるようになった話
黒絵耀
第1話 もう二度と離さない
「好きになっちゃえ♡ 好きになっちゃえ♡」
「っ!?」
枕元で脳をとろけさせるような女の囁き声を聞いた気がして、飛び起きた。
目覚めると誰かの気配を感じるときはあったが、もちろん誰もいるはずなんてない。目を開けても、天井に張りつけた笑顔の推しアイドルのポスターとしか目が合うはずもなく、
「なんだ、夢か……」
そのまま起き上がる。
5月も半ばを過ぎた頃、俺こと七瀬透は推しと会うために準備を進めていた。
風呂でしっかりと身を清め、新しく買った推しTシャツに袖を通し、新調したばかりの革靴を履いた。あとはペンライトとチケットを確認する。
高校2年生にはかなり痛い出費だが、惜しんではいられない。
なんせ今日は特別な日だ。
「――今日は推しの3周年記念ライブだもんな」
そう、俺の大好きな3人組のアイドルユニット――《フォーマルハウト》の晴れ舞台だ。
特に俺が推しているのは『七星トワ』。
日本人とイギリス人のハーフである彼女は、《フォーマルハウト》の中で最もダンスや歌唱力のレベルが高い。
その圧倒的なパフォーマンスの前では呼吸すら忘れて魅入ってしまう。
だが3人組の中ではちょっと近寄りがたいイメージを持たれている。
理由は簡単。
いつも無表情だし、ファンにも笑みひとつ寄越さない塩対応。
トーク番組に出たときなんか放送事故レベルだった。あまり喋らず置き物みたいになるトワに、司会者は困ったような顔になっていたのが印象に残っている。
その上、追い打ちをかけるように恋人がいるという根も葉もない噂がどこかから流れていた。
それを実感したのはライブが終わった後の握手会。彼女の待機列だけ他の2人と比べたら空きが目立っていた。
けれどトワは――
「また会えたね、透くん」
推しの声に、心が震える。
推しが覚えてくれていた。
俺のことを。七瀬透という名前を。
その事実にたまらない嬉しさが込み上げる。
指で数えられる程度しか会ったことない俺を。
どこにでもいる平凡な高校生にしか過ぎない俺なんかを意識してくれている。
「え、あ……そ、そのっ」
この日のために、頭の中で何度も彼女を讃える言葉をシュミレートしてきた。
なのに、言葉が詰まる。
せっかく推しと話せる貴重な数秒なのに……いざ本人を前にすると緊張で頭の中が真っ白になった。
何も言えず、係員に引きはがされてしまう俺に、
「大丈夫。すぐ会えるよ」
トワは小さく手を振りながら、笑いかけてくれた。
いま笑った?
あの絶対に笑わない彼女が……俺に微笑んだのか?
思い返してみると今日のライブも変だった。
トワが俺に向かって何度もウインクしてくれたり、手を振ってくれた頻度が異様に多かった気がする。
隣のオタクが「いまトワちゃん俺に手を振ってくれたよな!? な!?」とか騒いでいたが有り得ない。夢の見過ぎである。
あれは俺にやってくれたんだ。
そうだ、そうに決まっている。
いやいや……気のせいだ。
だって、あまりにも俺に都合が良すぎる。
推しが俺だけに笑うなんて有り得ない。
そうだ、勘違いするな。
彼女にとって俺は数多くいるファンのひとりだろうし、俺だけに特別な感情を抱いているはずもない。
世の中には推しとお近づきになってあわよくば恋仲になろうと下心をちらつかせる輩もいるがそんなのはファン失格だ。
トワは信仰対象であり、俗な感情を向けるのは許されることではない。
もしかしたら噂通り……七星トワには、本当に恋人がいるのかもだけど。
でも、そんなの関係ない。
推しの幸せが俺の幸福だ。
「今日のライブも最高だった……」
今日もトワは最高に輝いていた。歌唱力が圧倒的だし、なによりもダンスのキレが凄すぎて他の2人が置いてけぼりになっていた。
しかもあれで俺と同い年だというから驚きだ。もはや存在の次元が違い過ぎて嫉妬どころか崇拝してしまう。
購入した推しのサイン入りブロマイドを学生証に挟み、胸ポケットにしまう。
「はあ……せめて推しと同じ高校に入学してクラスメイトになりたい人生だった」
きっと彼女と友達になるなんて恐れ多くて出来ないし、話しかけることも出来ないまま高校を卒業してしまうけれど、彼女と同じ教室の空気を吸えるだけで寿命が延びそうだ。なにより良い匂いがしそう。むしろ空気になって推しの体内に取り込まれてそのまま同化したい。
そんなふうに推しとの幸せな妄想に浸りながら。
人気のない住宅街を歩いてたとき、
「お、俺を騙しやがったな! このクソビッチがぁぁぁ!」
どこからともなく夜の闇を切り裂くような叫び声が響いた。
何だ? 痴話ゲンカか?
こんな住宅街のど真ん中で騒ぐだなんて近隣住民にはたまったものではない。
野次馬根性でなんとなく声のした方に近寄ってみる。
曲がり角から覗いてみると、鼻息の荒い肥満体系の男と、顔を覆い隠すようにフードをかぶった女がひとり。
その上マスクとサングラスをつけていたが、それでもすらっとした体型からかなりの美少女であることが伺える。
「そうやって、お、俺の心を弄んでさぞ愉快だったろうな!」
少女は無反応だ。
もしかしたら恐ろしさのあまり声も上げられないのかもだけど。
そんな様子に、男が苛立って一方的にまくし立てている感じだった。
「お、男がいる奴がっ、アイドルなんかやってんじゃねえよぉぉっ!」
アイドル? 男がいる?
そんな噂が出ているアイドルといえば……もしかしてあの子はトワなのか?
いやいや、それこそ気のせいというものだろう。
こんなところに偶然彼女がいるわけない。
そんなことより、
――男の手には、凶器が手に握られていた。
危険な白い輝きに、ごくっと喉が鳴る。
やばい、あれはヤバイ。
とてもおもちゃの刃物には見えない。
「お、お前みたいなクソビッチなんて、こっ、殺してやる!」
周囲に人気はない。
さっきから大声が響いてるはずなのに。
なんで誰も助けに来ないんだ。
け、警察を呼ぶか?
スマホを取り出す手が震える。番号がまともに押せない。
いや、そんな暇はない。
警察の到着を待っている間に殺されてしまう。
男は身体を左右に揺らし、狂った笑い声を上げながらナイフを構える。
彼女は逃げようとしない。もしかしたら恐怖で凍りついているのかもしれない。
「――死ねぇぇぇぇっっっ!!!」
情けない。足が震えてるなんて。
でも、本当に怖いのはあの娘の方だ。
彼女を助けられるのは俺だけだ!
「うおおぉぉぉぉぉっ!!!」
俺は曲がり角から飛び出すと、男と少女の間に割って入った。
少女をかばうようにして両腕を広げた途端、ナイフが左胸を貫いた。
鈍い痛みが走る。赤くちかちかと点滅する視界。
――刺された、左胸を。
だけど不思議なことにそこまで痛みはない。
あまりの激痛に、神経が麻痺したのだろうか。
よくわからないけどいまは都合がいい。
「このおぉぉっ!」
そのまま男の身体めがけて体当たりをした。
男ともみ合いになりながら冷たい地面に倒れ込む。
俺はなんとか男を羽交い絞めにしようとするが、男は死に物狂いで太った身体をばたつかせながら、俺の腕や頭を叩いてくる。
刺された左胸が痛む。
それでも男を離さないよう、必死でしがみついた。
ふたりして冷たい路面を激しく転げ回ること数分。
騒ぎを聞きつけたのか、たくさんの足音が近づいてきた。
近隣住民の方々が男を縛り上げて拘束してくれたことで、俺は解放された。
すっかり安心しきって、そのまま路面に身を預けるようにして横たわる。
疲れた。
全身がものすごく痛いし怠い。
目まいが酷い。頭がくらくらする。
泥のような眠気がまとわりついてくる。
このまま目を閉じたら……もう二度と帰ってこれなさそうだ。
「安心して……私が一緒にいてあげるから」
さきほど襲われていた少女が、俺の手を握った。
目に大粒の涙を溜めて、いまにも泣き出しそうな顔をしていた気がする。
なぜそんな曖昧な言い方かというと、視界がぼやけていて彼女がどういう顔をしているか分からなかったから。
「もう大丈夫……救急車呼んでおいたから」
遠くからサイレンの音が響いてくる。
そうか、俺があの男とやり合っている間にこの娘が通報してくれたのか。
結局少女が何者かわからないが、そんなの些細なことだ。
このまま醒めない眠りについたとしても、最期に女の子を助けられたんだ。
彼女が無事ならそれでいい。
なんだか誇らしいような、満たされたような気持ちになりながら。
「もう二度と……離さない」
――俺はそのまま眠りについた。
◇
なんてことがあったけど……俺は3日後、無事退院した。
病院に担ぎ込まれ、刺された左胸は表面を掠めただけでほぼ無傷だった。
医者の話によると胸ポケットに入れた学生証が刃物を防いでくれたらしい。
なんか漫画で見たようなシチュエーションで現実味がない。
とにもかくもこれからの人生、これ以上の経験をすることはないだろう。
そう思ってたけど……この事件を境に俺の人生は激変する。
なぜか俺の推し――七星トワが誘惑してくるようになったのだ。
呼吸するように俺の家に忍び込んでるし、俺が寝てる間にベッドの中に潜り込んでツーショット写真をSNSに上げようとしたり、隙あらば学校の提出物を婚姻届けにすり替えて籍を入れようとしてくる。
どうしてこうなった……?
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