第6話 ポンコツな監禁事件【6】

 

 その言葉で、一気に記憶の門が開いた。風がなだれ込んでくるかのように、そのときの光景が力強さをもって溢れてくる。


 そうだ。


 たしかに、俺は、あのとき「わかめ」と呼ばれていた少女を助けたんだ。そのときの胸くそ悪さ、そのときの炙られるような怒り、そのときの脳髄を貫いた正義感――。すべての感情がありありと蘇ってくる。


 俺は、別にヒーローになりたいとか思っていたわけじゃない。


 弱いやつを集団でいじめる、ゲス野郎どもが気に食わなかっただけだった。


 俺は、「わかめ」からノートを取り上げて弄んでいたやつらを、先生や他の見て見ぬ振りをしているやつら……全員がいる前で一喝した。


 ――今度なめたことしやがったらバイクで轢き殺してやる、と。


 それだけだった。


 俺がやったことなんて、たったそれだけ。


「……思い出した」


「え?」


「思い出したよ、直方さん。俺、たしかにあのとき、君に嫌がらせしていた奴らに怒鳴り散らしてやったな。でも、そのときの嫌がらせしか知らなくて、その前から続いていたやつにはぜんぜん気づいてなかったし……。助けたなんて、言えるかどうかはわからんけど」


 俺の言葉に、笑顔の大輪が咲いた。ぱあっという効果音が実際に聞こえてきそうなくらい、素敵な笑みだった。

 

 なぜか春道がハンカチで目元を拭っていた。なんで泣いてんだよ。


「ほ、ほんとですか! あのときのこと、思い出してくれたんですね!」


「……まあ、な」


 照れくさいな。


 思わず頬をかいていると、直方さんが勢いよく机をたたいた。


「やったあ! えへへ、嬉しいなあ」


「……びっくりしたぁ」


「あ、すいませんすいませんです。あ、あのテンションあがってついつい……。私ごときが机なんて叩いたら生産者と加工業者の方々に申し訳がたちませんよね」


「……いや、そこまで思わなくていいからさ。それで、あれ以降は嫌がらせはされなかったんだよね?」


「はいです! まったくされなくなりました! それどころか、みんな怖がって私を避けるようになりましたね!」


「うっ……なんかごめん」


 俺のせいじゃん、それ。


「いいんですいいんです。おかげで、暗闇からは抜け出せたんですから。……それに、銀次さん以外のやつらのことなんて、どうでもいいし」


 ……最後の一言は、聞かなかったことにしよう。


「まあ、なんにせよ。よかったなあ。あの行動が直方さんを助けになっていたなら、俺としても嬉しいよ」


「……忘れていたくせに」


 春道がぼそりと言った。


 うるせえ、思い出したんだからいいだろうが。


 俺が春道を睨んでいると、直方さんが頭を下げて、額を机にぶつけていた。


 ……何やってんの、この子?


「いったああ……! はっ、ごめんなさいごめんなさい! また音を立ててしまって、死んだほうがいいですよね」


「……いきなりどうした?」


「あ、頭下げようとしたらぶつけたのです! すいませんすいません!」


「……」


 ……締まらねえな。


 直方さんは、ごほんと、わざとらしい咳を鳴らして居直ろうとした。いや、無理だから。ごまかせないから。あんたのポンコツ力五十三万の圧倒的戦力は。


「そ、それであの……お礼がしたくて……ですね」


「お礼って……。用件って、そういうことか」


「は、はい」


 俺は思わず噴き出しそうになったよ。さすがに、勇気を振り絞って話してくれた直方さんの手前、笑うことはしなかったけどさ。


 だって、あまりにも遠回りだから。たった、一言を伝えるために。


 まあ、俺が忘れていたのも悪いんだけどね。


「……そうか。なら、ありがたくお礼を受けようかな」


「……えへへ」


 あー、笑ったときはホント最高に可愛いなこの天使。レッドブル飲まなくても翼授かってるよ、まじで。


「あのあのですね! それで、渡したいものがあってですね!」


「え、渡したいもの?」


「は、はい! お礼の品ってやつです!」


 持ってきますね! 


 そう鼻息荒く宣言して、直方さんはパタパタとペンギンみたいな足音を鳴らし、どこかへと消えていった。


 俺は春道の方をみた。二本貫手で目を潰してやりたくなるくらいのイケメンは、小さく笑って肩をすくめている。


 なるほど、了解済みか。


 保護者からのお墨付きが出ているから、変なものではあるまいと、俺は胸をなで下ろした。いや、まあ……天使だけどポンコツなヤバいやつだし。一応、保護責任者には確認しとかんとね?


 直方さんは、なにやら包装紙で包んである小さな箱を持ってきた。


 なんだろう、あれは? 


「……チョ、チョコレートです、はい」


 はやすぎるバレンタインデーだなあと思ってしまった。いやまあ、バレンタインデーじゃなかったらチョコレートを渡してはいけないなんて、法律も慣習もありはしないが。


 春道が、やれやれと言わんばかりに微笑んでいた。心なしか嬉しそうなのが、こいつのシスコン保護者ぶりを表しているよね。


 まあ、俺の口元もたぶん歪んでいるけど。ほら、直方さんが若干引き攣った顔したし。


「……う、受け取ってほしいです。私の想いと愛情をすべて詰め込んだ、銀次さん好みの激甘なチョコレートですです!」


「……そうかい」


 お、重いなあ。


 まあ、そういうところが直方佳奈多という少女らしさなのかもしれない。そう思うと、このヤバさと重さも多少は微笑ましく思えてくるよ。うん、思うようにしよう。


 俺は、差し出されたチョコレートを受け取ろうとして。


 直方さんの次の一言で、完全停止した。


「それに……私の一部も入っていますし」


「……」


「……」


 世界が、凍りついた。俺の目は――おそらく春道の目も――点になっていただろう。


 瞬きを繰り返す。


「……一部?」


 俺が思わず質問してしまうと、恥ずかしげに、そしてどこか嬉しそうに、直方さんは頬を蒸気させ、こう言った。


「はい! 私の……下の……。これ以上は言わせないでくださいです……」


 世界の沈黙は、大寒波をともない。俺は無言で箱から手を離し、いそいそと帰る準備を始めた。そして遅れて束縛から解き放たれた春道は、鬼のような形相でこう叫んだ。


「――なにやっとんじゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、このポンコツ変態ゆるふわメガネがああああああああ」


「ひゃあ、ハルくん! い、痛いです痛いです!」


「うるせええええええええええええ!! あれだけ余計なものはなにも入れるなって忠告しといただろうがあああああああああああ! せっかくいい雰囲気だったのに、たったの一手でぶち壊しやがってええええええええええ!!」


「ハルくん! 目から血が流れてますよ!?」


「じゃかあしい! そこに直れい!!」


「ひええぇぇっ」


 うん。


 やっぱ、この子、やばいわ。


 

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