第5話 ポンコツな監禁事件【5】



「え、同じ塾だったの俺達?」


 俺はたぶんめちゃくちゃ瞬きしながら訊いただろうね。


 いや、だって完全に覚えがないし。こんな可愛い娘がいたら忘れないと思うのだけどな。こいつが透明マントでも使ってストーカーとかしていたら、分からんのも無理ないと思うけどさ。


 直方のおがたさんがふたたび口を閉ざして冷却期間に入ったので、俺は春道の方に目を向ける。察したようで、春道は溜息をついて補足説明を開始した。


「姉さん、あの頃はこんなに髪が短くなくて、すごい長髪だったんですよ。わかめって呼ばれてからかわれるくらい」


「……わかめ」


 俺は、はっとした。


 たしかに、同じ塾にめちゃくちゃ髪が長い子がいた。前髪を覆うくらいあったから、顔の印象は正直残っていない。すごい大人しい子で、隅っこにばかり座っていたな。


「もしかして……あの子か?」


 え、変わりすぎじゃない? 髪型変えただけで、女の子ってこんなに可愛くなるの? デジモン並の進化だと思うのですが。


「お、思い出してくれましたですか!?」


「うん……ほらよく隅に座っていた髪の長い子だよね?」


「ですです!」


「あの、よく忘れ物をして、よく転んでいた」


「ですですです!」


「……あのころから、ポンコツだったんだね」


「ですです……って、酷いです! 誰がポンコツですか!」


「……いえ、幼稚園の頃からすでに。なんどおもらしして先生を困らせたことか」


「ハルくん!?」


 弟のカミングアウトで涙目になる直方さん。


 突けばもう少し面白い話が出てくるかなと思ったが、藪から蛇という言葉があるとおり、犯罪じみたエピソードが出てこないとも限らないのでやめておこう。


 閑話休題。 


「……で、話というのは、直方さんが俺と同じ塾だったことと何か関係あるの?」


「そ、そうです。その……覚えていませんか?」


「何を?」


「私を助けてくれたこと……です」


 俺は天井を向いてしばし記憶を掘り起こしてみた。だが、俺の錆びついたスコップではたどり着けない地層に眠っているらしい。トレジャーハントは失敗。残念。


「……悪いが、思い出せないな。俺、直方さんになんかしたのか?」


 直方さんが落ち込んだ表情になった。


 なんだ、この罪悪感。抱いていた子猫を落としてしまったときのような、心がざわめく後ろめたさがある。


 春道が、じとっとした目でこちらを見ていた。


 いや、そんな睨むなよ。しょうがないじゃないか、覚えていないもんは!


「……あ、あの。ごめんな、どうしても思い出せなくてさ。よかったら、どんなことがあったのか教えて欲しいな」


「……はいです」


 直方さんは頷いて、涙目をこちらに向けて諦めたように微笑んだ。その笑顔の美しさといったら、身体の邪気をすべて消し飛ばされるくらいのものがあった。まるで愛らしさを象徴する天使の微笑だね! 光がほとばしるようだよ。


 あああ、くっそこいつ可愛いなちくしょう。犯罪行為に走りがちなヤバいやつのはずなのになんだこの可愛らしさは死にたくなる。尊いってこんな気持ちなのかちくしょう可愛い飴ちゃんあげたいなあ!


 感情が思わずゲシュタルト崩壊しかけたが、目の前の直方さんは、そんなことにはまったく気づいていない。


 ゆっくり深呼吸して、何度か言葉をつっかえさせながら、口を開いた。


「……その、私、塾にいるときに男の子たちから嫌がらせをされていたんです。いじめというほどでもないんですが……授業中に消しゴムの小さなやつを投げられたり、ノートに変な落書きされたり……」


「……」


 いきなりシリアスパートに入ったなあ。


 そんな話をされるとは思っていなかったから、正直驚いてしまった。


「すぐに『嫌だからやめて』と言えばよかったのでしょうけど、私昔から自分の意見を主張するのが苦手で……。コミュ力も死んでいるから、男の子と会話なんて、のび太くんがフルマラソンに挑戦するくらいハードル高いですですし」


「いや……」


 あんた、滅茶苦茶自分の主張しまくってたやん。監禁しましただの、写真を千枚くださいだの。


 ……なんて、突っ込みが野暮なことくらいは分かるから言わない。春道からの圧がすごいし。


「……なんです?」


「あ、いやごめんな。なんでもないから続けて」


 直方さんは、控え目に首肯した。


「それで、私が嫌だと言えない子だとわかったからか、だんだん行為がエスカレートしてきてですね……。私の教科書が急にどこかにいったり、椅子がなくなったり」


「……」


 完全にいじめじゃねえか。


「……それで、困り果てていたんですが。先生に言っても、気のせいじゃないかって言われるだけで対応してもらえなくて。もう、詰んでますよね。どうしようもないなって、目の前が真っ暗になったんですが」


 ちらり、と俺をみて照れくさそうに口元を緩める。


 その表情は、まるで春の陽射しを喜ぶ新芽のように、穏やかさに満ちていて。俺は、はじめてこの少女の本質的な姿を垣間見た気がした。


 あまりにも純粋で汚れがない、赤子のように美しい精神性。


 俺を見つめる彼女の瞳は、凪いだ海よりも静かで輝いていた。


「そんなときです」


 銀次さんが、助けてくれたんです。

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