第48話あなたに居場所をあげる


 大きな揺れと共に、地響きが響き渡る。イチズとスズは抱き合って、その恐怖に耐えた。ヒビナも戸惑っており、これは彼が起こしたものではないらしい。


「どうして、お前がここに……」


 ヒビナの言葉には、驚きが含まれていた。


 イチズは、ヒビナが見つめている方向に目をやる。そこには綺麗な人がいた。長い髪を膝裏まで伸ばして、目がどこか虚ろで、まるで幽鬼のようだ。生命力がまるでないくせに、どこまでも透きとおって美しい。


「――メノウ」


 イチズは、彼の名を呼んでいた。


「助けて……」


 メノウは、誰もが予想しなかった言葉を呟いた。ダンジョン警察としてイチズたちを救助するはずのメノウはなく、そこにいるのは全てを失くした弱い少年でしかなかったのだ。


「ここには、もういたくない。だからと言って帰りたくもない。Just kill me. Just kill me!(いいから、さっさと殺せよ!)」


 メノウの周囲から、泥の人形が次々と現れる。泥の人形は、手や足といった体の一部が欠損していた。


 なかには手足の四本がなく、ごろごろと転がることしか出来ない者もいる。内臓が飛び出して、動かない者もいた。不気味な姿であるが、強そうであるとはお世辞にも言えない。


 しかし、それに恐怖を覚えた人間が一人いた。


 メノウである。


「そうだよ。お前たちが怖いんだよ……。僕が、そっちに行きそうでいつも怖いんだ!」


 メノウの周囲に蛇が出現する。


 その蛇は入れ墨から出てきたものではなくて、地面から生み出された蛇であった。普段ならば心強い武器であるはずの武器だというのに、それを見たメノウは泣きそうになっている。


「入れ墨だって嫌だった!だって、痛かった!すごく、痛かったんだ!!」


 レイドボスの嫌だったことや怖かったこと。


 それが、この階層のモンスターとして出現するのだ。


『メノウが、なんだか癇癪を起してるぞ!イメージが壊れる』

『イメージが壊れるって!中学生なんだから癇癪はギリギリありだろ』

『いや、そんなことより……。ここってレイドバトル階層なんだよな。なんで、泥人形がモンスターなんだよ』

『イッチちゃんたち逃げて!!』


 スズの人形たちが、イチズに向かって走ってくる。身を守る武器がないイチズは、逃げることしか出来なかった。しかし、メノウが作り出す不気味な泥人形も避けなければならないので、もはや逃げることすら難しい。


「やめてください!」


 スズは、自分そっくりの人形の前に立ちははだかる。人形たちは、本物を傷つける気はないらしく動きを止めた。


 レイドボスが恐れているものがモンスターとなるのならば、ヒビナが恐れているものはスズだ。


 スズに拒絶されることが、ヒビナの恐怖なのである。もしも、その恐怖を乗り越えたらスズも危険にさらされる。イチズは、必死にメノウに呼び掛けた。


「メノウ、助けて!あなたの力が必要なの!!」


 イチズは、メノウに駆け寄った。


 だが、メノウははらはらと涙を流すばかりである。その痛々しい姿に、イチズは彼が中学生であるのだと実感した。


 普段の飄々とした姿は、自分を守るためのものだったのだ。そうやって鎧をまとわなければ、まだ彼は脆い子供なのである。


「don't want to fight. I'm afraid. But if I don't fight, they will kill me……(いやだ。戦いたくない。でも、戦わないと殺される)」


 メノウは、イチズを見てはいなかった。


 過去を恐れるようなメノウの呟きを聞けば、普段のイチズだったら何もできないとあきらめただろう。だが、今はあきらめられない。


 自分の命がかかっているからではない。


 メノウの悲しみは、自分しか覆すことができないと思った。


「……help」


 イチズは、メノウの冷たくなった身体を抱きしめる。氷のように冷えた体をイチズは全身全霊で温めた。


「私は……私では、あなたの地獄は理解できない!でも、こんな私でもあなたが楽しく生きていられる『これから』と『居場所』は作ってあげる。遠回りして一緒に登校してあげてもいいし、下校もしてあげる!手も繋いであげる。イベントのある日は、絶対に一緒にいてあげる。一緒にゲームとかして遊んで、洋服だって選んであげる!!」


 過去の地獄など知ったものか。


 イチズが与えられるのは未来だけだ。


「あなたが、あなたの居場所を作ってあげるから——私と付き合え!!私が、あなたに窒息するぐらいの幸せをあげるから」


 メノウは、体から力が抜けた。


 イチズは、それを抱きかかえる。重かったが、イチズでも抱きかかえることが出来る程度の重みだった。


「僕は……人を殺したのに。誰も受け入れてくれないのに」


 涙目のメノウは頼りなかった。


 まさに子犬だった。


 全力で守りたい相手であった。


「なにか理由があったんでしょう。私は、受け入れる。受け入れて幸せにしてみせる。あなたの居場所を作ってあげる。だから、あなたをちょうだい」


 ここまで、熱烈な告白などしたことはない。


 ここまで、力任せの告白など聞いたこともない。


 けれども、この告白ほど必要なものはないと思った。いつの間にか、メノウの目には涙が消えていた。そして、きょとんとした顔をしている。


 何も知らない無垢な顔が、忌々しくなってイチズはや若い頬を引っ張った。メノウは痛いとも言わずに、困ったように眉を寄せるばかりだ。メノウは、やがてイチズの手に触れた。


「……あなたに、この恐怖を全て押し付けるわけにはいかない。だから……その……もうちょっと僕が強くなってから、本気のお付き合いをしてもいいですか?」


 メノウは、頬を赤く染めていた。


 中学生が、年上の高校生から告白されたのだ。『前向きに検討させてもらいます』と言われても仕方がない。それでも、今はそれで良い。


 メノウは、もう泣いていなかったのだから。


「おい、俺を無視するな!」


 ヒビナは怒鳴るが、スズを傷つけるのが怖くて攻撃が出来ていない。未だにヒビナの弱点が、スズであることにイチズは安堵した


「イチズ。お前は人を落とし入れたくせに、そんな奴と良い感じなっているのかよ。そいつは中学生だろ、ショタコン!」


 イチズは、痛いところを突かれた。


 メノウは、くすくすと笑っている。気が抜けるような光景ではあったが、ダンジョン警察の面々が集まったときの雰囲気にも似ていた。


「僕は、過去が恐ろしいです。何が起こるかが分からない未来も怖いのかもしれません。この日本という国とも一生馴染めないかもしれません。でも……ようやく思い出せた」


 サイロは「俺を見下せ」と言った。


 見下せるほどに幸せになれと言った。


「未だに、サイロ様を見下すことなんて恐れ多くて出来ません。けど、それでも僕は幸せだった。だって、皆が居場所を作ってくれていたんですから」


 メノウの胸から、ピンク色の光が漏れだした。その光にメノウが手を当てれば、巨大なダンジョンコアが現れる。


「なんで……ダンジョンコアが?」


 メノウとイチズが顔を見合わせて驚いていれば、ダンジョンコアには罅が入って粉々に崩れた。その欠片は、メノウが飲み込んだ数と同じである。


 それと同時に、メノウが生み出していたと思われる四肢がない人間たちや蛇たちが崩れていく。その光景に、メノウは唖然とした。


「僕は、もうダンジョンじゃないんですかね。ああ、そうか。恐いものがなくなったから、モンスターが生み出せなくなったのかも。だから、ダンジョンではない。分かったような。分からないような。」


 ぶつぶつとメノウは呟いている。


「あの……気になっているところ悪いけど、あっちにも集中してあげて」


 メノウが、今まで放って置かれていたヒビナを指さした。スズの人形は未だに消えていないので、スズへの想いも恐怖も未だにヒビナは抱えたままらしい。


「ああ……。彼もダンジョンになったんですよね。ならば、頑張りましょう。Du gehörst zur Bande meines Bruders. Ich werde dich umbringen.(兄の一味だな。殺す)」


 英語ではなかったので何となく聞き取ることも出来なかったが、イチズは嫌な予感がした。


「メノウ、お手柔らかに頼むわよ。お手柔らかに!」


 メノウの容赦のない攻撃に、ヒビナが作り出したスズがあっという間に砕かれていった。ついでに、ヒビナはボロボロになるまで殴られる。イチズから見ても一方的な戦いは、可哀想一言だった。


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