第43話殺人犯への殺意


 コクヨウの問いかけに、メノウは唇を噛んだ。


 このコクヨウという人間は、まるで分かっていないのだ。日本という国が安全で恵まれていて、そういう場所で育つということの方がレアケースであるということを。


 自分は上から、メノウを見下して愉悦に浸っているだけなのだと理解していないのである。


 メノウは、たしかに育った国で何人も殺した。


 組織のための殺人だったり、自分の身を守るためにも人を殺した。罪悪感を抱いたことはほとんどなかったし、殺さなければメノウは生き延びることが出来なかったであろう。


 自分をさらってきた組織から逃げれば、殺人を犯さなくてよかったのではないのかと考える人もいるかもしれない。しかし、組織を抜けたり見捨てられるということは死と同異義語である。


 メノウは冒険者であったから、それなりに大事にされた。飢えることはなかったし、育ての親として娼婦の女があてがわれたりした。


 戦い方も教えてもらえたり、必要になると判断されれば大蛇の入れ墨を入れられたりもした。入れ墨に関しては嫌だったが、それでも生きるためには必要な武器になったのだ。


 だが、組織を抜ければ全てを失う。日々の食料や武器も時には仲間さえも失うのだ。


 子供の身で、貧困国で生きるのはかなり難しい。生きるためには、組織の犬になるしかないのだ。そして、犬になるには忠実に仕事をするしかなかった。


 家族を失いながらも平和な日本で生きた、コクヨウ。


 家族の記憶など忘れるほどに過酷な状況で成長した、メノウ。


 コクヨウが、メノウを理解できるはずもないのだ。彼は人を殺さなければ自分が死ぬという状況におちいったこともなければ、役割がなくなれば処理されるという恐怖も知らない。


 唐突に、全てを奪われたことしかない。その悲劇性が強すぎて、コクヨウの価値観は完全に固定された。殺人は悪であり、どんな状況下であっても許されないものである。


 メノウの置かれた過酷な環境は、他者に説明された事はあるであろう。人を殺さなければ、生きてはいけない環境にいたのだと。


 だが、いくら説明されたところで、コクヨウはそれを実感できないのだ。自分の価値観でしかものが言えない。ものを判断できない。自分と掛け離れた生育環境の人間を理解できないし、受け入れることが出来ない。


 どんな状況で、どんな苛烈な環境で置かれようとも、コクヨウにとって他者を殺した人間は絶対悪なのだ。


 弟のメノウであっても、弟であるからこそ許してはいけない悪なのである。


「もう関わるのを辞めてください。僕らは分かりあえないし、分かりあえなくていいんだと思います」


 メノウは、兄との関係性をすでにあきらめていた。


 血は繋がっているが、コクヨウとは理解し合えない。ならば、離れることが幸せなのだと考えていたのである。


 幸いにしてコクヨウは成人していたし、メノウも周囲の人間が面倒を見てくれている。離れたところで問題はない。


 唯一の生き残りである弟を探し求めていたコクヨウとは違って、生きるのに一生懸命になっていたメノウは家族を求めていなかった。メノウは、コクヨウをあっさりと切り捨てられる。


 だが、コクヨウはそうもいかない。


 メノウが見つかったと報告を受けたときには嬉しかったし、失った弟との生活を夢見たりもしたのだ。けれども、戻ってきた弟は人殺しだった。


 それが、どうしてもコクヨウは許せない。自分たちから両親を奪ったものと同等になったメノウを消さなければ、コクヨウは前に進むことが出来ない。


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