第35話殺人と愛してくれた人たち
メノウは、初めて人を殺した時のことを覚えている。
場所はダンジョンの外で、メノウが育った国でも有数の治安の悪い場所だ。その頃のメノウは身長も低く、少女のようなあどけない顔をしていた。
組織内でも組織外でも欲情を伴った目で自分を見る人間は多かったので、気がつけばナイフを握りしめて歩くようになっていたのである。
幼い手には見合わないジャックナイフは、メノウの危機を何度も救ってくれたものだ。ナイフがなければ、性的な暴力にさらされて寿命を縮めていただろう。悪質な場所にいる人間が、よくない病気を持っているのは常識だ。
薬が十分に流通していない貧困地域で病気にかかるということは、死を意味するのである。メノウは、病気を移されて死んでいく女や子供を多く見てきた。だからこそ、自分を獲物としてみるような大人には常に警戒していたのだ。
幸いにして、メノウの肉体の成長は早かった。冒険者としてメノウを育てたい組織が、食べ物だけは用意してくれたのが理由だったのかもしれない。街角で飢えに苦しむ子供たちには悪いと思ったが、一刻も早く強くなるためにメノウは物を食べた。
他の子供たちよりもずっと早く大きくなったメノウは、銃を手にする年齢も早かった。
銃を与えてくれたのは、幼いメノウの世話をしていてくれていた女性である。メノウをさらってきた組織の末端で働く娼婦であり、彼女は養い子の美貌の受難を察して身の守り方を教えてくれた。
彼女も美しい容姿をしており、それ故に常に男性の恐怖に怯えていた少女時代があったのだ。メノウは、彼女に自分を襲う相手は全てを敵だと教わった。
情け容赦なく殺さないと自分が危ないのだと何度も言い聞かされ、空き地で見知らぬ男の似顔絵が貼りつけられた的を使って銃の練習をさせてもらった。
組織の仕事としてメノウが冒険者をやるようになってから、女とは別の場所で暮らすようになった。練習の的の似顔絵は彼女の父親だと最後に教わり、それ以来は女とは会っていない。
メノウが去ってすぐに、女は病気で死んだのである。
容姿が崩れていく病気だったので、彼女の最後が近いことは分かっていた。親代わりであった女の最後を見届けようと考えたこともあったが、女自身に拒否されてしまう。
メノウの記憶の中で、美しくありたいと言われてしまったのである。
美貌に振り回された人生であったが、最後に美貌のままで死にたいと言った彼女の意思をメノウは尊重した。
だから、死体も確認はしなかった。
おかげで、メノウの記憶の中には赤毛の美人が居座っている。
女から教わった銃の扱いは、思いのほか簡単であった。
狙いを定めるのは難しいかもしれないと思っていたが、それは単純なことで解決できた。自分が外さない距離に獲物が来るまで待っていればいいのだ。そこまで待って、腕や足を撃ち抜けば簡単に逃げることが出来る。
銃は、メノウの身をより良く守ってくれた。
安心をもたらすお守りが銃であり、メノウは眠るときでさえ銃を離すことはなくなっていた。だから、初めて人を殺した武器も銃であった。
相手は、自分を襲ってきた中年男だった。目が虚ろで涎を垂らしていたので、麻薬を使っていて前後不確定になっていたのだろう。
この手の人間は、もっとも厄介だ。痛覚が麻痺しており、ナイフも銃も生半可なものでは利かなくなる。
メノウも肩を撃ち抜いたが、中年男が止まる事はなかった。膝でも撃ち抜けば動きは止まるだろうが、そんな精密な射撃をメノウが出来るわけもない。だからこそ、メノウは確実に動きが止まる場所を撃ち抜くことにした。
メノウは、深呼吸をした。
銃の中の弾数は、三発。
チャンスは三回だが、中年男と自分の距離を考えれば二回で仕留めなければ追いつかれるだろう。そうなれば、最後の一発は狙いも付けられない当てずっぽうの射撃になるかもしれない。
ぎりぎりまで中年男性を引き寄せて、眉間を狙って一発を撃つ。
弾丸は中年男の頭をかすめたが、その程度では男は止まる事はなかった。逃げだすか撃つかの二択が頭に浮かび、すかさず撃つことを選択する。女
に言われたことを思い出せば、その瞬間は時間が止まったように感じられた。銃の構えは崩さず、そのままスライドさせて狙い定める。
すかさずに、もう一発を撃った。
引き金は、その時に限って軽く感じられた。その弾は男の眉間に命中して、中年男は反動で仰向きに倒れる。水たまりの上に男が倒れたせいもあって、ばちゃんという不愉快な水音が響いた。
動かなくなった中年男の衣類にも汚れた水が染み込んでいって、数日間は放って置かれたような汚らしい死体となり果てる。濃厚な赤い血と泥水が混ざり合って、何とも言えない色味が完成したのを見届けたのが最後の記憶だ。
——……その後の記憶は曖昧だ。
帰れていたのだから、無意識ながら歩いてはいたのだろう。
それからだいぶ経ってからメノウによくしてくれたサイロに、自分の最初の殺人のことを話したことをあった。
初めての殺人で呆然自失になるのはよくある事で、家にたどり着いただけでも偉いとサイロは褒めてくれた。
メノウは、サイロの護衛の役割を担っていた。
サイロは稀有な魔法使いで、イチズ同じく相手の魔力を回復させることが出来る。ダンジョン内でもダンジョン外でもサイロの身を守るのが、組織から命令されたメノウの仕事であった。サイロは組織の幹部であり、そんな人間の護衛を子供のメノウに任せるなど本来ならばありえないだろう。
だが、メノウには戦いの才能があった。
ダンジョンの内部は元より、外でも何度も奇襲からサイロを助けた。逆にサイロに助けられてしまったこともあったが、彼は「俺の護衛なのは練習みたいなもんだから、今のうちに沢山学んでおけよ」とメノウを許してくれる毎日であった。
組織の上層部は、サイロを使ってメノウに護衛や戦いの経験をもっと積ませたいと考えていたようである。それにサイロも賛成しており、そのせいもあって護衛と護衛対象というよりは師と弟子。あるいは、兄と弟のような不思議な関係がサイロとは築かれていった。
「メノウ。俺は、お前の最初の人殺しを知っている」
意外なことに、メノウの最初の殺人をサイロは知っていた。貧しい国では武器を手に入れた子供が、殺人に手を染めることは珍しくはない。毎日のように起こっている事件である。
だというのに、サイロは「少し有名になっていてな」と愛しい記憶を語るかのように前置きを置いてから話し始めた。
初めての殺人に呆然自失となるのは、初心者にはよくあることだ。だから、メノウには男を殺した後の記憶がない。
メノウは二度と生き返る事がないように、中年男の足で頭を踏み潰そうとしていたらしい。自分の足では大した破損が与えられないと分かると落ちていた石を使って、頭がぐしゃぐしゃになるまで殴っていたという。
その姿は、大勢に目撃された。
組織の人間にも見られ、知られることによってメノウの異様性は上層部の記憶に残ったと言う。その一人にはサイロも含まれていた。
うつろな表情で男に過剰に止めを刺す姿は、殺しに慣れた組織の人間にとっても異様に思えたとサイロは語る。
貧困国の悪の組織の中であっても、サイロは太陽のように明るく輝いていた人だった。日本の常識でとらえれば、善人とは言えない人間である。組織の命令があれば殺しもやったし、若い頃の軽犯罪は数えきれないほどだ。
メノウの目の前で部下を殴って、重傷を負わせたこともあった。女遊びだって派手で、サイトと共にいると自分を育てた女の後輩と顔を会わせることも多いほどだ。
呼ばれる女たちとメノウが知り合いだと分かれば、サイロはにやにやと楽しそうに笑っていた。優秀な部類に入るサイロの脳みそでは下世話な妄想でも繰り広げられていたのだろうが、残念ながら全員が元ご近所さんである。
子供をいるのは悪い環境であってもメノウがサイロを慕っていたのは、明るく朗らかなサイロの人柄のせいもあった。それが、暗いものしか知らないメノウにとって眩しいものに思えたのだ。
自分を憧れの目で見ていたメノウは、サイロの琴線にも触れたらしい。彼は、メノウに愛情を注いでくれた。
それは、メノウを育ててくれた女と同じぐらいの愛情であったであろう。
サイロは様々な知識をメノウに与えてくれたし、酒の味も少し教えてくれた。舐めるように飲んだブランデーは好きになれなかったが、顔をしかめるメノウに大爆笑していたサイロの顔はよく覚えている。
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