第33話ダンジョン出現


「……待て。もうやめろ。どうして……どうしてここまで出来るんだ」


 手酷くふったヒビナは、イチズにとっては憎い相手のはずである。そんな相手の口に躊躇いもなく指を突っ込んだイチズが、ヒビナには不思議でたまらなかった。


「目の前で異物を飲み込んだら、吐かせるに決まっているでしょう!本当に何考えているのよ。早く全部吐いて!!」


 イチズが指を突っ込むよりも早く、ヒビナの肉体からピンク色の光が発せられた。その光は、四方八方に光線のように真っ直ぐに飛ぶ。


 イチズたちが悲鳴をあげるよりも先に、足元が大きく歪む。身体は異様なほどに軽くなり、まるで重力から解き放たれてしまったかのような不安定さにイチズの身体は一瞬だけ硬直した。


 この感覚には覚えがあった。レイドバトル階層に落ちたときの感覚である。


「イチズさん!」


 スズの悲鳴が聞こえて、その方向を見る。スズは泣き出しそうな顔をしていたが、イチズには何もできない。


 それどころかイチズだって助けて欲しい状況だ。スズとイチズは、互いに互いの手に縋るようにがっしりと手を繋いだ。


「ちょっと二人とも何をやっているの!」


 ヨルだけが、何も感じていないらしい。


 いつの間にか消えてしまったヒビナと不審な行動をするイチズとスズの様子に、ヨルは酷く困惑していた。ヨルは、イチズたちが味わっている感覚が分からないらしい。


 この差は何なのだろうか。


 イチズは考えて、ヨルには魔力がないことに気がついた。スズも冒険者ではないが、兄は冒険者なので彼女が魔力を持っている可能性は高い。魔力は遺伝するのだ。


「ヨル、逃げて!魔力がある人間だけが、どうにかなっているみたいで……」


 ひゅ、とイチズは息を吐きだしていた。


 自分の身体に重石がついたかのように、勢いよく体が沈んでいく。沈んでいくからと言って、身体が下の教室の天井を突き抜けることはない。そして、そのスピードは落ちていくに近い。


 イチズは「やはり」と思った。


 これは、レイドボスがいた階層に落ちたときと同じ感覚である。よく見てみれば、周囲の無機質の壁もレイドボスに続く穴に似てきている。


「これは、ダンジョンなの……?どうして、こんなことでダンジョンが出現しているのよ!!」


 イチズは、ヨルの姿を必死に探すが彼女の姿だけがない。魔力のない者は落ちないらしく、彼女の元に場所にとどまっているようだ。そのことに、イチズはほっとした。現状は、全く改善されていないが。


「ほんとうに、どうなっているのよ……」


 泣き出しそうになるイチズに、スズは「落ち着いてください!」と叫んだ。彼女も涙ぐんでいたが、必死にイチズを励ます。


「落ち着いて何があったのか考えてみてください」


 頭の良いスズは、こんな状況であるからこそ冷静になって状況を整理しろという。その言葉に、イチズは大きく頷いた。深呼吸をして、何があったのかをイチズは真剣に考える。

 

 ヒビナがピンク色の結晶を飲み込んだと思ったら、彼から光が発せられた。そして、悲鳴を上げる間もなく、レイドボスの階層に行った時のようにスズと共に落ち続けている。


「ダメだ。何が起こっているのか全く分からない!!」


 イチズは、絶叫した。


 こんな話は聞いたことはないし、体験したこともない。


 ヒビナが飲み込んだピンク色の結晶が原因なのかもしれないが、あのようなアイテムをイチズは知らなかった。


 ダンジョン由来のアイテムだと分かるのは、こんな現象を起こすような物がダンジョンの外で作られるわけはないからだ。不思議なものは、九割の確率でダンジョンで生産されたアイテムだと思って過言ではない。


「まったく、なんなのよ。まるで、あのピンク色の結晶は——……ダンジョンを作るアイテムみたいじゃない!」


 イチズが叫ぶと同時に、彼女たちの足の裏で地面の感触を感じた。確実に落ちていたというのに、落下した衝撃はまるで感じない。


 ふわり、と降り立ったという感覚である。怪我などはないが、落下していた方の精神はたまったものではない。


 スズは、久々に感じた地面の感触に安心したせいなのか座り込んでしまう。腰が抜けているらしく、一歩も動けない状態になっていた。イチズだって、初体験ならば同じような状態になっていただろう。


 それを考えるとレイドバトル階層に始めて落ちた時にメノウたちが同席していたのは、イチズにとってはありがたい偶然だった。


 メノウたちダンジョン警察でなければ、あそこまで手厚くイチズの面倒は見てくれなかったであろう。


「ここ、やっぱりレイドボス階層に似ている。……というか、そのもの」


 イチズが周囲を見渡せば、巨大なガマガエルと戦ったレイドボス階層にそっくりだった。ただし、この場にいるのはイチズとスズだけである。その他の冒険者はおらず、広々とした空間に不安と恐怖を感じた。


 ガマガエルと戦った時には三十人の冒険者が集まっており、それでもボスとの戦いには苦戦した。ここでレイドボスが現れたら、イチズたちは一溜りもないであろう。


「……ここがレイドバトル階層でなければいいんだけど」


 何が起こるのか分からないのがダンジョンであり、そのなかで一番危険なのがレイドボス階層である。油断はならない。

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