第32話男気の少女


 突然のヒビナの登場に、最初に落ち着いた行動に出たのはヨルであった。


 突き飛ばされた時のことを忘れていない彼女は、イチズの腕を引いてヒビナから距離を取らせる。さらに、ヨルはスズを背中に隠した。


 ヒビナと接点が少ないのはヨルであり、怨みを直接勝っていないのも自分だけである。だからこそ、ヒビナと対面するのは自分が良いとヨルは判断したのだ。


「悪いけど、今日は用事があるの。そこを退いてちょうだい。退かないと大声を出す」


 放課後で人が少なくなっているが、無人になったわけではない。女子の大声が響き渡れば、駆けつけてくる人間はいるだろう。それが教師であれば、ヒビナの立場はもっと面倒なものになるはずだ。


「何もやっていないのに人を呼ぶのかよ」


 ヒビナは顔を嫌そうに歪める。


「なに白々しいことを言っているのかな?」


 ヒビナが自分たちにやったことを思い出して、ヨルは唾を吐きたくなった。


 女子を裏路地に連れ込もうとした時点で、ヒビナはヨルたちの恐怖を味あわせているのだ。しかも、ヨルを地面に転倒させたではないか。


 ヒビナを恐怖するのは当然だし、女子しかいないような空間に入られることすら恐ろしいとヨルは感じる。逃げないのは、友人たちがいるからだ。


 彼女たちは、ヨルと違ってヒビナに怨みを買っている。だからこそ、ヨルが自分が防波堤にならなければならないと考えたのだ。


「振られた男は、何をするかも分からないからね。そこを退いてくれる?」


 ヒビナは、スズの方を見た。


 何度も振られ、最後には「死んでくれ」と言われるまで嫌われた相手だ。普通だったらあきらめるだろうが、ヒビナの執念深さは異様の一言である。


 ヨルはヒビナを睨みつけるが、小柄な女子の無言抵抗など男子のヒビナにはないものと同じだろう。


 ヒビナは、にたりと笑う。


 その笑みに、ヨルの背中に悪寒が走る。ヒビナが何を考えているのかは分からないが、彼からはおぞましい気配がした。このような恐怖は、下校途中に変質者にあったとき以来だ。


 恐怖を感じたからこそ、より一層のことスズもイチズのことを守らなければとヨルは思う。一見すれば冷淡なイメージすら抱かれやすいヨルだが、義理堅い性格をしている。友人が困っても見捨てないし、進んで同じ苦難に飛び込んでいく。


 そして、鬼気迫る状況になれば盾になってなる覚悟すらも持ち合わせていた。か弱い少女だが、男気ある性格なのである。


 その心意気をヒビナは押しのけようとするが、ヨルも引かない。踏ん張って、男の暴力的な力に耐えた。


「教室から出て行って」


 毅然としたヨルの態度に、ヒビナは舌打ちする。


「お前のそういう態度って、男子から嫌われているって知っているか?」


 ヨルは、ヒビナの言葉を鼻で笑った。


 男子の人気など関係がない。そもそも恋愛事になんて興味がない。相手側がどうしてもと言って三百日ほど自分を口説くならば考えなくもないぐらいにしか、ヨルは恋愛に興味がなかった。


「今ここでは関係ない。出て行って」


 ヒビナは、ヨルを退けることをあきらめた。


 代わりに、ヨルの背中に隠れているスズに声をかけた。


「スズ、これが俺の想いだ。どうか、見ていてくれ。そして、イチズ。こんなことになったのは、お前のせいだ。全部、お前のせいだからな」


 名前を出されたイチズの身体が、びくりと震えた。


 お前のせいだ、と言われた低い声が心底恐ろしかったのだ。


 ヒビナがポケットから取り出したのは、ピンク色に輝く結晶だった。


 爪ほどの大きさしかないが、安物のプラスチックではない輝きを持っている。だからといって、宝石のような煌びやかさはない。強いて言えば、ガラスのような透明感があった。


 掌に転がった数個の結晶。


 目が奪われてしまうほど美しい結晶は、ごくんとヒビナに全て飲み込まれた。薬ともアメとも思えないものを飲み込んだと言う事実に、イチズたちは驚いて言葉もなかった。とてもではないが、正気だとは思えない。


「ちょっと、大丈夫なの!」


 イチズは、ヒビナに声をかけた。


 ピンク色の結晶を飲み込んだヒビナは、胸をかきむしって苦しんでいる。見ていられなくなったイチズは、ヨルが止めるのを聞かずにヒビナに駆け寄った。結晶を吐かせようとして、ヒビナの背中を力強く叩く。


「なにをやっているのよ。こんなことをしてもスズさんは振り向いてくれないわよ。それどころか呆れられるって!」


 ばんばんと背中を叩き、結晶を吐かせようとするもヒビナは結晶を吐き出さない。イチズは覚悟を決めて、ヒビナの口に指を突っ込んだ。


 ぐぇっ、とヒビナは結晶を吐き出した。


 しかし、飲み込んだ結晶を全て吐き出したわけではない。ヒビナは、ためらいもなくヒビナの口に再び指を突っ込もうとした。


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