第27話惚れさせられた理由


 メノウに叩きのめされたヒビナは、コンクリートの上でぼんやりとしていた。ビルとビルとの間に見える空は、憎たらしいほどに青いばかりだ。


 ヒビナは、ダンジョンの外で喧嘩などしたことがない。ダンジョン内でだって、対人戦はやったことがなかった。戦うのは、モンスターだけである。


 人と戦うことは禁じられており、違反が明らかになったら冒険者の資格を取り上げられるだけの騒ぎでは収まらない。傷害事件として裁きを受けることになる。


 以上の理由で対人の経験が全くなくとも、自分が負けるとはヒビナは思ってもいなかった。


 そもそもヒビナは、イチズとヨルを狙ったのだ。女子二人とはいえ、逃げられることはあっても負けることはないと思った。


 しかし、この状況はなんだろうか。


 突如として現れた痩身の男に、ヒビナはあっとう言う間にのされてしまった。殺気すら感じなかったということは、そんなものはいらないぐらいにヒビナは格下だったということである。

 

 帽子やサングラスで顔を隠していたから、相手の素性は分からない。だが、顔を隠さなければならない相手ならば思い当たることがあった。


「あれは……泉メノウなのか?」


 イチズのチャンネルが劇的に伸びた原因である人物だと考えれば、全てが納得いく。イチズは、どうやったのかは知らないがメノウを手なずけて味方にしたらしい。そして、自分を投げ飛ばさせたのだ。


「俺がフラれたって言うのに、お前は新しい男を掴まえたっていうのかよ。くそっ……」


 メノウは倒れたままの姿で、コンクリートを叩いた。


 自分はスズに去られ、イチズは強い冒険者を手に入れた。メノウは、今話題の人物というだけではない。ダンジョン警察という肩書があり、それだけで配信のネタになる。


 しかも、はからずとも過去の配信によってメノウの人となりは多くの人に知られた。日本語のたどたどしさと可愛らしい顔立ちは、天然キャラとしてチャンネルの顔になれるほどの存在感を持っている。


 ヒビナは、笑ってしまった。


 イチズとメノウの関係性は分からないが、彼女は非常に有益な人間との縁を手に入れたのだ。彼を上手く使えば、これまで以上にチャンネルを盛り立てることだって可能だろう。


「君が、俺の妹に告白し続けているヒビナ君だな」


 倒れているヒビナの顔を覗き込んだのは、知らない顔の男だった。


 務め人らしく、スーツ姿の男である。年齢は三十歳ぐらいあるが、この年代の知り合いはヒビナにいない。


 だが、どことなく見たことがあるような気がしないでもない。


「ああ、そうか……。妹って言っていたんだもんな」


 スズには、兄がいると聞いていた。


 名前は知らないが、スズの話の節々に出てきた存在である。それと同時に、超えようとして何年も足掻き続けていた存在だ。名前は、ウミだと聞いたことがある。


「俺の妹のスズにフラれたんだろう。それは……仕方がないことだ。他人を貶める行動を妹は好まないからな。それを失念するほどに、君は妹を欲しがった」


 ウミは、そのようなことをヒビナに囁いた。


 スズのために、ヒビナは全てを捨て売ったと言っていい。


 彼女が示した条件をクリアするために、冒険者となって危ない取引に手を出した。好きでもないイチズだって騙した。なのに、スズは一方的に別れを告げてきたのである。


 この怒りと無念さなんて、自分を簡単にフッたスズには分からないであろう。


「君が全てをなくした理由……。それは、新たな友人がスズに真実を教えたからだろう。君の恨みは、決して間違いではない。むしろ、正当なものだ」


 ヒビナは、目を見開く。


 ウミは、初対面であるはずのヒビナに向かって微笑んだ。悲しそうな笑い顔であった。ヒビナを憐れんでいるわけではない。


 彼は、ここにはいない誰かを憐れんでいる。


「妹への恋に、君が打ち込んできた全てを投げ売った。その恋が、どうして膨れ上がったのかを考えたことはなかったか?恋する相手の容姿や行動が、あまりに自分の求める理想だったからだろう」


 手が届かない理想が、手に入るかもしれない。それに、そそられたのであろう。


 男は、そのように呟く。


「妹の優れた容姿は、夢見がちな少年を魅了する。そういうふうに自分を磨くように、俺が仕向けた」


 美しい黒髪に白い肌。努力を厭わない精神は、高潔な女神を思わせたであろう。


 そんな完璧な彼女を苦手に思う人間は、多いはずだ。けれども、同時に「彼女を手に入れたい」と欲する人間も出現する。


「俺が指導して、囁いた行動は、誰かを誘惑する。魚が食らいついたら、その魚に合わせて釣り上げためにタイミングをあわせる」


 ウミの言葉から、ヒビナは全ての裏側を知った。


 兄は、妹を男を釣るための餌になるように育てたのだ。その餌に食らいついたのが、ヒビナだったというわけである。何のために、こんなことをしたというのだろうか。


 こんなことをしたところで、スズにもウミにも利益はない。


 ヒビナが、全てを失っただけだ。


「……俺が、スズに溺れたのはお前が裏にいたからって言うのか?」


 そんなはずがない。


 自分の心が生み出した恋は、自分だけの物のはずだ。誰かに操られるほどのものではない。


「スズから、君のことは聞いていた。行動や会話の一部でも知っていれば、相手のことは理解できる。営業の基本は、事前の情報収集だ。そして、欲しいものを提示する。こんな簡単なことで、人の欲望は簡単に操れる。そして、恋という愛欲は究極の欲望だ」


 人の欲望は、簡単に把握できる。


 そして、誘導できる。


 男は、そのように語る。


「俺の妹は、俺を心酔している。言葉一つで操れた。スズの言葉の端々に、兄である俺の影があっただろう」


 そもそも付き合う条件からして、兄の月給を超えることだった。無意識の隷属ともいうのだろうか。


 スズは心酔しているが故に、兄の無意識の奴隷だった。


「お前は……」


 スズを操って、自分を恋心で堕落させた黒幕。その黒幕の正体は−−スズの兄。


「君は、スズを手に入れるためならばなんでもできるだろう?俺は、妹のために全てを投げ売った君を評価もしている。最後に下手を打ったが、その想いは誰よりも大きい」


 ウミは、目を見開いた。


 彼の中で、全ての疑問が繋がった。ウミは、スズのために全てを捧げられる相手を探したかったのだ。


 ——これまでのことは、その試練であったのだ。自分は、ウミにスズに相応しいと認められたである。


 それは、ヒビナの夢想に近いものだった。だが、それにヒビナは気がつくことはなかった。


「君の想いは、誰よりも強い。だからこそ、これをあげよう。これは、君の本当の気持ちをスズに伝えるためのアイテムだ」


 ウミが取り出したのは、ピンク色に輝く小さな欠片である。


「これは、ダンジョンコアだ。モンスターがドロップしたアイテムだが、ダンジョン外で飲んでも効果が発動する特殊なアイテムなんだ」


 ヒビナは立ち上がって、ウミのからダンジョンコアを受け取る。一つだけだと思ったダンジョンコアだったが、四個もヒビナに授けられた。


「スズを手に入れようとして、様々な手段をもちいた。それは努力だ。そして、その努力の結果が踏み荒らされたのだから……誰かが責任を取るべきだろう」


 メノウは、言葉を失う。


 しかし、次の瞬間には愉悦が込み上げてきた。


 責任を取る人間は決まっているからである。スズがヒビナに愛想をつかしたのは、イチズが原因である。ならば、イチズが責任を取るべきだ。


「君は、このダンジョンコアで妹の君の心を見せつければいい。そして、責任を取らせる相手に必要な処罰を。方法は、ダンジョンコアを飲み込むだけだ」


 ウミは、ヒビナにダンジョンコアを握らせる。


「……全部を飲むんだ。ダンジョンコアは、複数を全て飲み込まないと効果を発揮しない。逆に言えば、数が多ければ多いほどに想いを告げる力は強くなる」


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