第26話ダンジョン警察たちの日常


「夜の新体操は、人に言ったら駄目な新体操だからな!マジで止めて!!今度こそフブキの野郎に殺され……」


 ごきっと手首を鳴らす音がした。


 音をした方を見れば、フブキが穏やかに笑っている。だが、その手に握られているのはトンファーだ。そして、彼からはモンスターを相手にしているような殺気を感じた。


 イチズは思わず後ずさり、殺気に気がつかないヨルの袖を引っ張る。これは、修羅場が発生する予兆だ。冒険者であるイチズは、それを察して自分と親友を安全な位置に避難させたのだ。


「この間のエロメガネの件といい……。ユウダチ、お前には懲りるということがないんだなまぁ、いい。今から覚えてもらうからな。何度でも教えるから、嫌でも覚えろ」


 その場の空気が、凍てつくように冷えた。


 フブキは知らない大人相手には丁寧な口調だが、気安い関係の人間には基本的にタメ口である。メノウにかける言葉でイチズは何となく察していたが、その予想が正しければ見知らぬ男とフブキは気安い関係ということになる。


 そうでもなければ、夜の新体操だなんてメノウに吹き込まないであろう。メノウの無邪気さを考えれば、フブキに伝わることは分かっていたというだとうに。この場の状況を見る限り、見知らぬ男はよっぽど命知らずなのだろう。


 こんなふうに殺気を醸し出すフブキとは、イチズだって正面から戦いたくはない。そんな緊張感が漂う場で、メノウの声だけが明るかった。


「小形さんが、新体操は楽しいって言うから勉強したんですよ」


 小形という名前に、イチズは聞き覚えがあった。フブキのことを『エロ眼鏡』と呼ぶようにとメノウに指示を出したという人だ。


 この人のことだったのか、とイチズは小形ユウダチという男を見た。


 茶髪にピアスという公務員らしからぬ軽薄そうな格好からいって、ダンジョン警察の協力者だろう。ユウダチの姿は、ヤンキー崩れに見えても国家公務員には見えない。


「ユウダチ、その不埒な脳みそを叩き直してやる!」


 フブキはトンファーを振り回して、ユウダチに襲いかかる。そのトンファーを紙一重で避けるユウダチは、冒険者としてかなりの実力者なのだろう。


 イチズから見ても、フブキの動きに無駄はない。


 フブキは最短で最良の動きで、ユウダチに向かってトンファーを振るう。初動の動きから最速で動けるということは、それだけで動きを見破られ難いということだ。


 レイドボスとの戦いでは苦戦を強いられていたが、フブキの得意は接近戦なのだろう。むしろ、それに特化していると言っていい。遠距離戦では手間取っていたはずである。


「そうか。メノウが遠距離もこなせるから、近距離特化で良いんだ……」


 イチズは、フブキとメノウという二人のパーティの役割分担に感心する。


 パーティを組むにあたって、味方の立ち位置を決めるのは重要だ。だからこそ、特技が被らないようにメンバーを選別する。


 フブキが近距離を特化しているのならば、メノウは遠距離と中距離に補う。二人は、理想的なパーティと言える。


 イチズは、そんなことを考えていた。年上の男性たちが、くだらないことが原因で私闘を繰り広げているという馬鹿げた現実から逃避していたのだ。


 フブキの攻撃を避けたユウダチは、足を滑らせて後ろ向きに倒れていた。ユウダチの腹に足を載せたフブキは、そこをぐりぐりと踏みつけている。


「痛いって!それは、結構痛いんだって!!」


 ユウダチの悲鳴が、周囲に響き渡る。


 その光景を見ていた初老の女性は、ぎゃははと腹を抱えて笑っていた。


 ユウダチに気を取られていたので、イチズたちは彼女がいることに気がつかなかった。格好から察するに、彼女も冒険者なのであろう。冒険者としては、珍しい年代である。


 いくら魔力で身体能力が強化されるといっても、老化という現象には抗えない。大抵の冒険者は、長くとも五十代前半で引退するのが普通だ。男性よりも体力面で劣ってしまう女性ならば、もっと早く引退するかもしれない。


 なお、彼女はユウダチの姿をスマホで連写していた。後で、彼をからかうつもりなのだろう。初老の女性の人となりは分からなかったが、ノリが良い性格のようだ。


「笑ってないで助けてくれよ!今の味方は、姐さんだけなんだよ!!」


 姐さんは呼ばれた初老の女性は、まだ笑い続けていた。姐さんというあだ名で呼ばれるほどにユウダチとは親しい間柄だろうに、彼女は笑っているばかりで助ける様子はない。


「あー、良いもの見た。でも、ボスの部屋に置いてけぼりにした件は忘れないから」


 初老の女性は、メノウとの距離を詰める。


 ダンジョン外であるので、体力の向上という魔力の恩恵はない。しかし、猫のように素早い動きは老いを感じさせないものだった。


「カスミさん……。あっ、ごめんを言います!ボスでの部屋のことを忘れていました!!」


 カスミと呼ばれた初老の女性の蹴りが、メノウの頬をかすめる。


 メノウが左に避ければ、カスミの左の拳が彼に向かって飛んできた。メノウは片腕で、それ防ぐが表情が微妙に歪む。


「ほらほら、傷が塞がってないと痛いでしょ。痛いと本能的に動きが遅れる。ついでに、ちゃんと武道を学んでないから防御がなってない。動きに無駄が多い!やっぱり、私たちと一緒に武者修行をやろう!!」


 カスミの言葉に、ユウダチが新たに悲鳴を上げる。彼は、未だにフブキに踏まれたままであった。


「私たちって、俺もなんだよな。俺もなんだな!メノウ、絶対に返事をするなよ。スポーツドリンクを持たされて、マラソンをすることになるぞ!!うがぁぁ。もう、止めて。止めてぇ!!」


 ユウダチの悲鳴が響き渡り、それをバックミュージックにしてメノウとカスミの拳が舞い踊る。とどのつまり、現場は混乱していた。


「ダンジョン警察って、楽しそうな一団なのかな。……あっ、これは皮肉ね」


 ヨルの言葉に、イチズの顔は引きつっていた。


 考えてみれば、ダンジョン警察は普段から死と隣り合わせの仕事をしているのだ。血の気が多い人間たちの集まりなのだろう。


 ……恐らくは。


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