第17話見下す幸福


「……あのさ、病院から逃げられると迷惑なんだけど。そうじゃなくとも泉コクヨウに狙われているって自覚があるのかよ。あいつに殺されかけたのに」


 短髪の男は、第五階層のボスの部屋の中でため息をついた。


 ボスを倒した人間が退室しない限りは、ダンジョンのボスは復活しない。それでも、底冷えしそうなボスの部屋は短髪の男には不愉快だった。いっそのことボスが復活してくれたら運動で体を温められるのにと思う。


「俺と姐さんが、どれだけ苦労して第五階層まで急いだと思っているんだよ。ダンジョン攻略の自己最短タイムを更新したぞ」


 泉メノウは、泉コクヨウに何度も殺されかけている。


 その犯行は寸前のところで止められているが、今でも気が抜けない状況だ。いいや、現在は今まで以上に警戒が必要な状態かもしれない。


 なにせ、民間の動画にコクヨウの姿が映り込んでいたのだ。メノウの側にコクヨウがいたと言う証拠であり、今まで姿をくらませていた彼の唯一の手掛かりでもある。


「ユウダチさん……。エロメガネは、良いあだ名ではないみたいでしたね。日本語が良い気分ではない僕に、変なことを学習させないでください」


 ボスの部屋では、メノウがちょこんと座っていた。疲れたり、怪我をしているわけではない。


 髪を手のように操って、猿に近い姿をしたボスの体を引き千切っているのだ。それは、幼子が残酷な遊びをしているような姿でもあった。


 小形ユウダチは、三十歳をすでに越した大人である。職場の規則の緩さを利用して、明るく染めた髪色と銀色のリングピアスのせいでチンピラだと勘違いされる事も多い。


 しかし、他人との付き合い方については経験豊富だ。人並みに子供と触れ合った経験だってある。


 だからこそ、このメノウという子供の異様さが分かる。というか、理解ができない。


「今日だけで、ダンジョンを六つも周りました。ボスだって、ちゃんとお陀仏ですよ」


 メノウは、とても嬉しそうだった。まるで、先日の失態を挽回できたと言いたげだ。


「この間の魔力切れに関してを気にしてるのか?話は聞いてたけど、あれは仕方がないだろ。むしろ、死亡者を出さなかっただけ上出来だ」


 ガマガエルとのレイドバトルは話は、ユウダチも聞いていた。


 メノウがいなければ被害は甚大なものになっていたであろうし、ただでさえ魔力を大量消費する蛇を多数の操ったのだ。魔力が切れそうになったのはしょうがない。


 その場に居合わせた民間人に助けてもらったのだから良いだろう、とユウダチは思っている。しかし、メノウとしては納得いかないらしい。平和ボケした日本の女子学生に守られたのが不満なのだろうか。


 もっとも、メノウの入院理由は彼女に刺されたせいだが。


 メノウは、遊んでいたボスの体を放りだす。普通の人間ならば、ダンジョン巡りだなんて恐ろしいことはやらない。ボス戦までこなせばなおのことだ。


 そもそもの話、普通の人間ならば魔力が保たないであろう。


 メノウは、若干十二歳の少年である。それでいて、ダンジョン警察の誰よりも魔力が高い。


 そして、誰よりも実戦経験が多かった。


「とにかく、療養中なのにダンジョンに潜るな!それと人に助けられたことを不満に思ってどうするんだ。冒険者なんて、基本は助け合いだ。レイドバトルは、特にな」


 ユウダチは年上として、しっかりと注意した。


 人並み外れた強さを持っているメノウは、他人に懐かない。上辺を繕うだけの社会性は持っているが、心を開かせるには忍耐が必要だ。


 後見人になっているフブキは、メノウと共同生活を送ることで信頼を得た。ユウダチもマメに話しかけて友好関係を築こうとしている。


 ただし、甘やかすつもりはない。頼りになる兄貴分を目指しているからこそ、ユウダチはメノウに意見する。


「心配していただけなくとも、今日は帰ります。今回はレイドバトルはありませんでした。日本のダンジョンは、元気がありませんね」


 ダンジョンに元気も何もないだろうに、とユウダチは思う。おそらくは間違った言葉を使っているのだろうが、ユウダチでは正解を推測できない。


「病院を抜け出したら、フブキさんが心配するとか怒るとか考えないのか?お前って、日本語以外も喋れるんだろ。そりゃ、日本語はまだ変だけどさ。頭は良いだろう」


 高校時代のユウダチは、人生においてほとんど使わない英語で四苦八苦した。あの時よりも英単語を忘れている自分とは、メノウは頭の作りからして違うはずだ。


 それぐらいの頭があるならば、ユウダチだって別の仕事についていただろう。今の仕事に不満はないが、高学歴がそろう国家公務員たちのサポーターというのは劣等感に苛まれることもある。


 頭が良いということは選べる道が多いということだ。大人になってから、ユウダチはそれを実感した。


 その時がくれば、メノウならばいくらでも道が選べるだろう。それぐらいにメノウは地頭がいいし、機転も効く。なのに、どうしてなのか人に心配をかけるような行動をすることがある。


 ユウダチは、少しばかり考える。もしかしたら、これが反抗期というものなのだろうか。


 ユウダチの反抗期は、高校生のときである。あのときは部活のレギュラーから外れ、不貞腐れていた。


 部活をサボるようになり、その内に学校に行くことすら億劫になる。自分に注意をする相手に噛みつくようになってからは、ユウダチの周囲から人が離れていった。


 唯一、近づいてきたのがユウダチの恩師である。彼女の元で教育を受け……もといこき使われた結果が今のユウダチである。


 それなりに更生したと言えるだろう。学校に通うようになったし、恩師のおかげで体力もついて冒険者になることも出来た。感謝はあまりしていない。


「人の気持ちなら分かっていますよ。もらうと嬉しい。増えると嬉しい。盗られると悲しい。惨めなものを見たら幸福になる」


 メノウの言葉に、ユウダチは眉を寄せる。


 メノウの選んだ言葉たちは、全てが薄暗い。そして、惨めなものを見たら幸福になるとはどういうことだろうか。ユウダチは、惨めなものを見ると浮かない気分になる。


 金メッキが剥がれたアクセサリー。


 塗装の禿げた玩具。


 踏みつけられた菓子箱。


 やはり、惨めなものなど良いイメージが全くない。惨めなものを見ていれば、自分自身もそうなるような気がしてならない。


「お前は、幸福の言葉の意味を分かっているのか?」


 言葉の意味など分かってなどないだろう。ユウダチは、そう思った。言葉の意味が分かっていたとしたら、惨めなものを見て幸福になるだなんて言わない。


 ユウダチを嘲笑うように、メノウは次々と言葉を紡ぐ。それは、様々な言葉の幸福であった。


「Happiness(幸福)、счастье(幸福)、快樂的(幸福)。まだ必要ですか?」


 気がつけば、メノウの顔がユウダチの眼の前にあった。自信たっぷりな表情が、ユウダチには幼く見える。反抗期だった自分とも違う表情であり、彼の本意をユウダチでは読み取れない。


「なら、惨めの意味を分かってないんだろ。そうだよな。難しい言葉だもんな」


 ユウダチは、メノウの頬を引っ張る。


 頬の餅のような柔らかさは、若さ故の肌のきめ細やかさのせいだ。自分を老い始めたとはユウダチは思わないが、こんな些細なことで若さを実感するとメノウとの年の差を感じる。


「あれ、十二歳って義務教育中なんじゃ……」


 メノウは、見た目よりもかなり幼い。身長だけが伸びてしまった子供という見本帳なような人間なのだ。本来ならば義務教育中のはずだが、メノウが学校に通っている気配など今までなかった。


 メノウは、そっぽを向いた。


 今は怪我をしているが、治ったとしても学校に行く気はないらしい。そこら辺は、反抗期のユウダチ似ている。変なところで頑なで、可愛げがまったくない。



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