第12話蛇とカエル
「たぶん、出来ます。ただし、長時間は嫌ですよ。指示をお願いします」
メノウの言葉に、フブキはにやりと笑った。
実に楽しそうな笑みであり、メノウの腕のなかにいるイチズは震えた。鋭い眼差しのフブキが口元だけで笑えば、それは悪人のような面持ちになる。
「頼んでおいた側が尋ねることではないが、レベルの差はどうする気だ?」
そう問いかけられたメノウは、フブキの眼鏡を指さした。その顔は、どこか得意げだ。
「眼鏡に映るものなんて、所詮は数字ですよ。汚物さんは、いつも言っています。『エロメガネには、その場の勢いと気合が分からない』のだと」
イチズにはメノウの言葉の意味が分からなかったが、フブキは怒気だけは感じた。今はレイドバトル中だから顔には出してないが、フブキの笑顔の向こう側に般若をイチズは見たのだ。
「小形が、そんなことを言っていたのか……。確認するが『エロメガネ』だったんだな?」
それは、今必要な質問ではない。
フブキの問いかけに、メノウは元気よく返事を返す。
「はい、間違いないです。汚物さんは、二人っきりの時にはフブキさんのことは『エロメガネ』と呼びなさいと言っていました」
小形という人間は、日本語が不自由なメノウに好き勝手を教えていたらしい。思いもよらないところで、本人に知られていたが。
「でも、フブキさんとはいっぱい仲良くなりましたから、小形さんがいない時だって『エロメガネ』さんとお呼びしても良いですよね。これが、巷に蔓延るあだ名なんですよね」」
『巷に蔓延る』ではなくて、『巷で言うところ』なのだろう。そして、『エロメガネ』と好意的なあだ名だとメノウは思い込んでいる。
「小形の件は後にするとして……。ガマガエルの卵の攻撃が終わった後に、ガマガエルを水から引き揚げろ。方法は任せる」
メノウはイチズを抱き上げながら、再び壁を伝って宙を舞う。
「もう、私が邪魔なら降ろしていいから!」
イチズは、メノウに向かって叫んだ。
空中ブランコのように飛んでいることに恐怖を感じることは間違いない。けれども、それ以上に戦力にもならないのに守られていることが心苦しかった。
戦っている人々が、魔力切れなどの理由で倒れている。なのに、戦えていない自分は守られているだけだ。
「忙しいから、駄目。それに僕の攻撃は手とか使いませんから、邪魔にはなりません」
メノウは、攻撃に自由自在の動く髪を使っている。これならば、イチズを抱き抱えても邪魔ではならないであろう。
「それに皆殺しにされたら、天国に集団登校しますか気にしないでください」
イチズの顔は引きつった。
よりにもよって、集団登校はないだろう。天国からは帰ってこられないというのに。
「メノウ、やれ!大口を開けさせろ!!」
フブキの合図と共に、メノウはガマガエルの後ろに着地した。巨大な卵の攻撃は止んで、ガマガエルが動き出そうとしている。
「あんまり重すぎませんように……」
メノウの背中から、三匹の巨大なヘビの影が出現する。それは、さながら蛹から蝶が羽化するような光景であった。蛇たちが身体を伸ばす光景が、蝶が初めて翅を伸ばす様に似ていたのである。
イチズは、その光景を誰よりも間近で見ていた。そのせいなのだろうか。メノウの魂が三匹の蛇に変化したように思えて、イチズは少し怖くなった。
蛇は、ガマガエルの身体に絡みつく。それを見た冒険者たちは、驚きの声をあげた。
巨大なガマガエルと蛇が三匹も現れたこともあって、怪獣映画を彷彿させる光景だったのだ。
「あの蛇の大きさだとレイドボスのカエルは飲み込めないぞ!」
ウミの言葉はもっともだ。
ガマガエルの巨体に比べて、蛇は細身だ。現実の蛇よりも巨大とは言え、大口を開けたとしてもガマガエルは飲み込めないだろう。
蛇たちは、ガマガエルの身体に絡みつく。舌出すために開いた口から、にゅるりと内部に一匹の蛇が潜りこんだ。口を閉じる事が出来なくなったガマガエルの身体を拘束した残りの蛇たちは、ゆっくりと身体を持ち上げる。
普通の蛇ならば、こんな芸当は出来ない。一本の縄のような形状の蛇は、相手を絞め殺すために否が応でも地面に転がることになる。
しかし、冒険者の前にいるのは普通の蛇ではない。メノウの意志の元で協力関係を築くことが出来る蛇たちだ。互いが互いの負担を分散させて、無理な体勢を何とか保っていた。
それでも、所詮は蛇である。
ガマガエルを水面から押し上げるだなんて無料は、長時間は出来ない。さらには、メノウの魔力の残量の問題もあった。
「Shit.most overweight!(クソ、太り過ぎてやがる!)」
メノウが早口だったため、イチズには英語が理解出来なかった。とりあえず、メノウが悪態をついていることは分かる。彼も必死なのだ。
「三匹も出現させれば、メノウの蛇は長くは持たないぞ!口のなかに攻撃を叩き込め」
フブキが号令をかけるが、冒険者たちの反応は薄かった。ガマガエルとの距離が離れている上に、遠距離を攻撃できる冒険者の魔力が切れ始めていたのである。
近距離攻撃を得意としている冒険者たちは魔力に余裕があるが、彼らの攻撃範囲ではレイドボスにまで届かない。
「魔法使いタイプの冒険者を温存させるべきだったか……。くそ、見誤った」
ウミが、悔しそうに呟く
イチズは、メノウの腕のなかで自撮り棒を握りしめる。メノウの荒い息遣いが聞こえており、彼の魔力が尽きるのも時間の問題であろう。そうなれば、ガマガエルを水から離すような荒業はできなくなる。
「Screw you! If you give up die(うるせぇ!あきらめるなら、死ね)」
メノウの蛇の身体が、心なしか薄くなったような気がする。魔力の限界が見えてきたことで、メノウの表情は厳しいものになっていた。
「こうなったら、もうどうでもいい!死んじゃっても文句は言わないで!」
イチズは護身用のナイフを取り出して、それをメノウの胸に刺した。浅く指したつもりだが、メノウの血は衣服を赤く染めていく。
突然の強行に、メノウはイチズを放り投げようとした。その前にイチズはナイフを通じて、メノウの体内に魔力を流し込む。
「こんなんでも、私は回復の魔法使いなの!ただし、刃物を通してでしか魔力を融通する事が出来ない!!メノウ、ごめん!」
死ぬか生きるかの選択を迫られていなければ、こんなことはイチズだってしたくはなかった。
いくら魔力を分け与えても、ナイフを突き立てる際の痛みが軽減されるようなことはない。なにより、イチズが与えられるのは彼女自身の魔力だけ。
いわば魔力の輸血なのである。怪我などは治すことは出来ない。
あまりにも使いがっての悪い回復の魔法故に、イチズは自分の能力を軽々しくは公言していない。親と役所関係だけには知らせているが、それだって報告の義務がなければ隠したかった。
イチズだって、他人を進んで傷つけたくはない。なにより、刃物を突き立てるだなんてリスクが大きすぎるのだ。軽々しい気持ちで頼りにされたら、イチズだってたまらない。
「凄い……魔力が伝わってくる。あったかい」
メノウは、痛みを訴えない。
胸では血が滲んでいるのに、それを忘れてしまったかのようだ。痛みがあるはずなのに、とイチズは啞然とした。
メノウは、痛みに慣れているのかもしれない。だが、その理由は今はどうでもいい。
「ギリギリまで魔力を譲ってあげる!だから、頑張って!!」
イチズは、溢れんばかりの魔力をメノウに注ぎ込んだ。魔力を大量に消費したことによって、イチズは重だるさを感じる。インフルエンザをこじらせたときのような感覚だ。
メノウの身体から、もう一匹の蛇が出現する。その蛇は、ガマガエルの身体を支える一柱となった。
フブキは、ガマガエルの口に入りこんでいた蛇の身体に飛び乗った。それは、ガマガエルの口へと続く橋と化している。
「私に続け!あのガマガエルの口の中から、腸を引きずりだしてやれ!!」
フブキは叫びながら、動くことのできる冒険者たちに喝を入れた。遠距離攻撃が可能な冒険者だけではなく、近距離攻撃を得意とする冒険者たちの目にも希望の光が灯る。
攻撃が届く可能性が出来たのだ。
ここで挑まなければ、勝ち目などない。
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