第9話レイドバトル
「レイドだ、レイドが始まる!」
フブキの声と共に、イチズの足場が消失した。落下の恐怖に駆られて我武者羅に手を伸ばせば、メノウの腕にたどり着く。
「大丈夫ですよ。痛くはないから」
慌てふためくイチズとは逆に、メノウは落ち着いていた。地面がなくなって身体が落下しているというのに、イチズに向かってウィンクを飛ばしている。
「痛いとか痛くないの問題ではないのっ!というか、地面に叩きつけられても痛くないって即死だからってことなの!!」
イチズは涙目になって、メノウの腕に縋り付いた。とても細い腕だが、骨と皮だけの感触ではなかった。必要な箇所にだけ筋肉が付けられており、細くとも計算して造られた身体であることが分かる。
戦うことを前提している無駄のない身体は、年若いメノウだけでは作ることが難しいであろう。だとしたら、誰がメノウを形作ったのだろうか。
「痛かったら、僕のことを殴っていいですよ」
メノウの言葉に、イチズは思わず「へっ?」と魔訶不思議な返事を変えした。物騒な言葉が聞こえたが、それどころではない。
「死ぬぅ!!」
イチズは大騒ぎしていたが、メノウは嫌な顔もせずに彼女を抱き寄せた。メノウの熱いほどの体温が、イチズに伝わってくる。同時に、騒いでいるのは自分だけでメノウとフブキは落ち着いていることに気がつく。
「これは義務……」
厳かな雰囲気さえまとわせて、メノウは呟く。自分の役割りを再確認しているかのようでもあった。
「一般冒険者が、トラブルに巻き込まれないように力を尽くします。それが、ダンジョン警察の義務です」
メノウ宣言と共に、イチズは自分が地面に立っていることに気がついた。先程まで自由落下していたのが嘘のように、足は平らな地面をしっかりと踏みしめていた。
「落ちる前……第三階層はごつごつしてたのに」
先程まで自然に出来た洞窟のような第三層にいたというのに、今のイチズたちは全く別の眺めを見ていた。
素直に考えれば第三階層から落ちて来たのだろうが、それにしては怪我も着地の際の衝撃もなかった。落ちたことは幻だったと言われた方が、説得力を感じるほどだ。
「それにしても……」
イチズは、周囲を見渡す。
試合会場あるいは箱の内部のような場所である。出口も何もない四角い空間と言えばいいのだろうか。
正四角形の滑らかな床とそれを囲む滑らかな壁。
この場には、それしかいない。
「ここって、レイドバトル用の階層なのかな……。噂でしか聞いていないけど」
この場には、イチズたち以外にも冒険者が三十人ばかりいた。年齢や性別はバラバラであったが、全員が第三階層から第五階層の間にいた冒険者たちであろう。
それぞれの違いはあれど、皆が高性能な装備を身につけていた。軽装のイチズは、この場では浮いている。
『すっげー。レイドバトル階層だ!』
『出現条件は謎だけど、一匹のモンスターを大人数で倒すんだろ。楽勝な階層だって聞いたぞ』
『ばっか!それは、一部のバカ強い冒険者の意見だよ。このレイドバトル階層が、一番死亡率が高いんだぞ!!』
コメントの通りだ。
レイドバトル階層の出現の条件は、未だに不明である。けれども、どのダンジョンでも起こりうる現象であることは有名だ。
レイドバトル階層は、第三階層から第五階層にいる人間の全員を巻き込んで発動する。それが、一般的な認識だ。レイドバトル以外では確認できない階層に飛ばされ、平時とは一味も二味も違うモンスターと戦うことになるのである。
幾多の数を内包するダンジョンのなかでも、一際の謎の多い空間であると言われている。
「早くしないとモンスターが現れるぞ。全員の特技を教えてくれ。俺は、近距離で剣を特技にしている!あと、俺の他にレイドバトルの経験者はいないか!!」
レイドバトル経験者かと思われる男性の冒険者が、集められた人間たちの特技を把握するために声をあげる。その声を聞いたせいもあって、戸惑うだけだった他の冒険者たちが我に返った。
『なんで自分の特技を言わないと行けないんだよ』
『初見の冒険者たちが協力するには、手の内を見せないとどうにもならないぞ』
『集まったのが三十一人で、近接戦闘タイプが十一人、中距離が十二人、遠距離が十人。魔法使いだけが遠距離攻撃できるのか』
『回復役がいないって、長期戦は無理だろ。三十一人もいて回復役がいないって、どれだけレアなんだよ』
『あれ、イチちゃんって人数にカウントされていないんじゃないの?』
『戦えない人間をカウントできるかよ』
『長髪の魔法使いって、遠距離も出来るのか?』
『レイドバトルの経験者は六人か。これって、多い方なのかな?』
コメントが流れていくなかで、イチズも自分の置かれた状況を確認する。イチズの実力や装備から言って、レイドバトルの役に立つのは無理である。だからこそ、コメント内でもイチズは戦力に数えられなかったのだ。
リーダー格となった最初に発言した冒険者も、場違いなイチズの様子に気がついた。彼は、心配そうにイチズに近づいてくる。
「もしかして、君は最近流行っているダンジョン配信者なのか?」
イチズは苦笑いを浮かべながら、カメラとナイフを持ち上げた。持ち物はこれぐらいだ、というアピールだ。
「……出来るだけ逃げ回ってくれ。レイドバトルは集団戦ではあるが、自分の身は自分で守るのが大前提だ。頑張って生き残るように」
リーダー格の冒険者には、学力レベルが違いすぎる学校を志望した受験生を前にした教師の顔をされた。つまり、あきらめの表情だ。
「一般冒険者を守るのが義務ですから。義務ですから!」
メノウが、イチズの隣で意気込んでいた。落下していたときは不思議な静けさと神秘性は、どこかに行ってしまったようだ。
「よ……よく分からないわね。子供っぽいんだか。何なんだか」
イチズは、呆れ返った。
メノウは、初対面からして年齢不詳だ。背丈が高くて大人のように見えるのに、言動が子供っぽい。そのくせに達観したような奇妙さもある。
メノウの子犬のような態度に、リーダー格の冒険者も呆れていた。けれども、数秒後に納得したような表情を作る。
「もしかして、カップル配信とかやっているのかな?君は、この子のカノジョ?」
事情を全く知らないリーダー格の冒険者には、悪気なんてこれっぽちもない。しかし、これにはイチズの顔が引きつった。コメント覧だけは大爆笑だ。
『残念です。し・り・あ・い・です。しかも、さっき知り合ったばっかりの!』
『元カレは、人気の配信者になっちゃいました』
『別れてから一か月も経ってないからなー。傷口えぐられちゃって、どんまい』
コメント覧は、人の不幸で楽しそうだった。
「私たちは、ダンジョン警察です。私は三島フブキ。こちらは泉メノウ。私は第五階層まで経験したことがありますが、レイドバトルは初めてです」
フブキの自己紹介を聞いて、リーダー格の冒険者は目を見開いた。
「驚いた。ダンジョン警察と共闘するのは初めてだ。俺は磯崎ウミ。レイドバトルの経験は、これで三回目。運が良いのか悪いのか……」
冒険者たちは、それぞれグループを作り始めていた。ダンジョンを潜るにあたって、元々組んでいたパーティ同士で集まっているようである。
パーティを組んでおらず、単独でダンジョンに挑んでいたと思われる者も何人かいた。ウミも単独でのダンジョンに挑んでいたようで、彼の周囲には仲間らしい人間はいない。
「水が!」
誰かの声と共に、床と壁の境目から水がじわじわと流れ込んできた。このような仕掛けはウミも初めてらしく、酷く驚いている。
「こういうのって、攻めるっていうんですよね」
肝が据わっているメノウだけが、輝くような笑顔で告げる。他の冒険者たちは、突然の浸水に不安の色を隠せないでいた。
「水攻めだな……。ダンジョンだから、水だけで殺されるはずはないと思うが」
フブキの声にも緊張が含まれていた。
「来ました!」
メノウの叫び声が、レイドバトル階層に響き渡る。
それとほぼ同時に、天井から巨大なガマガエルが降ってくる。そのガマカエルの周囲には巨大な球体が、十個ほど浮いていた。その球体がカエルの卵を連想させて、イチズは背筋に寒いものを覚える。
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