第8話戦いの後始末
男の長髪は、トカゲ人間の首をねじり切ったせいもあって黄色で汚れている。滴る黄色い体液を拭うこともせずに、長髪の男はイチズを見つめていた。
「えっと、メトロじゃなくて……鉄道?」
あたふたとする長髪の男の印象は、随分と幼いものがあった。背丈から二十歳ぐらいだと思っていた時期もあったが、この様子では最初の見立てより幼いのは確実だろう。痩身で身長こそは高いが、イチズと同じく高校生なのかもしれない。
「メノウ、何をやっているんだ?」
眼鏡の男が、イチズたちの方にやってき、。
若い男が振り返ったことから、彼の名はメノウというらしい。メノウは。長髪に付着したモンスターの黄色い体液をそのままにしている。
メガネの男は荷物の中からタオルを取り出して、メノウに向かって放り投げた。
「拭け。話は、その後だ」
眼鏡の男は、顔をしかめていた。メノウはトカゲの体液を丁寧に拭き始めていたので、彼絡みの不満ではないだろう。それに、冒険者をやっていたらモンスターの体液で汚れるなど日常茶飯事だ。
ならば、イチズが原因で間違いない。彼女は苦笑いをしたが、眼鏡の警官は益々不機嫌になるばかりだ。
イチズは、ナイフ以外の装備を持っていない。そのくせにカメラだけはしっかりと持っているので、その無謀さ眼鏡の警官には気に入らないようである。
改めて考えれば、警官が怒るのも無理がないほどの無茶である。
自分では冷静だと思っていたのに、ヒビナに負けたくなくて無意識に無茶をしていたのだ。護身用のナイフ一本とカメラだけで第三階層に来るだなんて、落ち着いて考えて見れば考えてみれば馬鹿げている。死にに来たようなものだ。
「メトロの三階は危ないから保護しないと。フブキさん、一度引き返しますか?」
フブキと呼ばれたのは、眼鏡の男だ。彼もメノウが言う「メトロ」という言葉に首を傾げている。
「もしかして、ダンジョンの地下のことを言いたいのか?メトロは地下鉄であって、地下という意味ではないからな」
ほぅ、とメノウは興味深そうに息を吐く。
「ここはダンジョンの第三階層。地下だが、地下という言葉は使わない」
フブキの指摘に、再びメノウは「ほぅ」と興味深そうに息を吐く。もしかしたら、彼の癖なのかもしれない。
「紹介が遅れたが、私たちはダンジョン警察の三島フブキと泉メノウだ」
フブキは、懐から自分の警察手帳とメノウの名刺を取り出す。メノウの分には協力者と書かれており、コメントに書かれていた通り彼はダンジョン警察ではなかったらしい。
「そちらは、冒険者だな。ダンジョン配信というのが流行っているのは分かるが、一人で第三層に来る危険性も分かっていないのか。私たちがいなければ、トカゲ人間の夕食になっていたぞ」
フブキに正論を言われてしまったこともあり、イチズは小さくなるしかなかった。メノウは髪を拭きながら、イチズの様子をじっと見つめている。
カメラが気になっているようで、その姿はやはり幼い。仕草だけ見れば、好奇心旺盛な小学生のようですらある。
「ダンジョンで使えるカメラを持ってないの?ちょっとなら見ても良いよ」
カメラ自体は珍しいものではないが、基本的には高価だ。そのなかでもイチズのカメラは高価格帯のもので機械に興味があるならば関心を示してもおかしくはない。
「カメラのなかに言葉が流れている……」
メノウが興味を示したのは、カメラの画面に映し出されるコメントたちであった。レンズを覗き込んでいるので、未開の土地に住む人間のようだ。
『装備が不十分なのだ第三階層にくるなんて……。怒られて同然のことをしたんだよ』
『ちゃんと大人に起こられておけ。貴重な人生経験だぞー』
『アップで映っているのは、髪が長い人だよな。あのカマキリみたいなのまたやって』
『ダンジョン警察が来るってことは、なにか事件とかあったの?』
メノウは、カメラを掌で転がして楽しそうだ。その様子は無邪気で、新しい玩具を見つけた子供ようでもあった。
「これで、映画を流せるんですね」
感心するメノウだが、先ほどから言葉の端々に違和感がある。メトロを地下の事だと言っていたし、警察を手伝っているのに第三層を呼び表す言葉すら間違っていた。今は『動画』だと思われる言葉を『映画』と間違っている。
「外国人?でも、外国籍の人はダンジョンに入れないから……」
日本のダンジョンの治安の良さは世界屈指だが、それは対人の話だ。モンスターに脅威については、他国と変わりがない。危険があることが当たり前なのだ。
ダンジョンでの探索は自己責任が大前提だが、外国人が行方不明になった際に訴訟問題が持ち上がった。旅行会社なども関わったこともあり、問題が複雑化。その事件から海外の旅行者および外国籍の人間は、ダンジョンの出入りが禁じられたのだ。
「もしかして、帰国子女とか。海外生活が長いとかそういうやつ?」
イチズは、メノウの顔を観察してみる。
メノウの顔には、海外の人間の気配はない。ハーフという線はなさそうだが、親がアジア系の外国人ならば分からないのかもしれない。
「きこく……帰ってきた女の子?」
メノウはフブキを見つめるが、彼からの返答がないのでむっとしていた。フブキといえば、イチズを耐えず警戒している。
警察はダンジョン配信によって、無茶をする若者が増えていることを危険視をしていた。無茶をする若者のなかには、当然のごとくイチズも入っている。イチズは、初対面にしてフブキに嫌われたことを確信した。
フブキ個人に嫌われてもなんてことないが、警察に嫌われるというのは心理的に辛いものがある。いや、辛いというよりは恐い。
イチズは長々としていながらも厳しい説教されるのだろうと身構えていたが、フブキは彼女から視線を外した。
「今からすぐにダンジョンを出ろ。親御さんに叱ってもらうように」
この忙しい時に、とフブキは小さく呟く。
どのような仕事内容なのかは分からないが、イチズかまっている暇はないらしい。これは動画のネタの匂いするぞ、とイチズにやりと笑った。
こっそりと後をつけようかと考えていれば、フブキに睨まれた。イチズの悪巧みは、見抜かれていようだ。
『なんかの特殊任務とか?』
『女子高生を保護しないもんな』
『やばっ。秘密組織とか出てこないかな』
『いや、それよりモザイク機能だろ……。ばっちりと警察二人の顔が映ってるぞ』
視聴者の一人の指摘で、イチズは自分の失態に気がついた。モザイク機能が止まっており、フブキとメノウの素顔が全世界にさらされていた。
『後でトラブルになるかもしれないから、謝った方がいいぞ』
『優しいお巡りさんかもしれないから、ダイジョウブ!めっちゃ武闘派だけど』
『さすがに女子高生に拳骨はしないだろ』
『まぁ、最悪でも親と学校に連絡が行くくらいだよな』
コメント覧では、二人の警察に謝ることをイチズに推奨していた。配信中の映り込みはともかく、イチズは二人の戦いをしっかり撮影していた。しかも、生配信で。謝るのが筋というものであろう。
「あの……。ちょっと言わなければならないことが」
おずおずとイチズは話を切り出したが、フブキに嫌そうな顔をされた。邪魔だ、と言いたげである。
「カメラのモザイク機能がオフになって……!」
イチズは、舌を噛みそうになった。それほどまでに大きな揺れが、ダンジョンを襲ったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます