第6話警察のお仕事
『デカコウモリ!こいつの正式名称って、なんだっけー』
『それより、第二階層に逃げた方が良いだろ。こいつらは、強さはそこそこだけど数が多いぞ』
『引き返せ。イノチダイジニ!!』
イチズはナイフを振り回して、子猫ほどの大きさの蝙蝠のモンスターを追い払う。
この手の数が多いモンスターは冒険者の視界や動きの邪魔をするが、戦闘力は大したことはない。そのせいなのかドロップするアイテムも安物ばかりなので、名実ともに邪魔者として嫌われているモンスターだ。
『髪の毛。髪の毛がカマになってる』
『うわ、カマキリみたい』
『だから、伸ばせるほど伸ばしていたのかよ』
蝙蝠のモンスターにイチズが苦戦している間に、警察たちの動きに変化があったようだ。なんとか自力で蝙蝠を追っ払ったイチズは、その光景に目を向いた。
若い方の男の髪が、重力に逆らって天に伸びていた。そして、ツインテールのように二つ別れた髪は鋭い刃物の形を作っていた。
コメントに『カマキリみたい』とあったが、そのとおりの見た目だ。髪の毛の鎌は多数の蝙蝠を一刀両断し、警官二人が進む道を簡単に作ってしまっていた。
『ああいうのも魔法使い型って言うんだっけ?。めずらしぃ……』
『魔法使いって、炎とか打つんじゃないのか?あと、回復したりとか』
『そういうのもいるけど、あの警察はもっと珍しいタイプ。魔力で身体の一部を変化させたりできるヤツ。冒険者は多かれ少なかれ魔力の影響を受けているけど、その行き過ぎたバージョン』
冒険者たちは、魔力によって身体能力が上がっているものだ。そして、魔力がなければ冒険者になれず、ダンジョンに入ることすら出来ない。
そして、なかには有り余る魔力を放出できる者がいた。彼らは一般的に魔法使いと呼ばれているが、かなり珍しい人種である。
イチズもヒビナと共に活動していた時に、遠目で二人ほど確認しただけだ。あの時の魔法使いは、それぞれ炎と水を操っていたと記憶している。
髪を操る人間の魔法は、理屈としては彼らの魔法と同じである。有り余る魔力が放出されず、肉体に影響を及ぼしているのだ。
「蝙蝠のモンスターって、あんなに簡単に全部を退治できるの?うっそ……だってヒビナは結構苦戦していたのに」
思わず元恋人と比べてしまったことに、イチズは自分を嫌悪した。
ヒビナのことなんて忘れたいのに、ちょっとしたことで思い出してしまう自分が嫌だ。そんな荒れ狂うイチズの心を知らずに、コメントは流れていく。
『戦うのが上手いといっても、本職は違うよ。ヒビナ君は高校生だったし』
『ヒビナ君って、顔の割にせっかちだから蝙蝠が近づききる前に攻撃して逃げられることが多かったもんね。あれじゃあ、無駄打ちもするって』
『誰にでも得意不得意はあるんだからさぁ。ヒビナ君だって、派手な動きは得意だったじゃないか』
イチズとヒビナとの破局理由を知らないコメント覧は、おおむねヒビナに好意的だ。動画ではヒビナと別れはあっさりと伝えたから、視聴者はイチズとヒビナが円満に別れたと考えているのだろう。
本当にあったことをぶちまけようかとも思ったこともあるが、一年も騙されていたなんて自分が虚しくなるだ。
だからこそ、いつものイチズでだったら視聴者のコメントに腸が煮えくり返っていただろう。反論できない怒りほど腹が立つことはない。
だが、今ばかりは違う。
イチズは、空中で髪の毛を操る若くて美しい男に見入っていた。彼の意思に従って、蛇のように動く髪があまりに非現実的で目が離せなかったのだ。手品やショーを見ている気分になってしまう。
「……綺麗」
イチズは、小さく呟いた。
先ほどまで鎌の形を作っていた髪が、一瞬にして解けた。髪は自然の法則に従って、重力のままに若い男背中を隠す。
髪の毛が背中に落ちた瞬間に、イチズは砂が掌から零れ落ちるかのような儚さを感じた。自由自在に動いていた髪が動かなくなったことは、生命が失われる刹那のように思えたのである。
「上から三匹のトカゲが来るぞ!」
トンファーを持った警官が叫び、イチズはカメラを天井に向けた。イチズは目を凝らしたが、敵の姿は発見できない。
イチズは、カメラのズーム機能を使って天井を見た。カメラを通してならば、三匹の人形のトカゲが天井に張り付いているのを見ることが出来た。離れていたうえにトカゲたちは岩陰の陰影に紛れていたので、肉眼では発見が難しかったのだ。
鎧を身に着けて盾と剣を背負ったトカゲ人間は、次々と天井から落ちてきた。二足歩行をするトカゲは、警察の二人に向かって大口を開けて威嚇する。ぎゃあぎゃあ、という獣の声がダンジョンに響き渡った。
『トカゲ人間だぁ!今度こそ逃げろ!!マジで、逃げろ。そいつらは素早いぞ』
『カメラマン一人でどうにかなるようなモンスターじゃないって!』
『戦略的撤退を望む!』
『てか、あの眼鏡はズーム機能みたいなもんまで付いているのか?性能良すぎるだろ!!』
コメントの意見とは逆に、イチズは撮影を続けられると確信していた。トカゲ人間たちは、三匹とも警察の周囲を旋回しながら様子を伺っている。イチズには、気がついていないようだった。
「出来るだけ早く終わらせるぞ」
眼鏡をかけた警察の落ち着いた声が響いた。それと同時に、警官が持っていたトンファーが一本に繋がる。
イチズは、トンファーの槍に変形したと思った。しかし、槍ならばあるはずの尖った先端は付けられていない。
「ただの棒になっちゃった」
一本の棒になったトンファーのリーチは増したが、相手を傷つけるような刃物はない。
イチズは、形を変えた武器に呆気にとられた。トンファーのときよりも弱そうな武器になったからだ。
『いや、トカゲ人間に棒って舐めすぎだろ』
『というか、剣とか使えよ。普通は、そっちだろ。そもそもトンファーなんてニッチな武器を使うなって。打撃主体の武器で接近戦なんて、怖すぎるだろうが』
コメント覧では『トカゲ人間を侮るな』という不満が飛び交うかう。そんなか中でのことだった。一匹のトカゲ人間の身体が吹き飛んで、壁に叩きつけられたのだ。
眼鏡の警察官が、トカゲ人間の胴体を棒で突いた。人間ほどの大きさのトカゲは、それだけで吹き吹き飛ぶ。
魔力で肉体が強化されてはいるが、それだけでは人間よりも筋肉質なトカゲを吹き飛ばすのは難しいであろう。戦うことが苦手なイチズでも分かることだ。
眼鏡の警官は腕力だけではなく、自分の扱っている武器のありようが分かっている。同時に、人形のモンスターのどこを突けば自分の力を最大限に伝えられるかを知っているのである。
武道の達人のように。
仲間を攻撃されたトカゲは剣を抜き、怒りを露わにしてメガネの警察に襲いかかる。メガネの警察は棒をもってしてトカゲ人間の剣をいなし、突いて、足元をさらって、体勢を崩させる。
眼鏡の警察は、倒れたトカゲ人間の胴体に飛び乗った。鎧を身にまとっているトカゲ人間には、胴体への攻撃は効かない。
ましてや眼鏡の警察の武器である棒には、刃物の類は付いていない。馬乗りになったところで、トカゲ人間に止めを刺すことは出来ないだろう。
棒を使ってトカゲ人間を突き飛ばすことは出来ても、決定打にはならないはずであった。
だが、ここはダンジョン。
恐ろしいモンスターが出現し、人は魔力によって身体能力を底上げされる。
眼鏡の警察はトカゲ人間の口の中に棒を入れて、魔力で強化された腕力でもって喉を穿いた。棒に尖った金属など装着されていなくとも、いとも簡単にトカゲ人間の喉を貫いた。
『棍って、ヤツだ。棒術とかで使う武器なんだよ』
視聴者の一人が、武器について書き込みを行う。イチズは棒術なんて知らなかったが、この世には刃物がなくとも闘う術があるらしい。
『うわぁ、グロ。めっちゃ、グロ!』
『これがダンジョン警察かよ。噂には聞いてたけど並の冒険者だと敵わないよな』
『犯罪者がダンジョンに逃げ込む可能性も考慮してるから、ダンジョン警察が強いのは当たり前なんだよ。第五階層まで単独で到達した経験がないと現場に出れないとか聞くし』
イチズの目がコメントを追っていた間に、眼鏡の警察は二匹目のトカゲ人間の頭を潰していた。モンスターの血は黄色くてどろりとしており、臭いはなくとも体内から放出される膿を連想させる。
『あいかわらず、グロい。トカゲとはいえ、二本足で立っていると尚の事……』
『むしろ、これがダンジョン配信の醍醐味でしょ。血は赤くないけれど、吹き出る感じがリアルすぎ!いや、これが現実なんだけどさ』
『あの警察の棍って、なんか仕込んであるのか?ただの棒で、トカゲ人間の頭を潰したのかよ』
『ばっか。魔力で底上げされている人間の腕力だぞ。普通の拳だって、当たり所によってはモンスターも殺せるって。メリケンサックでモンスターを倒していく配信者もいたぞ』
ダンジョンというのは、外の常識が覆される場所だ。外の世界では、棒で人並みの大きさのトカゲの頭をつらぬくなど出来ないであろう。
けれども、ダンジョンでは違う。
この場所は、全ての暴力を助長させるのだ。
眼鏡の警察は棒を大きく振り回すことで、トカゲ人間の体液を振り払う。周囲に飛び散った黄色い体液に、眼鏡の警察は不愉快そうに顔を歪めた。
『おい、トカゲ人間。一匹いないぞ。どこに行ったんだよ。早く探せって!』
『敵を見失うのはヤバいぞ。あいつらは素早いし、隙を突かれたらマジヤバイって』
イチズは、慌てて周囲を確認する。
眼鏡の警察に気を取られていたせいで、トカゲ人間の数を常に確認することを怠っていた。ヒビナと共に行動していた時でさえ、犯したことのないミスである。
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