第36話 急変
「ちっ」
斗司はあからさまな舌打ちをし、二段ベッドの上から飛び降りると、蓮実の正面に立ってメンチを切ってきた。
「おい、てめえ。姫様だかなんだか知らねえけど、いい気になるなよ」
「私、いい気になんかなってない」
わけもわからず戦いに巻きこまれ、ようやく状況を把握したばかりだというのに、なぜここまで悪し様に言われなければならないのかと、蓮実は次第に目の前の不良少年に対して反感を抱き始めていた。
「俺らは三人でひとつなんだよ。わかるか。てめえみたいな余計な人間が混じったら、まともに闘えねえ。邪魔なんだよ」
「よせよ、斗司」
左の二段ベッドの上から、一馬と呼ばれた少年がたしなめてくる。だけど声には真剣味がない。どうにも興味なさそうだ。
「俺たちのチームに入ろうってんだから、よほど腕は立つんだろうな」
「それは――」
腕が立つも何も、そんなつもりでここにいるのではない。自分は非戦闘員だ。守ってもらえるものだとばかり思っていた。
「君、いくつ?」
「あ? 十七だよ。それがどうした」
「実年齢で十七?」
「おう」
「……じゃあ私より年下じゃない。偉そうにして、ナマイキ」
攻勢に出てきた蓮実に、斗司は面食らった様子で、目を丸くしている。
「大体、男の子なら、女の子を守るのが普通じゃないかしら。それなのに、私にも闘えって言うの? 男として最低だと思わない?」
冷たい眼差しを向けながら居丈高に相手をなじる。クールな印象の自分がこういう言葉を使うと、効果が一層高まることを、蓮実は経験で知っている。これで何度同年代はおろか年上の男まで青ざめさせてきたことか。
案の定、斗司もペースを乱されつつある。
「バ、バカヤロウ。ここをなんだと思ってんだ。この日本に存在しない民族の、隠れ里だぞ。自分の身を守る力くらい、自分で――」
「そもそも君は経験あるの? 実際に戦場に立ったことはあるわけ?」
おそらく見た目から推測するに、並の人間相手のケンカなら数は重ねてきたのだろう。だけど、穏健派の夜刀神一族は、政府とも主戦派とも表立っての戦闘は行ってこなかったはずだ。だからこその「穏健派」なのだろうし。
だとすると、この斗司も、口先だけで命懸けの戦いに身を投じたことはないはず。
ハッ、と蓮実は小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「て、めえ⁉」
頭に血を上らせた斗司は、掴みかかろうと手を伸ばしてきた。
その手を、脇に立った一馬が、自分の腕で遮った。
「よせ、って言ったろ」
冷たい声音。
いつの間に、どうやったのか。
さっきまで見て見ぬ振りをして、二段ベッドの上で仰向けに寝転がっていたはずの一馬は、蓮実と斗司の間に音もなく下り立っていた。
涼夜のような身体能力とはまた違う、不思議な力。猛スピードで動いた、というわけではなさそう。まるで瞬間移動だ。
「……けっ」
斗司はそっぽを向き、窓際まで後退した。
面白くもなさそうな仏頂面で、一馬は頭を掻きながら、蓮実のことを横目で見てきた。
「ええと、蓮実さん、だっけ」
「うん、そうよ」
「確かに失礼なこと言われて、怒りたくなる気持ちもわかりますよ。噂は聞いてますから、ここへ来るのだって相当苦労したんでしょう? でも、それとこれとは話が別ですよ」
「どう別だって言いたいの」
「闘わざるもの生きるべからず――ま、おっしゃる通り、俺らは実戦経験なんて皆無なんですけどね、それでもケンカ慣れくらいはしてます。そこで寝てるユウトだって同じ。いざとなれば生き抜く術は身につけてるわけです。でも、あなたは?」
答えられない。いまの自分には、アマツイクサと闘って生き延びられる自信も、主戦派に断固抵抗するだけの勇気も、備わっていない。全ては自身の戦闘力の無さから来るもの。
悔しいけど、一馬の言う通りだった。
「……ま、どうでもいいですけどね」
ふう、とため息をつき、一馬は二段ベッドの上へとまた戻っていく。
「俺たちの邪魔をしなければ、それでいいですよ。チームに入るのは認めますけどね」
それで流れは決まったようだった。
なお不満げな顔をしながらも、斗司もまたかぶりを振り、自分のベッドへと戻っていく。
蓮実は仕方なく、左側の二段ベッドの一番下、空いているベッドへと入っていった。
たちまち疲労感が全身を包み始めた。
シャワーも浴びていないから、汗で肌がベットリとしているが、室内は空調が効いているからそれほど不快感はない。
いつしか眠りについた。
だが、事態は、そう簡単には安眠を許さない。
蓮実は忘れていた。ここは政府公認の、夜刀神穏健派の隠れ里であり、長らく平和な場所であり――外界で起きていることとは基本的に無縁であるがゆえに――自分がいま何に巻き込まれているのか、頭の中から抜け落ちていた。
起きているのは戦争。
こうしている間にも刻一刻と状況は変化している。
休んでいる余裕など、ない。
廊下を駆けてくる足音が聞こえる。
バンッとドアが開かれた。
「起きろ! 緊急事態だ! みんな講堂に集合だ!」
初老の男性は部屋の中に声をかけると、また別の部屋へと駆けていった。
「ん……」
叩き起こされた蓮実は、気だるい体を起こして、ゆっくりとベッドから下りる。
ふと前を見ると、向かい側の二段ベッドの下段部分に、中学生くらいの少年が腰かけて、ジッと蓮実のことを見つめているのに気がついた。
「なに?」
蓮実は首を傾げて声をかける。相手はスポーツ少年タイプ、身長は低く、いたずらものっぽい雰囲気はあるが、かわいい顔立ちをしている。
「俺、
「えっと、中学生?」
「今年一年生。でもねえちゃんより強いぜ」
「君も、私のこと、邪魔だって思ってる?」
「全然」
屈託のない表情で、悠人は首を横に振った。
「だって、ねえちゃん美人だし。やっぱムサい男がチームに入るより、可愛い子とか美人さんとか入ったほうがいいじゃん。だから、俺は大歓迎」
「そ、そう」
自分よりずっと年下の少年とはいえ、美人、と言われて悪い気はしない。大人だったらからかわれていると思ったかもしれないけど、悠人の場合、純粋に自分のことを誉めてくれてるようだ。
「おい、行くぞ」
すでに身支度を終えた斗司が二段ベッドの上から下りてきて、声をかけてきた。
一馬は? と蓮実が見渡してみると、彼はいつの間にか部屋の外に出ている。さっきもこんな感じで、ワープしたかのような動きを見せていた。
頭をひねりながらも、蓮実はとりあえず手ぶらで、同室の者たちと一緒に講堂へ行くこととした。
地下市街の中央に講堂はある。
隣接して、穏健派の本部。だがいまは用事はない。
講堂の中に入ると、階段状に座席が並んでいて、そのスペースは四百名ほどは収容できそうだ。地下空間にしては立派な造りに、蓮実は目を奪われた。自分が通っている大学の施設と比べてもなんら遜色はない。
すでに席の大半は埋まっている。ほとんど大人で、一馬や斗司のような高校生くらいの外見年齢の者はあまり見かけない。
全員の目線が、一斉に蓮実へと集中してくる。
広大な空間の中で、ただ一人注目の的となり、蓮実は居心地の悪さを感じながら、一馬たちと一緒に空いている席を探して、そこへ座った。
ほどなくして、正面の壇上に、巴が現れた。
『先日、警戒レベルを上げたことは皆さんご承知のことと思います』
挨拶もなく、いきなりマイクに向かって話し始める。
『その際のレベルは2。我々に直接の危害は及ばない、ある意味本当の意味での警戒程度で留まっていました』
そして巴は、右手を上げ、五指を張った。
『いまや警戒レベルは5。これがどれだけの事態か、皆さんは理解できておりますか』
たちまち講堂内にざわめきが広がり始めた。何がそんなに大変なのか、中には真っ青な顔になって脂汗を流している年寄りまでいる。
『長峯俊介の手記のありかが、主戦派に知られてしまいました』
場内の動揺がさらに激しくなった。巴に向かって怒鳴るように質問を投げかける者、携帯電話で誰かに指示を飛ばす者、各々が様々な反応を示す。
「ねえ、どういうこと? なんで父さんの名前が」
隣の一馬に尋ねる。
「知らないんですか?」
一馬は無感動な表情を向けて、肩をすくめた。
「簡単に言えば、あなたのお父さんの手記は、全ての戦況を覆しかねないキーアイテムになってる、ってことですよ」
「父さんの、手記が」
「わかりやすい言葉で言うならば――予言の書、ってところでしょうか」
「予言の、書?」
話をしている間に、すでに壇上の巴はひと通りの質疑応答を終えていた。
『下ろして』
巴がマイクで指示を出すのと同時に、天井から白いスクリーンが吊り下ろされてきた。
プロジェクターで、とある施設の構内図が映し出される。
(あれ……? 見覚えがある)
蓮実が通っている大学の構内図だ。
それも文学部キャンパスにある、研究棟の。
『もう主戦派もアマツイクサも動いています。最悪の事態は主戦派に長峯俊介の手記が渡ること。しかしアマツイクサの手に落ちるのも避けたい。そのためには、私たちが先んじて動いて、手記を奪取しなければならないのです』
そして巴はレーザーポインターで、研究棟のとある一室をさし示した。
『水沢豪教授――彼の研究室にある手記を、なんとしてでも入手し、二つの勢力から死守してください。それが、いま、我々が果たすべき最大のミッションなのです』
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