第33話 麻多智刀子

 刀子が取調室から出ると、波戸が腕組みしながら廊下の壁にもたれかかって、退屈そうに待っていた。


「よう、終わったか」

「休憩。相当時間がかかるわ」


 リフレッシュコーナーに行き、自販機でコーヒーを買おうとする。ポケットから小銭入れを取り出したところで、後ろから波戸が缶コーヒーを渡してきた。


「ありがとう」


 刀子は後ろ手に受け取ると、一気に飲み干し、空き缶をゴミ箱に投げ入れた。


「頼むぜ、ボス」

「何をよ」

「たとえ入隊したのが一番後でも、あんたはこの部隊のナンバー2なんだ。しっかりやってくれよ」

「それは……」


 私が新大久保のマンションで桐江涼夜と長峯蓮実を逃してしまったことを揶揄しているの? と言おうとして、刀子は喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。


「無理もないさ。つい一年前まで普通の会社員だったんだ。むしろたった一年でよくここまでプロになれたもんだ」

「何が言いたいの、波戸。結論を先にして」

「後か先かの違いだけで、俺達は皆、土方にスカウトされて寄せ集められた即席集団だ。闘う相手は常に人外、命を落とすことが当たり前、誰もが数年で殉職し、代わりが立てられる。経験が一年だろうが二年だろうが、そんなのは関係ない」


 ただその瞬間に強い、それだけが求められる純粋戦闘集団。それがアマツイクサ。存在を知る者は陰で「秘密警察」と揶揄し、公安以上に得体の知れない連中だと敬遠しているが、実態は政府に反逆する敵対組織を粛清するための特殊部隊。


 刀子は、そこへ入隊して、僅か半年で副隊長の座まで昇った。


 それもこれも、自分の身体に流れる麻多智の血が為したもの。不老の効能こそ消えているが、かつてアムリタを飲んだという麻多智の血は、子孫に脈々と受け継がれ、何代も隔てている刀子ですら人間離れした戦闘力を備えている。


 ほんの少しの狂いで、人前で化け物じみた力を発揮してしまい、居場所を失いかけていた刀子。


 その噂を聞きつけて、誘いをかけてきた土方。


 全てはそこから始まっていた。


「お前は誰よりも強い。リーダーの資質もある。その証拠に、元自衛官で経験もあり、年上の俺を、副隊長になった途端に呼び捨てにし始めたじゃないか。偉そうに」


 くくく、と波戸は笑う。


「だが、お前はそれでいいんだよ、刀子――いや、ボス」


 刀子は溜め息をついた。


 昔から弱音は吐かない性分だ。男に甘えることもしなかった。相手が出来ても一回セックスしただけで別れることを繰り返し、すでに六人ほどの男性と交際経験はあるが、いずれも刀子にとっては長く一緒にいるほどの人物ではなかった。


 そんな刀子が、唯一本音を言いそうになってしまうのが、この波戸だった。


 時には激しく真情を吐露したくなる。そしていつもギリギリのところで、その誘惑に耐えている。誰にも自分の弱いところは見せたくない。


 いや、一人だけ、一度だけ、刀子が感情を剥き出しにした相手がいた。


 これまでの人生で唯一、二度抱かれることを望んだ。


「あなたは、彼とは違う」


 冷ややかな声を絞り出し、後ろにいる波戸を横目で睨みつける。


「私に偉そうに指図しないで」


 波戸は肩をすくめた。


 そこへ、尋問を終えた土方がやって来た。A4用紙を一枚、手にぶら下げている。


「隊長、どうでした?」

「想定していたよりも協力的だ。あの時、殺すのをやめて、確保へと切り替えた甲斐があった」

「すると有益な情報が得られたということで」

「いいや。あいつめ、生意気にも交換条件を出してきた」


 土方は笑った。生意気、と言いつつも、どこか高揚としている。持っていた紙を刀子と波戸の前に突き出した。


「これが新しい部隊構成だ。お上の要請も取り入れている。手書きで読みにくいだろうが、よく目を通しておけ。……特に第一分隊のところはな」


 紙を受け取った刀子は、指定された箇所を読むと、怒りで一気に顔を真っ赤にした。紙から顔を上げ、土方を目で威嚇する。だが土方は意に介せず、他人事のように、今回の人事について語り始めた。


「関東一円に散らばっていたアマツイクサ分隊を、一箇所に集める。その判断には俺も異論はない。が、重要なのは、第一分隊の穴を誰が埋めるかだった。あの分隊が担っていた役割は特殊なものだった。知力や武力だけでは補えるものではない。だからこそ、今回は好機だと思い、この配置にした」

「しかし、隊長……さすがに、これは」


 波戸は、刀子の様子を気にしながら、異を唱えようとする。が、土方は一切聞き入れようとしなかった。


「決定事項だ」


 そう言い放つと、さっさとリフレッシュコーナーから出ていってしまった。


 刀子はもう一度紙を見る。今度は歯噛みした。


 第一分隊。そこは、かつて相馬隆平という男が分隊長として指揮していた。だが、彼は大阪のアマツイクサに増援を依頼しに行く途上で、新幹線ごと爆破されて命を落とした。


 彼は、また、刀子がただ一人、二度体を許した男でもあった。


 その相馬がいたポジションに、信じがたい人物の名前が書かれていた。


 第一分隊長 相馬隆平 改め 桐江涼夜


「どうして――!」


 押し殺した叫び声が、室内に響き渡った。


 刀子はリフレッシュコーナーを飛び出した。


 廊下の先を土方が歩いている。そのすぐ後ろへ駆け足で近寄り、紙を突きつけながら文句を言う。正気か。相手が誰かわかっているのか。死んだ相馬が浮かばれない。


 そのひとつひとつに律儀に頷いてから、土方は急に立ち止まり、振り返った。


「他の人員配置についてはどう思う?」

「それは……」


 もう一度刀子は内容に目を通した。

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